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【note】『立派な軸じゃなくていい』目的を叶えるnoteの使い方

はいどうも

昨日に引き続き、主夫のnote語りです





そもそも最近『発信の軸』というものを考えてたのは、みつばさんのこちらの記事がきっかけでした


こちらの記事にて、コメント欄でみつばさんと次のようにやりとりをしまして

はみばっちょさんのように毎日更新を続けられる方々は、ある意味「ぶっとい軸」もとい「濃ゆいパーソナルカラー」をお持ちなんだと思ってます。

@みつばさん

私は正直てん子さんの背中を追っかけてるだけですよ😃
同じ道を走ってる人がいないと、ここまでできないです

私個人の軸は、エノキみたいにフニャフニャですから😂

『noteとのかかわり方について』コメント欄より


さて、『ぶっとい』と評される私の軸は何だろう
何を目指して私はnoteを書いてるのだろう


そこをうにゃうにゃ考えていたときに
昨日の文章を書く機会に巡り合いまして

うまいこと考えのピースがハマりましたので
私の実例と、似た者同士のてん子さんの記事も交えながら考えをまとめていきます



※注
私のケースは100%実例ですが
てん子さんに関するものは
100%記事ベースの考察です

てん子さん及びてん子さんファンの皆さまから
「キモッ!」と思われそうな気もしますが
必要な事なので今回文章として取り扱います








てん子さんは、割と私と共通項の多い方でして

てん子さん本人とよくコメントで話すのですが

「私たちは、通ってきた文化が一緒ですからね」

2ちゃん、mixi、モバゲー、ニコ動
テキストブログ等々

平成中期辺りの
ネット文化のメインストリートを
お互いに辿っていて

そこに、世代が近いのも相俟って

文章が、とても似るんですよ

似るというのは

・文章の構成
・話し口調の切り替え方
・皮肉やネタの差し込み方
・テンションの緩急


等々、うまく言えないのですが
『あの時代』を生きた人間が
書くとそうなるよねって文章

お互いに書くんです

なので、てん子さんといえば
『ハイテンション育児日記』が持ち味ですが
たまにニュートラル目な記事を書かれると

結構私の記事と似ています

「私こんな文章書いたっけ?」って思うくらい
違和感なく私の書き方に近いのです







さて、今回この文章を書くにあたり

そうは言っても
同じ文化を辿ってきた人間なんて山ほどいるし
同世代だってnoteには一杯いるし

なんで
てん子さんにこんなに近いものを感じるんだ?

と、考えました

というのも、その前提や根拠なしに
特定のアカウント様を題材として
文章を書くのは

ただの内輪ノリ&馴れ合いで
んなもんチラ裏かDMでやっとけよ
という事になりますので

オープンな形にする以上は
それなりの意義がないと読む側も苦痛です




そう考えた時に
私とてん子さんのもう1つの共通項として
noteを継続する軸が近い

があると気づきました

私もともとが仕事人間なのでサイボーグの如く永遠と仕事するタイプなんですが

休憩時間は勿論、家でもずっと仕事の事考えてたんですよね。

(中略)

そんな今の私の息抜きになってくれてるのがnoteです。

休憩時間の合間に息子との時間を振り返って文字を打ち込みながら1人でウフウフする時間。

案外好きなんですよね。

『【note】こんばんわ、てん子です。←これ始めて240日経ちました。』より



私は嫁さん🐹に依存していた幸せ軸を
他の何かに置き換えたいと願い

てん子さんは、自分の中に『仕事』以外の
軸があった方がいいと考え

『これまでの軸とは違う軸を自分の中に持ちたい』
が発信を続けるモチベであり軸


ここが、私とてん子さんの共通項なのだと思います



てん子さんがどうかは分かりませんが

今の私
『仕事』『家事育児』『note』以外の
自分の軸がなくてですね

もしここに、ゲームやドラマや読書や
『趣味活動』的な他の軸があったら
投稿は継続してなかったと思います

あくまで
仕事と家事育児の余力を
noteに全乗せできるから

そしてその状態が
自分のバランスを保つために
健全な手段であるから


だから
同じ軸を持つてん子さんに親しみを感じ

そして
てん子さんを追っかけながらお互いに
毎日投稿が続いてるのだと思います




昨日の記事で紹介した
ゆり先生の『モンテッソーリを広げたい』
ゆうりさんの『占いで道を拓きたい』

このような明確な軸と比べると
一見、細く頼りない軸に見えますが

エノキみたいに細くて頼りない軸の方が
実はしなやかで柔軟なのかもしれない


変に気負うことなく

『noteを軸とすること』自体で目的が成立するから
投稿が継続できているのかなと思うところ


これがタイトルに書いた
『立派な軸じゃなくていい』の由縁です




そう考えると
同じ世代×同じ文化×同じ軸

と、共感できるための材料が
これでもかと揃っているので

てん子さんに対し
他のアカウント様と違う何かを感じるのは
ある種必然なのかなと感じた次第です








かつてmixiやってた頃

「はみばっちょは、重い話を重くならないように
書いて伝えるのが上手だよね」

と、人から評された事があります

それは多分今も変わってなくて

そして、そこもまたてん子さんと共通する部分


適度に皮肉やユーモアを交えながら
自分の感情を100%直球で乗せないように

ハルヒあたりのラノベ文化を見事に擦った書き方


見る人が見ると
『意外と本音出さないよね』
『実はあんまり人を信用してないでしょ』

と言われたりもするんですが


無用の波風を立たせないよう
ネガティブの矛先は自虐という形で
自分に向かうよう保険をかける

そうする事で、読み手の感情を
ある程度コントロールする書き方


こういった書き方って
通信講座みたいなハウツーも無く
小論文みたいな訓練も無く

ホントに、通ってきた文化で身に付くもの

探そうと思って探せるものではないんですよ

世代が同じ
文化が同じ
軸が同じ

そんなアカウント様が
同じ『育児』というフィールドにいる



家事育児アカウントで活動される方は
自分と共感できる発信を探したい』
『自分の境遇/感情を共感してほしい』
という目的の方が多いと思います


そこからいくと、私とてん子さん

『家事育児』という軸からの共感よりも
『活動軸と方法論』という軸の共感が強く


そういった相手と偶然出会えるのもまた
noteというプラットホームの醍醐味かと思います











収益化や啓発だけが軸ではなくて

色んな軸の持ち方があって

軸の持ち方で発信の価値が変わる事もなくて



ただ、それでも
『投稿』という活動を続けようとした時に
どこまで走ればいいか不安になります


そんな時、同じ軸を持って
同じ道を走ってる人がいる


意外と、そのくらいのモチベでも
いいのではないのかと思います



しんどくなったら手放せばいいだけです

義務感になってしまうと
自分にも相手にも重たくなってしまって


所詮は顔も名前も知らない誰かさん


そのくらいの方が色々気楽です












と言うことで

「平成ネット文化の生き残り仲間がいる喜び」

という一見ワケわからない概念でも
それなりの活動軸になるというお話しでした


後半は平成ネット構文の解説だった気も
しなくもないですが


元々持っていた活動軸に
てん子さんという仲間がいたという軸

これが掛け合わさって
今のところ、私は続いています


元々持っていた軸については
もう少し、深掘りしたいところです


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