たくろうと決別するために
M-1グランプリ 2025終幕から1週間、かなりの時間をM-1ないし優勝者「たくろう」に関するコンテンツに溶かしてしまい色々とマズイ。生活改善のためにアプリを消し遮断していたTwitterにあっさり復帰して暇さえあれば関連ニュースやツイートをさがし、審査員や芸人のYouTubeコメントを巡回し、振り返りポッドキャストを四六時中流しながら作業している。
これは日常生活に支障をきたす。年末の休暇を前に一旦全てをここに書き出し、たくろう漬けの日々に区切りをつけるためにこの文章を書いている。
応援していた、と言いたくなる二人
所用によりM-1をリアルタイムで見られなかった12月21日、放送時間直後にスマホで「M-1」をGoogle検索して真っ先に目に入ったのはへにゃっと笑う茶色シャツおかっぱと口をニカッと開けた眼鏡のパーマ、つまり「たくろう」の二人。一瞬、まだ1番手の情報しか出てないのか?優勝はだれ?と思ったら、なんとその二人こそがチャンピオンだった。
今年のM-1は たくろう・ドンデコルテ・今夜も星が綺麗 のおじさん人間味漫才師達に両手を組むよ
これは決勝進出者が発表された日のTwitter下書き。なぜ投稿しなかったか?その心理には、普段お笑いにあまり触れないのにM-1だけ騒いでいる感じになるのが恥ずかしい、といういらぬ心配のほかに、どこかで優勝はないかなと「予想を外す」発言をすることへの抵抗があった。いうまでもなくとんでもない失礼と自意識過剰。実際にTver配信を追っかけで見ると、見事なまでにはずれなくウケて圧倒的に優勝していた。
でもどこかでモヤモヤする気持ちがあった。それは「今までだって面白かったのに」というこれまでの不遇に対する疑念と「私は知ってた」というどこに張っているのかわからない見栄によるものだった。たくろうの優勝は嬉しいのに、自分の浅はかさに嫌気が差した。さきの下書きも投稿しておけばよかったなぁなど、思えば思うほど情けない。
たくろうにハマったのは2021年。M-1の予選動画をYouTubeで見られることを知り片っ端からさらっていたときだった。子供の頃からうっすらお笑い好きではあったものの、バラエティ番組の台本通り進めている感じが苦手で10年近くテレビからは距離を取っていた私にとって、ネタだけを次々にみて苦手な人はスキップできるオンライン視聴はかなり理想形態だった。その中でボケとツッコミの形式を取り払い、人前に出ることへの違和感を隠そうともしない(ように見せる)人物とその可笑しさをただただ受け流す相方は傑出していてすぐに他の動画もディグりまくった。
以降毎年M-1動画で活躍を楽しみにしていたものの準決勝の有力候補にすら名前が挙がらず、応援している自分ごと日陰者にされたような卑屈な気持ちがあった。そんななか、今年はトントン拍子での決勝進出。勝ち上がり組の動画は公開されない方式に変わったために、祝福や喜びよりも一体何が起きている!?という戸惑いが大きかった。準決勝は配信を買ってたしかにウケているのは確認していたが、「いつも通り」面白くて最高だなと思うにすぎず、決勝についてもどこか田舎のチームが全国大会に出たときのような「よかったねぇ」という爺婆的な気持ちだった。それがまさか。
しかし気付いた。優勝決定後にこの「言いたくなる」気持ちになっているのは私だけではないのでは?非芸人によるポッドキャストやコラムを中心にM-1振り返り系のコンテンツを巡っていると「前から面白かった」「三連単に入れてた」「ようやく」などと後出しで語る人たちは自分の意地悪い心を抜きにしても例年より多かったと思う。彼ら達の発言の真意はそれぞれのコンテンツごとに行間を読むこともできるが一旦それは置いておき、たくろうという主体について考えた。手短にいうと、たくろうのトレードマークである「挙動不審さ」の主体性の操作とその不全が魅力である、という論旨になる。
これまでの赤木は本当に「勝手に挙動不審」だったのか?
優勝確定後、ネット上ではミルクボーイ駒場氏の以下のコメントが的確だったと話題になった。
今回のは挙動不審にさせられているから挙動不審になる意味があったと思うんです。今までも挙動不審ではあったんですけど、勝手に挙動不審やった。でも今回はきむらバンドの変な誘いに乗らされて挙動不審になるから言葉がおもろいのはもちろんのこと、立場も仕上がってるのでそらおもろいよなっていう
このコメントがあったからこそ2本目の会場ウケに繋がった、とまで分析する人もいた。けれど、きむらがやりたいことに赤木がよくわからないまま付き合わされるというフォーマット自体はコンビ結成当初から変わっていない。
2017年(結成2年目?)の美容院ネタ&バイト面接ネタ。赤木は何もわかっていなさそうなままその場しのぎで喋る。つかみのスタイルも当時から確立されている。
この巻き込まれ感と赤木のキャラがずっと変わらなくて最高と思ってたけれど、あらためて過去の動画を見ると昔は口から言葉が溢れるようでヤーレンズ楢原のままなってないVer.感もある。 それよりも近年や今年のネタはより一層「きむらの欲しがっている反応を探り探りやっている」感が強い。
2022年の野球漫画ネタ。きむらの意図を汲もう顔色を伺う所作とメタで赤木自身の目線をキープしているニュアンスが付加されている。
駒場氏のいう立場のわかりやすさは確かにあるが、それは新しく導入されたものではなく、より明確になったというグラデーションの問題にすぎない。それよりも(またはそれに加えて)、挙動不審が染み出してしまう意に反した主体性か、一応選択はしたうえで差し出す受け身かの違いがより明確で、後者の方が会話が成立している分、安心してみられるということがキーなのではないか。赤木はR-1でも2024年準決勝まで進んでいるが、会話がない状態でのピンネタはどうなっているのか見てみたい。
「技術」「演技力」は本質か?
先の議論の通り、たくろうは基本的にやっていることを結成当初から変えていない。これは彼ら自身の口からも繰り返し語られている。
今年の予選インタビューでも「一番何も変わってない。一生もうこれ」
今年優勝してなかったらガラッと変わってしまっていた可能性は…あったのか?
このベースの部分でたくろうの魅力を支えるものとしては、まず赤木のキャラが挙げられるだろう。大吉氏のコメントにもあるように、練習を重ねて10年同じことをやったうえでなお「挙動不審」を舞台でやれるのはとんでもない演技力だ。
漫才なのでもちろん練習もされてると思いますけど、それを全く見せない、本当にその場でやってる感じが出てるのは本当にすごい技術だと思いました。
ただ、こうした「技術」や先述の駒場氏の言う「意味・構成上の必然性」は特に会場や視聴者の評価の全てではないと思う。「話芸」としての歴史を鑑みると、確かに演技を琢磨することは重要だろう。ただ、それでパッケージしきれない素地の挙動が漏れ出ている、その制御できてなさが赤木から感じる魅力のコアにあたる。忙しない視線、鼻を触る、それを抑えるように手首を掴むも、なお一言ごとに慌ただしく動く両手。これらの所作はインタビューやラジオなど、舞台の外でも一貫して見られる。これすら演技ならちょっと恐ろしいが、赤木の出で立ちに「一目惚れした」というきむらバンドのインタビューからもそれはないだろう。
回りまくっているインタビュー。2025年8月時点での撮影はアーカイブとして貴重すぎる。ここで見逃せないきむらバンドの魅力は後述。
方向性は違うが、ドンデコルテ渡辺銀次が舞台上でみせた謎の優雅さと、インタビューでにじみ出た一歩引いた自己への眼差しも赤木の魅力と同じ線上にある気がしている。
ドンデコルテ、ネタも最高だったけど渡辺銀次40歳独身の人間性が一番好きかも pic.twitter.com/ZsfJwvuqlD
— ケンザキ (@knzk803) December 23, 2025
分析、コンテクストの整理、周辺事象の言語化の価値が上がり続けた結果、それらには一定の様式やスキルが確立されたように思う。その中で、過去からの再構成では作り出し得ないコントロール範疇外のことが改めてみんなの日の目を見たということなんじゃないだろうか。
各媒体で見るたくろうの魅力
これまでは赤木にフォーカスを当てがちだったが、きむらバンドの人間力も見逃せない。きむらは赤木の1年先輩。ネタは完全に赤木が書くスタイルのなかで、その要求に完全に答えつつ決して「じゃないほう」の精神には収まらない。インタビューやYoutube、ラジオでは一人でも十分以上に喋りつつ赤木のフォローに回る。こうした二人の関係性がや魅力が見える各媒体についてまとめる。
ラジオ:YES-fm「木曜日のオンスト」
不覚にもこの4月からSpotify配信で全国区で聞けるようになったのを見逃していて追いかけ中。作家の清友氏とのチーム感も聞いていて風通しがいい。ワンパターンになりそうなディベートコーナーで赤木が多種多様な負け方をしていて逆にすごい。2025.11.20の回は稀代の循環議論。
Youtube:「お笑い芸人のたくろうチャンネル」
きむらバンドの地肩と気遣い、赤木のキャラを引き出す勘所が光る。ポジションが固定化して、ともすればイジメに見えなくもない企画も多い中、見ていて嫌な気持ちにならないのは赤木を「面白くしよう」とせず、「そのまんまで面白い」のを信じきってやっているからだろうか。
コラム:FANYマガジン「たくろう赤木の面白いとこ」
こちらは赤木のピン仕事で、不定期更新のコラム。赤木自身は読書からは縁遠いらしいが、なぜか読ませる文章。日常の描写から妄想まで。ネット上のアーカイブはいつ消えるとも知れないので、何かの形で取りまとめて流通させてほしい。
単独配信:「メロープ」「カーリップ」「回鍋豆腐」(2026.1.5まで)
優勝記念で過去3回の単独公演が再配信されている。このタイミングでの発売はよしもとのサービス精神と商売根性を等量に感じる。2025年2月の「カーリップ」は準決勝・決勝ネタ「リングアナ」の原始形態を見られるほか、赤木の魅力を存分に鑑賞できる幕間Vも最高に笑える。
映画:kento fukaya「冴えない男の純情」
赤木の役者デビューも囁かれるが、実はこちらですでに筆下ろし済み。このほか、例外的に若い幕末の浮浪者役でのエキストラ出演経験もあるらしい。
「優勝」の実績と「チャンピオン」の称号は等価か?
たくろうの今年の勝ち方はR-1の友田オレと似ている。R-1決勝での友田オレのテレビ露出は(ほぼ)初。見た目も若く会見の平場でも色を出さず、ポッと出の若手感からいわゆるセンス系のサラッとしたネタを期待していた人も多かったはず。しかしその実、学生お笑いやライブハウスでは実力者として十分知られていて舞台経験も豊富、全く物怖じしないし地で歌がうますぎるという予想外の安定感。このギャップは引き込まれないわけがない。
たくろうは準決勝進出後の2018年あたりには露出もあったし認知している人も多かったけど、決勝は初進出だし見た目もどうも覇気がない。去年の敗者復活にも出ていないし、決勝の場における印象はほぼ若手のそれと変わらなかっただろう。そんな2人が暗黒期を経た芸歴9年分の実力に裏打ちされたネタをやるんだから、そりゃお笑い好きは喜んでしまう。
もし友田オレやたくろうが初出場で優勝せず、翌年も挑戦していたらどうだっただろう?少なくとも今年のようなウケ方は期待できず、なにか別の戦略が必要になっていたんじゃないだろうか。それは芸人の仕事を超えてプロデューサーの職域で、とても難しいことだと思う。2年連続で王者となった令和ロマン、特に髙比良くるまのそっち方面の能力は当時から多くの人が論じているし、その後の不祥事からの復活劇を試金石としてもはやトレードマークとなっている。
5年出続ける真空ジェシカはM-1をその翌年の仕事のために顔を売る場所として公言して止まないが、その実出るたびに優勝の難易度は上げていると思う。それはそれで非よしもとの自称ニセ漫才師としてはザ・セカンドへの道筋ができて、どう転んでも盤石といったメタ自認が見える気がしなくもない。もちろん全力は出しているに違いないけど、もはや若手でもなくなってネット民の兄貴分のようになってきている真空ジェシカは、優勝したとしてどうなるのだろう。お茶の間の人気者になる気は無さそうだし、川北は作家にでもなって引っ込んでしまうのでは。
脱線した。
たくろうの優勝についてパブサすると、文句無し、とにかく面白い、という決勝での圧倒的なウケから賛同する声のほかに、たまたま今回のネタが強かっただけ、大喜利が強いだけ、という批判もあった。大喜利強いのも十分すごいじゃんと思うけど、きっと去年までの令和ロマンの「支配者」感を求める人が多いのだろう。それ以前の優勝者たちもM-1卒業後はテレビのMCやコメンテーター的な立場で存在感を示しているし、M-1優勝者=その年のエンタメ界のチャンピオン、という図式はきっと暗黙のうちに期待されている。
その点、挙動不審で虚弱な赤木のキャラをそのまんま陳列して通ったたくろうはパブリックイメージ上の「王者/リーダー」としての人気者像に合致しないのはわかる。けどそれの何が悪い?その大会で最も面白いと評価される「優勝」という実績を得ることとエンタメ界を引っ張る「チャンピオン」という役回りを務めることはどう考えたって求められる素質が違う。その二者を勝手につなげて、優勝という実績の方にまで文句を言うのは視聴者の領分を超えている。M-1優勝者を起用しようと企んでいた各社広報担当ならまだしも。私自身もたくろうがチャンピオン仕事をこなすイメージができていないのは否定できないけど、それについては2018年準決勝進出後のテレビ仕事などをうまくこなせなかったと本人自身が語っているのを見聞きしてしまっているので許してほしい。
そんなことより、彼らにとってデカいのは今後高い確率で生涯芸人で生きていけるということだろう。固定の劇場があってステータスによってそこに出続けられるよしもとの仕組みはやはり偉大で、M-1はそこに人気者を送り出す予備校または箔付けの場に仕立て上げられているという側面はあると思う。とにかく彼らが二人で漫才を続けられるということが嬉しすぎる身としては、忙しさや的はずれな批判によって彼らのスタイルが毀損されないことだけを切に願う。
余談① M-1 2026への影響、、?
金属バットとたくろうで漫才にハマったのだから壮年哀愁漫才師好きで然るべきところ、ここ2年ほど応援しているのはASH&Dの十九人とよしもとの空前メテオ。ともに二十代。二者ともいわゆるボケとツッコミではない形で、お笑い用語で言う「ニン」が全面にでている。ともに今年は準々決勝まで行きワイルドカードでは有力候補にも上がっていた。赤木のキャラを全面に出したたくろうが優勝したことで、これまでの視聴者を圧倒するタイプからその人達そのものを面白がるタイプに評価軸がずれるまたは評価枠が広がれば、この2コンビにとっても追い風になるのでは、と期待している。
十九人の2025準々決勝動画。十九人だけど二人組。去年はかなりエキセントリックなネタで準決勝までいったのに対して、今年は本人談でもM-1向けにしたストレートなネタなのに準々決勝敗退。わからないもんですね…
準々決勝動画が消えた時用の十九人参考動画。代表作。2022年3回戦敗退直後の「漫才やりたくない」https://youtu.be/lUcK_lOeG-4?si=LR2FNPJktkLai8NM も地肩の強さが垣間見えてワクワクする。
空前メテオの2025準々決勝動画。5月頃にライブ配信で見て衝撃を受けたネタがパワーアップしていてワクワクした。M-1仕様にする前のただ言いたくなっちゃっただけ、の感じも好きだったけど。
準々決勝動画が消えた時用の空前メテオ参考動画。M-1ネタと同じ持論展開の型、かつ見直したらボケ茶屋の舞台の使い方も相似だった。頼むからこういうのをワンパターンとかって批判しないでほしい。「いつもの」が面白いことってあるじゃない。
一方で、揺り戻しも怖い。「やっぱりチャンピオンらしさがないと」という(個人的には的ハズレな)空気が広がると、決勝進出常連組やラストイヤーの人気者が有利になってしまう。十九人も空前メテオも、先に述べた初出場の衝撃で勝ち切る、が狙えるはず。特に非よしもとの十九人は知名度が上がるだけでも仕事の幅は広がるだろうし、それはきっと巡り巡って彼らが重視する単独ライブの充実にもつながる。
余談② M-1の功罪、、?
さんざんここまで書き連ねてきたけれど、漫才で勝負をするな、競技漫才に偏っていくのは良くない、というM-1偏重批判には基本的に賛同している。予選動画にすらなぜか載らない面白い人達はたくさんいる。前述の十九人も特に去年までその論を公言して憚らなかった。さらに今年は「M-1ドリーム」の副作用でもある仕事量の激増に対しても早い段階で苦言が呈された。配信メディアも多様化する中、昔ほどM-1神格化の風潮もその必要性もないかもしれない。それでも、やはり劇場に足を運びづらい人口に芸人がリーチするきっかけとしては無視できない。そしてM-1のおかげで、普段部屋でひとりお笑いを見ている自分のような者が他者・世間のお笑いに対する見方や意見を知って考える機会を得ている。
その中で今年、「挙動不審」を素地として持ったまま輝いてコンビとしても稀有な関係性を保つたくろうが優勝したこと、それを喜ぶ人がたくさんいると知れたことが本当に嬉しい。
本記事作成においては、Twitter上での反応や審査員のコメントの原文検索、およびヘッダーの赤木のシャツを模したパターン画像の生成においてAIをしています。
