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反抗期と和解

誰でも一度は「反抗期」という時期があるのではないかと思う。つまり、親に対して、反抗する時期である(そのまんまではあるが)。

一般的には、自我が目覚めることによって、身近な存在である親に反発をするのではないかと、ワタクシは考えている。逆にいえば、反抗期を経ることによって、はじめて大人になるのではないだろうか。例えるならば、反抗期を経験することで、乳歯から永久歯に生え変わるという感覚だろう(分かりにくい例えではあるが)。

ワタクシも当然のことながら、10代後半に反抗期を迎えた。何か具体的なキッカケがあったわけではないが、その時期は親の言うことに対して、ことごとく反発していたことを覚えている。

門限を破ってみたり、せっかく母親が作ってくれた料理に一切手をつけずに、コンビニで買ってきたおにぎりを食べたということもあった。そのときの母親の気持ちを思うと、本当に申し訳ないことをしたな…と反省している。

また、親が勧めた学校や就職先について一切受け入れずに、高校も大学も就職先も全部自分で勝手に決めたことも思い出す。挙句の果てには、同じ家に同居していながら、1年間トータルでの会話時間が、1時間程度しかなかったということもあった。大げさではなく、本当にそうであった。

基本的には、「分かった」「腹減った」「どっちでもいい」の3つの単語でしか、会話をしていなかった。面と向かっての会話時間は、ほんとうに1年間で数十分あるかないかという程度であった。

そんな反抗期が収まったのは、一人暮らしを始めてからであった。社会人になって3年目の晩夏のころに、ワタクシは実家を離れることにしたのだった。日中はツクツクボウシの鳴き声が聞こえ、夜にはコオロギの鳴き声を耳にするようになった時期であったため、晩夏という印象は強く残っているのだ。

もちろん、新たな住まいも自分で勝手に決めて、引っ越し業者の手配も済ませてから、両親に実家を出ると言った。事前に相談することもなく、あくまで事後報告であったわけである。

実家を離れることを伝えたときには、母はワタクシのことを心配し、父は悲しそうな表情を浮かべていたことを、鮮明に覚えている。

一人暮らしを始めると、なんだかわからないのだが、親に対する反抗心といったものは自然となくなった。毎月とまではいかないが、半年に1回は実家に帰り、両親とも普通に会話をするようになった。一人暮らしを始めると、両親のありがたみがわかると言うが、まさにその通りであったわけだ。

結婚するときには、ワタクシとカミさんお互いの実家に行き両親・家族にご挨拶をした。ワタクシの実家にカミさんを連れて行ったときには、両親とも非常に喜んでくれて、ビールを飲みながら、いろいろな話をしたものであった。親と一緒にお酒を飲んだのは、そのときが初めてであったと記憶している。そして、なんとなく両親との間にあった、わだかまりも消えてしまったことを思い出す。

その一方で、実家に帰るたびに、両親の老いが進んでいることを目の当たりにした。膝が悪くなってしまい、歩くこともつらそうな状態を見ると、心が痛んだことを覚えている。

そして、反抗していた時期のことを反省するのであった。ウチのカミさんは気遣いのできる人なので、結婚してからは毎年母の日と父の日には、プレゼントを贈ってくれている。

そして、母の日・父の日の当日には、必ず母から「ありがとう」という電話がかかってくる。ワタクシは照れもあるので、「うん、わかった。使ってちょうだいね」という短い言葉を伝えるだけなのだが。

父から、プレゼントが届いたという連絡が来ることはなかった。必ず、母から「贈ってもらってありがとう。お父さんも喜んでいるから」という連絡が来るのであった。父は「これぞ昭和生まれ」という、頑固なタイプの人であったため、自分から連絡することに照れがあったんだろうと思う。

ワタクシも同じような性格であるので、父の気持ちが痛いほどよくわかったからだ。まさに血は争えないというやつかもしれない。

そして、今年(2026年)1月に、父が亡くなった。もっと一緒にお酒を飲んだり、話をしたりしていけばよかったという後悔ばかりが残った。

父が亡くなってからは、2カ月に1回ぐらいのペースで、実家に帰り父にお線香をあげて、母の雑談に付き合うようにしている。ワタクシ一人だと、なんだか照れくさいものがあるので、いつもカミさんと2人で実家に帰っている。幸い母とカミさんは仲がいいので、ワタクシとしても気が楽なのである。

母と会うたびに、身体が小さくなっていることに気付く。その姿をみると、なんとも言えない気持ちになる。あと何回実家に帰ることができるかは、わからない。でも、できるだけ実家に帰ろうと思う。



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