「書字」についての考察①#うちの子の場合
はじめに
息子が小学校入学直後から登校渋りが始まったことで、スクールカウンセラーに相談した折、"ギフテッド”、"高IQによる生きづらさ”、という言葉を初めて知りました。
(後に受けたWISC検査で、言語理論凸とわかる。指標間の差が広い)
タイトルにある通りなのですが、
そんな特性からくるのか、低学年から中学年まで、ずっと私の頭を悩ませ、最も疲弊させた、「書字」「学習」の困り感は、結局、一体なんなのか、と思っていることを書きました。
あくまでも、うちの子の場合です。
小学5年生の息子は、言語理解が高い凸、指標間の差が開いていることが関係しているのか、一般的な学校で学ぶような進め方が合わないことが多いです。
今は、低学年のときに抱いていた"学習の困り感”とはまた別のフェーズになりました。
(困り感がなくならないもどかしさ…)
結論から言いますと、
息子は、今、美文字ではないものの、「書字」の苦手はないと思います。
そして、今のところは「学習」の遅れもありません。
詰まる所、
本人のやる気なのか、
興味が湧くかの問題なのか、
非同期発達ってこういうことなのか、
微細運動の改善なのか、、
いずれにしても、
低学年時代の勉強の拒み方から思うと、自然に"漢字"を書いてることが不思議でなりません。
いつも、母の学びとは全く異なる角度から、息子は成長していきます。
一般的な成長予測は出来ないです…。
完全不登校になった小学3年生のとき、息子の字をみて、私は、学習障害を疑いました。
漢字を覚えるのが苦手、字を書きたがらない、小1の漢字も、カタカナも覚えてないという状況で、意味がないからやらないのではなく、"出来ないから書かないのではないか"と思ったのです。
でも、彼は今、
自ら字を覚え、書いています。
言語理解が高い凸であることで、指標間の差が大きく開いているケースの場合、
"「読む」はできるが「書く」は苦手"
という特徴を持っている場合が多いようです。
理解力は高速回転しているので、それを処理する能力が追いつかず、
結果、"面倒くさくなる”のではないか、との見解を聞いたことがありますが、"面倒くさい"
というのは一理あると感じます。
全てではないにしても、彼の苦手や困り感に影響しているのは明らかなんだと思います。
高学年になり、
息子は自分の意思で鉛筆を持ちました。
そして、自分の苦手や弱みを、自分の強みで工夫しました。
何かを超える力は、どこまでも、こども自身の中にあることを教えてくれました。
親も苦しめる「宿題」の存在
小学校入学直後から登校渋りが始まった息子ですが、同時に、特に強い拒否感を表したのが「宿題」の存在です。
漢字1字を練習するのに、大袈裟ではなく、
何時間も泣きながら拒絶をするのです。
ついこの間まで幼稚園だったことを思えば、集中して座っているのが辛いのかな、等と思っていました。
でも、状況は悪化の一途をたどるばかり。
登校さえすれば、学校でそのような姿を見せることは一切なく、普通にノートに板書をしているのですが、やはり「宿題」はやらない。
家庭の中では、息子は「やる必要ない!」の一点張りで、鉛筆を投げる、折る、泣き叫ぶ。
「いいから、座ってやりなさい!」と私の怒号が飛ぶ。
地獄絵図です。ホント、辛い…。
この「宿題」について、
後に読んだ『ギフテッドの個性を知り伸ばす方法』(編著 片桐正敏)の中で以下のように表現されていました。
本人はもとより 保護者にも大きなストレスとなるのが学校から課される日々の宿題です。
〜中略〜
その深刻さはなかなか伝わらないのですが、 ギフテッドの宿題の拒絶ぶりは生半可なものではありません。特に小学校低学年の頃は、10分もあれば終わりそうな課題が何時間経っても進まず、あげく逃走、号泣、ふて寝⋯。
こんな日々の繰り返しに天を仰いだ経験を持つ保護者は多いのではないでしょうか。
まさに、わが家の日常のような光景がそこにはありました。
「わかってくれてる人がいた」(泣)
「うちの子だけじゃないんだ」(泣)
と、目に涙を浮かべずにはいられませんでした。
学習の習慣化は難しい
息子が小学1年生のとき、スクールカウンセラーから発達検査をすすめられていたものの、踏み切れないまま、結局、WISC検査を受けたのは、息子が小学3年生の夏です。
その時には、もう学校には行っていなかったため、息子へのアプローチは、
「二次障害を防ぐ」
「学校以外の居場所を探す」
が、最優先課題となっていました。
またしても「学習習慣をいかに作るか」との課題は、どこから手をつけていいかもわからず、いつも私の頭の片隅に追いやられていき、試行錯誤の日々へ突入。
ただ一点、
指標間の差が開いていることが原因か、
息子にとって、"字を書くことは、猛烈に疲れる苦行である”ということだけは、わかっていました。
五月雨登校をしていた2年生の時、
今後どうしたら登校出来るか模索するべく、担任の先生と息子との三者面談をして頂いたことがあります。
その折に、先生から、
「こう言ってはなんだけど、授業を受けてない割にテストはよくできてるね。君は学校にきて勉強したらすごいぞー」
と励ましをもらいました。
きっと、1、2年生くらいの内容だと、理解の早い子は生活の中で身についているのかもしれません。
もう定年を迎え、嘱託職員として担任をしてくださっていた男の先生でした。
先生の娘さんは、小学1年生から中学3年生まで不登校だったそうです。
それがある日、突然、高校から勉強をはじめ、就職をし、この度ご結婚される、とのこと!
「学校行ってなくても、なんとかなるもんです」
そんな、身の上話をしながら、折あるごとに声をかけてくださいました。
とっても有り難かったです。
今は"興味の種”を蒔くとき
専門家からは「書く」以外の学びかた、パソコン等の活用を勧められましたが、それすらもやりたがりませんでした。
学校の匂いがするような「勉強」ではなく、その時は、様々な体験から感じる「学び」に重きをおくことを中心に考えていきました。
専門医やスクールカウンセラーのアドバイスもあり、この時期は、息子がやりたいと言ったことは、可能な限りやらせました。
可能な限りとは、無論、、、
親、特に母である私の「体力、時間、経済面、心の余裕」
これが、可能ならばということですが…
本当に、疲れます。
でも、それ以上に、
学校に行っていない息子が、やってみたいことをやって、キラキラと目を輝かせる姿、
満面の笑顔で笑う表情、達成感、満足した顔、その姿をみることは、鬱々とした日々を吹き飛ばすような瞬間でした。
公園で元気に走りまわる姿、道行く人たちは、たぶん誰も、彼が不登校だなんで思わなかっただろうと思います。
アンダーアチーバーってなに
"ギフテッド"という言葉が与える、特異な才能を持つ子、天才、そのようなイメージのほうが世間では先行しているので、いつも息子を表す言葉に困ります。
そういう世間一般の捉え方からみれば、息子はギフテッドではありません。
この困り感、伝わる人にしか伝わらないのだろうと思います。
"IQが高いなら、勉強できていいよね"
と、多少なりとも先入観を抱かれやすく、
それをいちいち、
"いやそんなことないよ…,色んなタイプがいてね。うちは、漢字書けないしね…。ていうか勉強しないのよ"
なんていう、自虐ネタみたいなシチュエーションだけは絶対に避けねば、と思い、とりあえず、わかる人にしか言わないと決めていました。
更に、複雑な課題として、
「このまま何もしないで放っておいたらIQは下がる一方」※諸説あると思います
「高学年になるとホルモンバランスの影響もあって、いよいよ言う事聞かなくなる」
(予告が、怖っ!)
「5年生くらいになると、周りと自分を比較して落ちこみやすくなる」
「学校以外の場での学習習慣の確立をいち早く作るように」
との主旨の助言を、専門医や、カウンセラーから受けました。
IQが下降するとはどういうことなのか、様々な情報や本を読んでいると、「アンダーアチーバー」(知能水準などから予想されるより、低い学力を示す子供)とありました。
学校に行っていなくとも、同調圧力は気配で感じます。
学校に行かないことを選んだのは息子自身ではあっても、心の底では、どこか引けめを感じています。
そこに輪をかけて、
"僕は勉強が出来ない"という気持ちを抱かせることは、
自己肯定感、自己効力感を奪っていく危険な要因になると思いました。
"それだけは、絶対に避けねば…!"
学び方は、1つではない。
学校が教える学び方にこだわる必要はない。
教える側が、個にあった、学び方の引き出しが多ければ多いほど、救える子は多い。
あー、その技術は、私にはない…。
その引出しがほしい…。
エネルギーが有り余ってる小学生男子と向き合う、体力がほしい…。
学習に関して、私が出来ることと言えば、
「学校に行かないことと、学びをやめることは違うよ」
「0ゼロと1 では大きな差があるんだよ。
学びを0ゼロにしない」
と、何度も何度も伝えること。
食事と睡眠のリズムをまもること。
彼が安心できる、
家族以外の第三者機関を急いで探すこと。
長くなりましたので、
続きは、次回にしたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
