自己投資をしないとどうなるか、結婚10年を振り返る
【自己投資】というと、とても意識高い言葉に聞こえると思います。
しかし実態は、そんなに意識高く、小難しくなく
【自分にカネと時間をかけないとどうなるか】
そんなお話です。
そもそもどうしてこうなった
まずさかのぼること10年前、2015年3月31日。
交際を始めて1年も経たない私と嫁さん、めでたく入籍いたしました。
年度末の混雑する区役所の終わり間際に駆け込んだのも、今では良い思い出ですねぇ。
その時私は無職でしたが。
元々お互いパートの職場で出会った私と嫁さん、結婚するなら正社員として身を立てねばと一念発起、転職をかましたもののブラック過ぎて、、、
これでは結婚生活維持できんわい、と入籍1ヶ月前のタイミングで退職。
思えばこの状況が、のちの自分を生んでいた。
この状況下で迎えた結婚生活、今に続くまで私の根幹にあるものは
こんな稼ぎの悪い旦那についてきてくれた、そんな嫁さんを幸せにせねば
ちょっとでも楽させてあげねば
➡【そのためには自分の幸せ削ってナンボじゃい】
嫁さんにはちょっとでもいい思いしてもらわなくちゃ。
したいことあるなら何でもさせてあげたい。
せめて得意な家事くらいはどんどんやって、楽させてあげなくちゃ。
この考え自体は、多分きっとそこまで問題ないもの。
問題は、それを実現するための手段が、自分のリソース削って嫁さんに全投入するというものだったこと。
結婚後、自分の趣味を減らしていき、休みの日も黙々と家事にあて、自分の楽しみにかけるお金を年々削る日々。
贅沢は敵である、それで嫁さんの笑顔と幸せが守れるなら。
嫁さんの幸せが自分の幸せ。
嫁さんに着飾ってもらい、自分はボロ纏いで十分。
『何世代か前の主婦の価値観よ?』と、かつての職場の先輩ママによく言われたものです。
そうしてこうなった
さて、こんな生活を10年続けているとどうなるか。
空っぽになるんです。
何年も変わらない服を着て、何年も変わらない本を読んで、何年も変わらない音楽を聴いて、何年も変わらない生活をする。
服や本は、物質の象徴です。
身に纏うもの、実際に利用する現物的なものに対する金銭的投資。
これを疎かにすると、何年もアップデートされていない、何年か前の自分と同じ自分をひたすらに繰り返すこととなる。
音楽や生活は、内面の象徴。
新しい趣味や生活習慣、機会に対する時間的・精神的なチャレンジという名の投資。
新たなものを得ていないから、代わり映えのない価値観の中をループすることになる。
どちらにも共通するのは、10年間での新たな自分の積み増しが乏しいので、結果、結婚前までに蓄えた財産を取り崩すだけ日々なのだということ。
もしその幸せが成立しなくなったら?
それでも私は幸せでした。
だって嫁さんが大好きだから。
嫁さんの幸せが自分の幸せ。
嫁さんが一緒にいてくれればそれでいい。
その分、たまに嫁さんが幸せを私にくれればいい。
具体的にはセックス。肉体的・精神的な充実感。
それが無理ならキスやハグ。愛情をもった接触。
贅沢すぎ?じゃあせめて頭ポンポン肩トントンみたいなラフな接触。
なんでそこまで?だったらつらい時や1日の終わりに、元気になれる言葉をくれたら。
面倒?それならもう少し譲るから…………
そう、嫁さんが幸せをくれないと、私の幸せは成立しない。
ということは、嫁さんからの幸せ提供がなくなった時点で、
私の価値観や人生、存在意義は崩壊するのである。
先日、とあるきっかけにより、私はそのことに気付いてしまった。
『幸せを嫁さんに依存している』と自分では表現していますが、今の私には、嫁さんなしで、自分単独で実現できる幸せの方法論が、著しく欠けているのです。
何せこの10年間、自分の幸せのためのリソースは、ほとんど嫁さんと子供につぎ込んできたんですから。
昔の蓄えは有効ですか?
だったら、昔の自分を思い出せばいいじゃない。
独身の時好きだった曲聴いて、独身の時よくしてた深夜のドライブにでも行って、独身の時みたいに好き勝手1人で美味しいものでも食べればいいじゃない。
結果から言うと、まったく幸せにならない訳ではない。
でも、充足感はまったくやってきません。
独身の頃の幸せパターン、それは20代前半だった独身当時の自分のものであって、30代中盤の自分のものではないのです。
逆に、かつての幸せを得られない自分にもどかしさを感じ、かつてこれで幸せを覚えていた日々を懐かしく、羨ましく思い、帰れない日々に涙する、そんな心境にしかなれないのです。
家族の幸せが私の幸せ、とは本当に良い言葉なのだろうと思います。
言葉や価値観自体は間違ってはいないんです。
しかし、自分の幸せの拠り所を家族に依存してしまうと、
自分ひとりでは自分の幸せを生み出せなくなってしまうのです。
まだ間に合う
この事実と向き合い始めてから半月ほどたったある日に、このことを私の母親に打ち明けました。
親の背中を見て子は育つ、私のこの価値観も多分に母の影響があるだろうなあと認識していたので、親として、人生の先輩として、どんな答えをくれるだろうと思った上でのクエスチョンです。
母は、やっぱりね、まあそういう思考に陥るよねといった前置きをしたあと
「でも貴方はまだ36でしょ?失った実感は結婚してからの10年でしょ?
今からなら、まだ10年くらいは取り戻せるのよ。まだ間に合うのよ。」
言外に、私はもう間に合わないけど、貴方なら、と。
10年で固まった認識や価値観を変えるのはそう簡単ではないです。
自分を変えたい、自分の幸せを自分で掴めるようになりたいと決意しながらも、今までと同じ道を通ろうとする自分がいます。
まずは、家事・仕事以外の第三の自分の在り方を見つけるところから。
その意味で、noteに自分の思いをぶつけたいなと思い始めたのは良い兆候だと思っています。
家事を頑張って早く終わらせて、やりたいことができた自分がいること。
嫁さんと子どもが介在しない、一人の人間として文章を書く時間を過ごせていること。
お金を使いたくないなら、せめて時間くらいは自分のために使ってあげたい。
ゆくゆく、自分にしっかり課金してあげたい。
自己投資は、今の自分のためでない。
10年後の自分が、豊かであるために、残りカスにならないように、かけてあげなきゃいけない、必要なお金と時間なんですね。
