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【note】ママ友から『ママ』を抜いて、それでも友でいてくれる人

noteを始めて続けて1年が経ちましたが
この中で得た一番のものは?と聞かれたら

『友人』だと自信を持って言えます



いやいやいや
所詮はWEB上のみの付き合いで、SNS的な土台に乗っかった関係性で『友人』?

みたいに思われるかもしれませんが


そりゃ、繋がった人、関わりや付き合いがちょっと深くなったくらいの人をのべつまくなしに『友人』と呼ぶわけじゃない

むしろ逆


繋がりや付き合いのできた人の中でも、私の思うラインを乗り越えるであろう人
そんな人が、友人と呼ぶべき人


では、私の思うラインとは

それは、もし現実で対面できたとして

「初めましてー!○○さんですね?お会いできて光栄です!」

「○○さんってnoteだと△△なイメージだったけど、実際お会いしたら◆◆なんですね~」

的なノリの合コン自己紹介みたいな
牽制と社交辞令と探り合いが入り交じる会話にちょっとでもなりそうならば

それはまだ友人とは違う



「ちょっすー」
「おいっすー」

「ちょっと聞いてほしいんだけど、こないだっすねー…」

みたいな感じで、note上の関係がそのまま現実にシームレスでやってくる、そんな会話を現実で会った第一声でできそうな人

そんな人が、友人と呼べる人だろうと


ベースの判定基準がそこにあって、あとはどういった経緯でそんな関係を築くに至ったか
そこが、WEB上の関係性が『友人』にまで昇格するか否かの境目だと思ってます





そんな訳で、noteでできた貴重な私の友人
自信を持って言えるお方はポンさん


ポンさんとは同い年
かつ近い年の子を育ててるという共通点はあるものの、子育ての方針や方法論、価値観などは全く別物

その違いを軽やかなエッセイに仕立てる書き方まで、私と近しいものはむしろ少ない方


でも、ならばなぜ友人なのか

それはポンさんが、私と同じ悩みに対し私と同じ解決法にたどり着いた同志であり仲間であるから


初めてその記事を読んだとき、そりゃもうビックリしました
私が悩みに悩み抜いて見つけ出した答え、ネットのどこにも転がってない答え

その答えに辿り着いた人が、私以外にもいる


私がごく限定的な思考や状況をよく題材に使うのは、この時の経験があったから

万人受けしないものは、その分刺さったときの破壊力がヤバイから
刺さったときに、刺さった誰かへの本気の救いとなるから







しかしながら
上記の『理解者』であること以外には、むしろ違うところばっかり

私のやり過ぎ家事育児メンタルも

「見てて危なっかしい」
「見ててヒヤヒヤする」
「痛々しくて見てらんない」

と、心配かけたり窘められてばっかりで


でも、その関係がいい


私がnote上で作り上げてるブランディングやイメージを貫通して、『1人の同い年』としてみてくれる


よくよく考えると、同い年のママ友って初めてなんですよね、リアル含めて

1人の危なっかしい同級生として、アゲもサゲも賞賛も批評もなくみてくれる
その関係が実に善き







この文章を書くに当たり、久々にポンさんのところを巡回していたら、この記事と再会しました



「好きなことって何だったっけ?」って、思い出せなくなっているかもしれない。
「楽しむ筋肉」って、使わないと衰えるんです。


(中略)


だから私は、忙しい時こそ好きなことをする。
自分の時間を確保することで、他責じゃなく、自分の人生に責任を持てる気がする。

好きなことをする時間は、贅沢じゃない。
未来の自分に「よくやったね」と言ってもらうための、今の自分への義務です。

好きなことを後回しにする癖は、人生そのものを後回しにしてしまう。 より


つい昨日「自分時間なんて、投げ捨ててナンボですたい!」などとほざいていた自分へ、とても耳に痛いお言葉の数々

こーいったものを私基準で押し付けがましくなく、私に受け入れやすい表現の数々で書いてくれる



でもそこを比較して、優れてるとか劣ってるとかは思わない
だって友人だから

私に書けないものを書けることを羨ましく思う、でもそこに上下なんて発生しない
だって友人だから

厚かましくも友人と思ってるのは私の方だけかも…なんて、疑いもしない

だって、友人だから










noteを通じて、『ママ友』というべき存在は増えたと思ってます

でも『ママ』を抜いた、ただの友と考えたとき
家事育児の軸を抜いたとしても、何も変わらない関係性を想定したとき


それでも友人だと言える人は、なかなか多くないんじゃないか

それでも友人だと言える関係ってどんなだろうと考えたときに浮かんだのが、今回のポンさん


きっかけは同じ悩みと苦しみの共有
でも、そこで関係は終わらなかった

むしろ今では、その話題になることの方が少ない

でも確かに、自分と同じものを持ってくれている


その大前提が下地にあるから、その他が違うことだらけでも、他の誰とも違う安心感がある





私にとってポンさんはそんな人

そして、そんな友人を得られたことを、私は本当に嬉しく思っています


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