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『その苦しみは、誰が起こしたの?』

「その苦しみは、誰が起こしたの?」
「それは、本当にコントロールできたの?」


問いを深くたどるほど見えてくる。
天気を操れないように、
出来事も、人の心も、思い通りには動かせない。

コントロールできないものを、
コントロールしようとして、苦しかったんだね。

たとえば、私の苦しみ。
「言葉が怖い」「うまく話せない」
それは、父の暴力的な言葉がきっかけだった。

私は長いあいだ、こう思っていた。
「この苦しみは父のせいだ」と。
もし父がいなければ…
もし母が父を選ばなければ…
そう考えて、父や母を責めたこともあった。

でも──母はなぜ父を選んだのだろう?
そこには理由があったはず。
優しかった。守ってくれると思えた。
そのときの母は、ちゃんと愛を信じて選んでいた。

では、父はなぜ暴力的になってしまったのだろう?
父もまた、自分の父を早くに亡くし、
深く愛を感じられずに育ったのかもしれない。
本当は愛がほしかったのに、
その孤独をどう表せばいいのか分からなくて、
不器用に怒りを選んでしまったのかもしれない。

こうして見ていくと、
誰を責めるでもない。
ただ、起こるべきことが起こっていただけ。
結局、誰も何もコントロールできなかったのだと気づく。

過去は変えられない。
結局、誰のせいでもない。


だからこそ、今の私にできることはただ一つ。
その苦しみにただ寄り添うこと。

「よく頑張ったね」「怖かったね」と
やさしく抱きしめること。

それを繰り返していくうちに、わかることがある。

苦しみは、結局“愛への願い”。
だからこそ、愛で抱きしめて、愛に返すしかないのだと。


そして、苦しみは愛に返され、心は癒されていく。
泣く子供を抱きしめて癒すように。

私はこうやって苦しみを癒してきた。
父への憎しみも、母への苛立ちも、今はもうない。

だから──
あなたもどうか、自分自身の苦しみに問いかけてほしい。

その苦しみは、誰が起こしたものだろう?
それは、本当に誰かがコントロールできたことだろうか?

問いかけの先に、やさしい気づきが待っている。
苦しみを抱えた自分ごと、愛へと還っていけるように。

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