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【びわ湖疏水船の旅】トムクルーズが行く

ずいぶん昔、京都を一人旅している頃、蹴上インクラインの先に立つ田邊朔郎氏のハンサムな銅像に一目惚れした。

それ以来、琵琶湖疎水をずっと辿ってみたいと思い続けて来た。

ある初夏の日、その念願叶い、琵琶湖疎水船に乗って、琵琶湖から蹴上まで水路を辿ることができた。


ガイドさんの名前はトムさん。

どう見ても日本人で多分京都の方だったけど、名前の理由はすぐにわかった。


「トムのクルーズ、トムクルーズへようこそ!」的なご挨拶を頂いた🤩
なるほど!

ベタで素敵だ👍💕


その日は雨が降ったり止んだり。

荷物が濡れないように荷物用のビニールをもらったが、屋根があるので全然濡れなかった。

乗船は琵琶湖からすぐそばの第一取水口から。

琵琶湖疎水船は、ゆったりとしたクッションのよい席が、左右背中合わせに並んでいる。背中合わせの席の間に荷物置きのスペースがある。

トムさんの解説が楽しい。そして情熱的。

長いトンネルをひたすら潜って進むのだが、知らないことをたくさん教えて貰った。



琵琶湖の水を京都まで持ってくるのは、織田信長も豊臣秀吉もやりたかったことだそうだ。


それだけ、琵琶湖から水路が通ることで、水運や用水の活用など経済的なメリットが大きいのだろう。


しかし、山を挟む長い距離の水路を通すことは、膨大な費用、人材、高い技術、年月、その他もろもろの条件を揃える必要がある。

長い水路を作るという単純な話ではない。

大津から京都まで、山を穿ちつつ、僅かな高低差を利用して水を流さなくてはならない。綿密な計画と高い技術が必要だ。


その壮大な事業を計画したのが、第3代京都府知事の北垣国道氏である。


第一疎水の工事は1885年に着工され、5年後の1890年に完成した。

当時、大学卒業したての青年田邊朔郎氏が土木技士として採用された。
アメリカの水力発電等の技術を視察した田邊氏らは、当初予定されていた風車ではなく、最先端の水力発電の建設を提言した。


この頃の技術者たちの、最先端の技術の習得と実用化への情熱は凄まじい。

また、そのような技術者たちの気概を実行に移せるだけの行政のサポートがあったのも大きいだろう。


そうして、琵琶湖疎水と合わせて日本初の発電所も作られた。

その電力で、日本初の電車が動いたという。


疎水を利用した電力は産業の発展にも貢献し、京都から京セラやオムロン、島津製作所、ワコール、他にもたくさん世界に名だたる大企業が生まれた。


明治の人々の気概と情熱が作り上げた琵琶湖疎水を辿る旅は壮大であった。


トムさんは、他にも興味深いお話をたくさんしてくれた。


飲料水用の水路は、疎水の通る水路とは別に地下深くを通っているのだそうだ。


疎水舟が行き交っていた頃は水路全長にわたってロープを通し、船頭さんが手で引っ張りながら舟を動かしたという。


そして、一番びっくりしたのは、ある時期までは、琵琶湖疎水のある場所は、プール代わりに使われていたらしい。

それを聞いたお客さんが3人くらい、おれ、泳いだよ!と言っていた。

すごい!いいなあ!


明治時代に手掘りで掘ってレンガで作り上げられたクラッシックなトンネルを抜けると、緑いっぱいの景色が広がる。

そのうち、こんもりとした緑深い山の横を通り過ぎた。


なんと、天智天皇の御陵だという。


天智天皇は乙巳の変で有名な中大兄皇子である。飛鳥時代の天皇だ。


どうしてその御陵が奈良ではなく山科にあるのだろうかと不思議に思い調べてみた。


あくまでも一説によると、という但し書きがつくのだが、なんと、天智天皇は山科の森に狩猟に出たきり、消息不明となり、片方の沓が残されていた場所に御陵が築かれたという。なかなかに衝撃的な逸話である。

疎水船で御陵の横を通らなければ知らなかったろう。
だから旅は面白い。


また、天智天皇の近江大津宮は、琵琶湖のほとりにあったので、琵琶湖疎水が琵琶湖から天智天皇の御陵そばを通り京都まで繋がっているのは、明治時代の人々のリスペクト的な意味合いもあったのかなあ、などと思った。


琵琶湖疏水の終点はクラッシックな建物の前だった。


さて、蹴上で琵琶湖疎水船を降りて、そのまま疎水沿いを歩くと、水路閣まで出た。


水路閣から階段を降りていくと南禅寺境内である。


初めて水路閣を見たときは、そのローマの水道橋のような姿がすごくカッコいいと思った。

その時初めて、琵琶湖疎水と蹴上インクラインのことを知ったのであった。

今回は、無料で入れる琵琶湖疎水記念館にも行ってみた。


琵琶湖疎水船で琵琶湖のほとりの取水口から蹴上まで辿ってきた道のりを、展示されている地図や情報として再び辿ることができた。


しかし、ひとつ衝撃的な事実も明らかになった。


なんと、田邊朔郎氏は、琵琶湖疎水を計画し実現させた京都府知事の北垣国道の娘さんと結婚していたのだ、、、

なんと、20年越しの失恋である。

そうかあ、なぜ大学卒業したばかりの、実績のない田邊朔郎氏が、こんな大事業の技師に大抜擢されたのか、不思議に思っていた。
優秀だったのもあるだろうし、当時最先端の技術を学んだ技師の少なさもあるだろうが、娘婿(候補?)だったから、という要素が大きかったのかもしれない。どちらにしろ、先見の明のある北垣氏と、類まれなる能力と情熱にあふれた田邊氏の出会いは、時代が引き合わせた幸運な奇跡である。


若き日に辿って見たいと思った琵琶湖疎水を巡り、過去の仄かな恋にも決着が付いた、楽しくもほろ苦い旅であった。

でも、とうとう琵琶湖疎水を辿ったぞ!という達成感は素晴らしかった。


琵琶湖疎水記念館の前で勢いよく吹き出す噴水は、琵琶湖疎水の高低差だけで吹き上がっているそうだ。


また、すぐそばの京都市動物園にも、疎水の水が引き込まれているので、きっとカバさんも疎水の水でおよいでるのだろう。今度行ってみたいな。


琵琶湖疎水船から見る風景は、桜や紅葉の季節は格別に美しいそうだ。


次は桜の季節に乗りたいものだ。






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