星の砦に眠る人
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朝早く目が覚めた。
窓の外を見ると、函館市電の軌道が千代台方面に続いていた。

手前に土方歳三最後の地碑640mと記載された看板が手前にあった。
そう、一本木関門のある若松町はここからすぐの場所にあった。
なんという偶然。今回の目的にピッタリの場所である。

そして、一本木関門のある若松町はすぐ近くだった。
さて、朝ごはんは6時30分からである。
宿泊者は無料で食べられる。なんとありがたい!
朝食会場は2階で、窓から正面に成田山函館別院が見えた。
すごいロケーションだ。
朝カレーとソーセージ、野菜とゆで卵、焼きたてパン、牛乳やオレンジジュース、ウーロン茶、そしてコーヒーなどがあった。
あっという間におなかがいっぱいになり焼きたてパンまでたどり着かなかった。
あさごはん美味しかったです。ごちそうさまでした!

お腹がいっぱいになって、ものすごく眠くなった。
少し食休みのつもりが、結構眠ってしまった。せっかく早起きして朝ごはんを食べたのに、9時くらいまで眠ってしまった。
当初はホテルから一本木関門、中島三郎助父子終焉の地を通り五稜郭まで歩くつもりだったが、11時からのお花見ジンギスカンに間に合わなくなってしまう。それで、五稜郭でお花見をした後で、中島三郎助終焉の地、そして一本気関門を通ってホテルまで戻ろう、と予定を変更した。
結果的に、この調整が胸熱な展開になるのである。
ホテルを出て右前方に市電の駅「松風町」駅がある。やってきた路面電車に乗り、「五稜郭公園前」で降りた。そこから少し歩くと、五稜郭タワーが見えてくる。

函館には大切に守られてきた歴史的な建物や史跡がたくさんある
北海道新聞社前の銅像が出迎えてくれる。
右は土方副長だと思う。
左は新政府軍の若き兵士にも、共に函館戦争で散った若者の一人にも思える。
そして北海道新聞社のビルに「ゴールデンカムイ」の文字が!

傍らの銘板には、原子修さんの詩が
「戦火をこえて 若き星ふたつ 未来の空に またたかん」
ゴールデンカムイの街路灯フラッグがはためいていた。
今、函館はゴールデンカムイ祭りなのだ!いい時に来たぜ。

手ぶらお花見ジンギスカンの予約は11時からなので、時間までまずは五稜郭を少しだけ散歩することにした。
桜はどんどんと散っているので、早くいかなくちゃ、と気持ちばかりが先に行く。
身体が自然にそこに向かう。
初めて五稜郭を訪れた時、桜が雪のように散っていた、この場所である。


松の向こうには1864年の五稜郭完成時に建てられた、土壁造りの土蔵がある。五稜郭で唯一当時のまま残った建物である。

わだちは、兵糧庫から上の堡塁へ食糧などを運び上げる際にできたものと思われる。
私は五稜郭に来ると、まず真っ先にこの場所を訪れる。
5月11日、一本木関門で銃弾に倒れた土方副長は、ここに埋葬されたと(勝手に)思っているからである。
五稜郭には、創建当時に植えられた松が残っている。そして、この大きな松も創建当時の松だろう。
五稜郭とともに歴史を刻み、その歴史を見つめ てきたアカマツ
松原の 今昔物語 1864(元治元)年、北⽅防備や蝦夷地政策の拠点として、⻄洋の 稜堡式築城をモデルとした五稜郭が築かれ、郭内には箱館奉⾏所が設置 されました。同時に、佐渡島から取り寄せて庭⽊等として植えられたのが このアカマツです。当時、「御奉⾏所向」に444本を植えたとの記録が残っ ています。 戊⾠戦争最後の戦いとなった箱館戦争終結後、1871(明治4)年に奉 ⾏所をはじめとした郭内の建物は⼤半が解体されたため、五稜郭築造当 時のままの姿をとどめるのは、⼟塁や⽯垣、⼟蔵(兵糧庫)1棟と現存す るアカマツ85本のみであることから、歴史的価値が⾼いといえます。 アカマツは⽼⽊となり、本数は減少傾向にありますが、現在は毎年、 剪定や樹⽊医による診断を継続的に⾏い、⼤切に管理しています。 都市公園「五稜郭公園」としても親しまれる五稜郭跡のなかで⽬⽴たな い存在ではありますが、今も五稜郭跡とともにその歴史を刻んでいます。

初めて函館に行った時、土方副長はどこに眠っておられるのだろう、といろいろ調べてみた。
土方副長が銃弾に倒れ、旧幕府軍の敗北が決定的になった翌日、隻腕で戦い続け致命傷を腹部に負っていた伊庭八郎様は、モルヒネをあおり自決したと言われている。
後に、「伊庭八郎を偲ぶ会」で、出席者の一人が「八郎君の墓は箱館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らにあり。」と語ったそうだ。また、大正10年9月刊行の片上楽天著『五稜郭史』では「一本松の土饅頭を合葬地とし、伊庭八郎もその中に埋葬された」と記載されている。
降伏する前に、日を前後して逝ってしまったお二人のご遺体を、新政府軍から速やかに隠す必要があった、ということを考えても、まずはここに埋葬されたのではないか。
1)五稜郭内説
五稜郭町。五稜郭内管理事務所西側奥の土饅頭。
小島鹿之助『両雄士伝』に「従士、(歳三の)屍を担いて五稜郭に還り、壙を穿ちて之を葬る」とある。さらに、明治32年9月10日、上野東照宮で開かれた「伊庭八郎を偲ぶ会」でその出席者の一人が「八郎君の墓は箱館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らにあり。」と語った(『旧幕府』3巻8号)。大正10年9月刊行の片上楽天著『五稜郭史』は一本松の土饅頭を合葬地とし、伊庭八郎もその中に埋葬されたとしている。すなわち、歳三も同所に埋葬されたことになる。
その後、明治11年の土塁修復工事の際に夥しい遺体が発見され、それらはすでに願乗寺へ改葬されたらしい。この時、発見されたご遺体は五稜郭から改葬されたのかもしれない。
しかし、この一本松の土饅頭だけは、手つかずだったのではないか・・・
桜の五稜郭を訪れた時、一本松が守る土饅頭に向かって雪のように降る桜の花びらがあまりにも美しくて、私はそこに土方副長が眠っておられるのだ、と思った。
五稜郭に行くと、必ず真っ先にここに行きます。
— 旅空海美 (@tabisoraumi) May 11, 2026
兵糧庫の裏、一本松が守る土饅頭に、伊庭八郎様と共に土方副長も眠っておられるに違いないと、なんとなく思っているからであります。
松に守られた盛り土に、花びらが雪のようにやさしく降り続いていました。#五稜郭#土方歳三#suno pic.twitter.com/AUfFD7W3iD














桜の海のような五稜郭を歩き、土方副長に会えたような気持ちになった。
我々は急ぎ足でジンギスカンの受付の場所に向かったのであった。
続く
