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昭和雑誌列伝②ゲーム雑誌の始祖テクノポリス、熱狂のPC対決

ネットのなかった時代、情報を集めるのは雑誌だけが頼りでした。書店に並べられた数々の表紙に心が躍った人も多いのではないでしょうか。昭和の時代数々のゲーム雑誌が創刊されましたが、意外にもパソコン雑誌テクノポリスが果たした役割は大きかったように思います。
今回は美少女路線前の、知られざるテクポリ硬派路線について綴ります。

セクシーな昭和美女が表紙😍後年2次元美少女に拘ったテクポリとは思えません。

❶マニアの生命線だった雑誌文化


「長老」の代名詞、鳥坂先輩。MSXユーザーと言うだけでファンです。


『究極超人あ〜る』は変人揃いの文化系クラブの光景を赤裸々に描いています。僕は高校で漫研と文芸部を合わせた出版部という部活にいたのですが、大きく影響を受けました。卒業したOBOGが平然と校内をうろついていたのも昭和ならではの光景ですね。


当時の文化部は印刷機の奪い合いが日常茶飯事でした。そこで印刷機と予算確保のため、憧れの先輩にそそのかされて僕が鉄砲玉として生徒会役員として送り込まれるハメに…😁ココだけの話、生徒会の公用印刷機を使ってコミケで無料配布した同人誌も山程印刷しました。

僕が昭和の時代を綴る中で一番意識しているのは「ネットがなかったこと」を思い出すことなんです。1973年生まれの僕にとってもはやネットを使用している時間の方が長いのですが、この違いはとてつもなく大きい物でした。
当時どのマニアコミニティにも鳥坂先輩のような、偏ってるけど博識な「長老」と言われる存在がいたものです。こういったオタク文化の成熟過程は1985年~1987年に連載されたゆうきまさみ先生の『究極超人あ〜る』に詳しいのですが、春風高校の「光画部」のような光景が全国で繰り広げられていたのではないでしょうか。


1952年の創刊の老舗ミリタリー雑誌『航空ファン』金のなかった僕は図書館でバックナンバーを貪るように読んでました。 日本が初めて開発した超音速機T-2の試作機であるXT-2のロールアウト写真。かっけえ!その後SLG『大戦略』で自衛隊を使用したときにお世話になった戦闘爆撃機F-1の原型機体でもあります。


その特異なフォルムからファンの多いA-10サンダーボルトII。エリア88のグレッグの愛機としても有名ですよね。 「どうだ!コントローラー!全部当たりだろ!」


やはり8-90年代戦闘機の主人公と言えばF-14トムキャット。雑誌での特集記事も多く、読んだ後はアフターバーナーIIかエリア88でミッキーを使用してクリアしないと滾る血を抑えられませんでした。


学生ミリオタは図書館で情報収集に励んでいたものです。 軍事系書籍は完全に大人向けで、値段も高額なものが多く中々手が出なかったです。古本でも値段が下がらないし…


まあ僕は完全に「にわかミリオタ」なのでこの辺で…

ではこういった長老達がどうやって知識を得ていたのかと言うと、結局は書籍に頼っていたのが実情でした。その中でも最新の情報を入手できる「雑誌」は極めて重要で、その蔵書量が知識量と比例していたのです。昔はちょっと調べ物をする時は図書館に行くのが定番でした。しかしこの時代は信じられないぐらいオタク文化の社会的地位が低かったので、アニメやゲームを扱った書籍はまずお目に掛かれなかったのです。


師匠が愛読していた伝説のアニメーター金田伊功氏の特集本。


徳間書店が1977年に出版したアニメのムック本の草分け『ロマンアルバム』 師匠は当然全巻揃えていて超絶羨ましかったです。闘将ダイモスは大好きで空手を始めるきっかけにもなりました。


アニメ関連書籍はいわゆる「幼児向け」も含まれました。1960年代から現在まで数々の素晴らしいイラストを描かれている渡辺正美先生の『機動戦士ガンダム』 師匠がドヤ顔で「このテレビ絵本シリーズの中で、正美先生がずば抜けて凄いんだぜ。」と解説してくれました。


正美先生は黄金バットなどの人気挿絵作家、永松健夫先生に師事したとあって、昭和テイスト満載の作品を多数残されています。『伝説巨神イデオン』、超ド迫力ですよ!


ちなみに『機動戦士Ζガンダム』は作画監督だった北爪宏幸さんが自ら担当。

したがってオタク界の長老たちは全て自前で雑誌を購入し、時間の許す限り隅々まで読み込む必要がありました。彼らが一目置かれていたのはその知識量だけではなく、「人間辞めます」覚悟でマニア道に邁進していたことに対する賛辞があったのだと思います。

以前紹介した美大のアニメ研究会部長だった僕のアニメの師匠は、自室に全てのアニメ雑誌と膨大なアニメ関連書籍を所有していました。そのすべてを読破している怪物の「偏った特別講義」を小学生の僕は全て真実と思い込んでいましたよ。

😤「つまりだな、アニメはヤマトこそ至高!ガンダムはそこから生まれたのだ。」

😲「はへ~そうなんだ~」

完全に洗脳された僕は、知ったかぶりで友達にドヤ顔で語ります

🤥「つまり~、ガンダムはヤマトの二番煎じで~。」

🤔FM7君「何か嘘臭せえな」

😏X1君「そんな訳ねえだろ」

とまあ、かなり極端な例ですが、昭和の初期オタクコミニティはこんな感じで形成されていったように思います。ネットがない時代、オタクの知識は伝聞と雑誌だけが頼りだったんですよ。

このように誰もが平等に情報を入手できるネット時代と違い情報の収集に偏りがあったため、それだけ超個性的なオタク戦士たちが育成されていく土壌が揃っていたように思います。
友達の家に行くと並んでいる雑誌や書籍、CD、ゲームなどを見て「🤔ああ、コイツはこの系統なんだな。」とあたりを付けていたものです。ちなみに僕は40年前から「何かお前の趣味古臭くねえか?」と言われてましたよ。


師匠は思春期にリアルタイムで初代ヤマトを視聴したガチのヤマト第一世代でした。訓示を受けた僕はガンプラ直撃世代にも拘らずヤマト信者となり、その意識は現在も変わっていません。


嫁さんが初めて入った時ドン引きされた僕の部屋🤣昭和で時が止まってます。


現在でも語られる「都市伝説」も元を辿っていくと雑誌での誤情報であったことが多かったりするのですが、伝言ゲームのうちに元ネタが肥大化していったことがままありました。 1991年のAOUショーに出展されたストⅡのレポート。まだ正確な情報が伝わっていなかったためか、僕はこの「ザンギエフはファイナルファイトのハガーの弟子」という話をかなり長いこと信じていました😁さらに尾ひれがついて「ファイナルファイトの続編ではザンギエフが登場する」なんて噂も…

昭和の雑誌のもう一つの特徴は、雑誌自体がコミニティの役割を果たしていたと言うことです。個性的な雑誌ほど熱烈な読者が付き、それが雑誌の熱量に直結していたと思います。当時の「お葉書コーナー」を見てみると改めて感じますね。

僕の時代に同じ趣味の仲間を増やすのは、学校の部活動を利用するのが一番手っ取り早かったです。しかしマンガ研究会がようやく認められると言う有様で、アニメ部やゲーム部と言うものは、まだ存在そのものが許されていませんでした。僕は中学時代『MZ-700』を愛用していた数学教師が顧問をしていた「パソコン部」で活動していましたが、これはかなり珍しいケースだったと思います。


パソコン少年で「ベーマガを知らない奴はモグリ」とも言える別格の存在でした。

パソコン雑誌で最も強力なコミュニティを形成していたのはプログラム投稿誌であった『マイコンBASICマガジン』で、現在でもALL ABOUTベーマガというイベントが開催されていることからも伺えますね。これは『投稿』という文化が読者の連帯感を高めたからにほかなりませんでした。MSXでは後期のMSX・FANがそれに近い状態にあったと思います。
当時はまだパソコンユーザーが少なく、地方などではクラスどころか学校でも愛機のユーザーは一人だけと言った状況も珍しくなかったそうです。そのような状況でパソコン誌を通じて

🥹「一人ぼっちじゃなく仲間がいるんだ。」

という感覚は、孤独だったパソコン少年の心の支えでもあったのでした。
僕もSNSやnoteなどで、当時愛読していたMSXFANやMSXマガジンの読者と巡りあうと「一度も顔を合わせたことはない友達」と再会したような、感慨深い気持ちを抑えることが出来ません。僕がnoteなどで発信を続ける動機の一つが、こうした「まだ見ぬ戦友」を探し続ける旅路のような気もします。


『ファンロード』の特集はその時期のオタクの流行を敏感に反映していました。1989年はRPG特集。ラムちゃんのイラストがカワイイですね。


カラーページの冒頭で投稿イラストを掲載するという異例の雑誌でした。
ちなみに従姉妹の投稿イラストがコッソリ掲載されてます。


アニメとプロレスという2つのファンタジー世界を繋げてくれた獣神ライガー
そのデビュー戦も特集。


1996年には格闘ゲームが全盛期に。


この時期僕は「もはやゲームのキャラはアニメと同格だ」と確信していました。


コスプレという文化も格ゲーと共に定着していきました。

アニメ関連では『ファンロード』が熱烈な読者に支えられていました。表紙イラストも含め誌面の9割が読者投稿で、他雑誌の「読者投稿ページ」だけで構成されているという当時でも異様な雑誌でした。
ジャンルもアニメや漫画以外にも多種多様で、実質オタク向けの総合投稿雑誌と言う印象でしたね。僕は漫研に所属していた従妹のお姉さんが熱烈なローディスト(ファンロード読者)だったので当時の心境をチャットで聞いてみたのですが

「あの頃はネットがなかったから手軽に自分のイラストを表現する場所がなかったのよ。同人誌を創るのも大変だったし。それに自分の作品が掲載されるのって「プロの編集者に認められた」ってことでしょう?ゾクゾクするような快感だったわ。」

実際ファンロードに限らず、雑誌の常連投稿者の中にはプロデビューを果たした人も大勢いました。僕の周りでもベーマガやMSXFANに採用された奴はヒーロー扱いでしたね。投稿プログラムにしろイラストにしろ、「商業誌に掲載される」と言うことはそれだけの勲章だったんです。


ホビージャパンの常連投稿者で有名だった、うらべ・すう先生。その後テクノポリスのコーナー挿絵などで活躍し、PCエンジンの名作『改造町人シュビビンマン』のキャラクターデザインなども担当されました。2001年に享年36歳で夭折されたことを知った時は信じられなかったです。


MSXマガジンも読者投稿ページがカラーで人気でした。『フレイ』などのマイクロキャビンのMSXゲームを数多く手掛けた末永仁志さんの投稿マンガ。僕はこの頃「人妻」の意味が解りませんでしたよ。高校時代日立のMB-H1からのMSXユーザーだった末永さんのインタビュー記事はコチラ。

前回紹介したアメリカのアニメオタク、ロバート君は1995年に来日した時に、このアマチュアイラストのレベルの高さに驚愕していました。米国ではオタクコミュニティを形成したツールはテキストベースのパソコン通信が主流であり、こういった投稿文化はあまり発展しなかったのだそうです。現在にも続く日本のイラストのレベルの高さは、こうした雑誌の投稿文化が大きな影響を与えたのはないでしょうか。


マンガの通信講座も流行りましたね。


ロバートは日本の漫画文化が多彩なジャンルに分岐していることにも驚いていました。少女漫画という文化を伝えるのには苦労しましたね。
竹宮惠子先生の不朽の名作『地球へ…』を見せると感銘を受けていました。

一方で安易にオタク系雑誌に手を出して痛い目に遭うケースも多々有りました。雑誌の制作には高度な専門知識と、何より「愛情」を併せ持つ編集者が必須でした。しかしそういった優秀な人材を確保出来ぬまま、強引に雑誌を創刊すると…オタクは「😏知識も愛情もないけど仕事でやってまっさ。」ということを嗅ぎつける能力が異常発達してるんです。


表紙を雨宮慶太先生が担当するなど創刊から気合が入っていたのですが…


「明日のMSXを考える」という、現役パソコン販売店員の辛口コラムがMSXユーザーの逆鱗に触れたのでした。まあ鉄火場の販売員からしてみればごもっともな意見とも言えるのですが…


現在価格が高騰して、持っているのはコレだけです。

僕が体験したケースですと1987年に創刊されたMSX専門誌の最後発『MSX応援団』がそれにあたります。アスキーの公式雑誌であるMSXマガジンや、パソコン雑誌テクノポリスから分家したMSX・FANと違い、MSXの専門知識を持つ人材を揃えられなかったMSX応援団は、様々な外部ライターを寄せ集めるという編集方針を取っていました。そのためかプログラムもほとんど掲載されず、結果的にMSXと関係ないサブカルチャー系記事が中心という紙面構成に。コレがMSXユーザーの猛烈な反発を招いたのでした。

😡「俺達はMSXの記事を読みたいんだ!」

🤬「ちゃんとMSXを応援しろ!」


「MSXを全く知らないだと?馬鹿野郎!」

更に一部の記事で「MSXのことを全く知らない。」などと書いたもんだから、火にガソリンを注ぐ結果に。僕の周りのMSXユーザーからも「😒生意気なくせにつまんねえ」と、散々な評価。僕はMSX信者として意地で購入していましたが、他にも欲しい雑誌は山ほどあるので半年ほどで見切りをつけてしまいました。
今読み返してみると、その後のコンプティークなどに繋がる「オタクカルチャー総合誌」として魅力的な記事があるものの、MSX専門誌でそれを継続するのは無謀な試みだったように感じました。しかし当時僕の一番の実感は「MSXに対する愛情が感じられない。」ということだったんです。


これは月刊OUTですが、漫画雑誌以外に掲載されるマンガという文化を確立させたのも徳間でした。その一つの帰結が『風の谷のナウシカ』だったように思います。

長々と自説を語ってしまいましたが、当時のオタク文化が雑誌と綿密に連動していたことには、皆さん異論がないのではないでしょうか。そして現在クールジャパンの2大巨頭となるアニメとゲームにおいて、その雑誌文化の先陣を切ったのは徳間書店でした。そして徳間は長く両業界を牽引することとなったのです。

❷硬派時代のテクポリ、熱狂のPC対決


82年9月創刊直後のテクポリ。この時期はPC内部の回路写真などが掲載されるなど、硬派な内容でした。


同時期の広告。坂本龍一教授と伝説のアナログシンセサイザー「プロフェット5」。さらにハンドヘルドコンピュータ「HC-20」というカッコよすぎる一枚。掲載されたのが「テクノポリス」という点も神懸っています。
85年1月。その後華やかな女性モデルが表紙に。PCの誌上対決が一つの目玉に。
しかしPC8801mkII対FM-77はともかくX1turbo対PC-6601SRはムチャなマッチメークじゃないかなあ 😁


内容はこんな感じ。新機種紹介、ゲーム、CG、プログラムとバランスが取れた構成。


セルアニメを使用した後期の定番、いのまたむつみ先生の幻想的な表紙。


テクポリと言えばこういう記事をイメージする人が多いと思うんですが、別の時代があったんです。

テクノポリス誌のイメージはちょっとHな美少女CG満載で、いのまたむつみ先生の表紙と言う方が多いと思います。前回美少女CGにこだわり続けた、テクポリの狂気に関して徹底的に特集ました。
しかしパソコン雑誌としては大御所である『ログイン』や、最も長寿だった『マイコンBASICマガジン』とほぼ同時期の1982年6月に創刊されている老舗雑誌なんです。

この時期は日本のパソコン規格が乱立していた、まさに戦国時代の様相を呈していました。その中で「どの機種を選ぶべきなのか」と言うのは極めて重要な問題でした。当時のパソコンは高額で、一度購入したらそう簡単に宗旨替え出来ない状況だったんです。この話をWindows時代の後輩にした所

😏「え?気に食わなければさっさと買い替えればいいじゃないスか。俺最近マックに変えましたし。」

しかし当時別の機種に買い替えるということは周辺機器も、ゲームソフトも、ベーシックの知識も、全て捨てる覚悟が必要だったんです。しかも同一メーカーの機種すら互換性がないという鬼のような時代でした。


1983年1月。入門用PC徹底比較研究と題された特集記事。 僕がMSXを入手した85年では入門機はほぼMSXが独占していましたが、82年の段階ではまだ群雄割拠の時代でした。


ここで候補に挙がっているのはゲームパソコンM5・PC6001・JR200・ぴゅう太・ZX81・PHC25・MB6885。秋葉原の女の子人気1位の栄光に輝くのはどれだ!


1位はゲームパソコンM5。MSXに最も性能が近い機種で発売が一年早く、値段も同価格帯と天下を取る条件は揃っていました。しかしMSX連合軍の数の力に屈してしまった感があります。


2位はパピコンことPC-6001。こんにちはマイコンで紹介されていたので、僕も真剣に購入を検討していました。現在でも多くのファンの方が愛用している名機で、個人的にはNECがもっとバックアップしていたら入門機としてもっと普及したと思います。
3位は松下のJR200。松下はMSX販売以前にJRシリーズという独自の機種を発売していました。友人にJR200のユーザーがいましたが、販売が松下の電気屋に限られていたと聞きました。広告を見るとどのマシンも魅力的に輝いて見え、どの機種を選ぶかナイコン少年の心を惑わせたと思います。

ですから当時のパソコン雑誌は新型PCの紹介記事を頻繁に掲載していました。しかしカタログ上の比較では性能差がイマイチ実感できません。そこでテクノポリスが導入したのが「ベンチマーク」と言う概念でした。ベンチマークテストは現在でも使われる用語で、PCの各パーツやシステム全体の性能を、数値として測定・比較することを指します。レトロパソコンの場合は主にグラフィックの描写速度や単純なプログラムをループさせての速度比較、フロッピーディスクドライブの読み書き速度比較と言ったものが主な所でした。


1984年1月ついに勃発してしまった宿命のライバル機対決特集
主要33機種の頂点に立つのは誰だ!


ディスク搭載対決!SMC777対PC6601
当時FDDは高額で未搭載ホビーPCが大半でした。SMC777は強力なCGが特徴で、ソニーのショールームでよくデモしていましたね。残念ながらPC66はパピコンユーザーの友人ばかりで、所有している人は見たことがないです😅


SMC-777はソニーが威信をかけて開発したマシンで、HiTBiT(ヒットビット)のブランド名やヒット商品につけられていた777という番号からも伺えます。しかし最終的に8ビット御三家の牙城を切り崩すには至りませんでした。


PC-6001系は武田鉄矢さんがベタベタな人情系広告を打ってました。性能的には置いておいて「六本木パソコン」 というキャッチフレーズはどう考えてもダサい(死語)と仲間内で評判でした。


悲運の名機対決!X1D対PC8801mkII
両機とも友人がいましたが、まさに悲運。X1Dは独自規格の3インチFD搭載でしたが、これが全く普及しなかったのが悲劇でした。テープ版も「X1Dは除く」と書かれたゲームあったりします。 PC8801mkIIは決定版となった後継機種SRが発売されたのが全てです。SR以降対応と明記されたゲームを山ほど見ましたよ😅

正直な所、現在と違ってレトロパソコンの性能差は微々たるものでしたが、自分の愛機がオリンピックの100メートル走のようにコンマ秒の数値で比較されることは大きなインパクトがありました。テクポリはこの概念をさらに発展させ、禁断のパソコン対決を誌上で実現させます。パソコン少年にとって全盛期のK-1やプライドを超える夢の対決ですよ。

😤「PC-8801mkⅡ選手の入場です、出てこいや~!」

よっぽど煽りたいのか「超人気マシンベンチマーク対決」と題した特集まで組んでいるんですよ。口の悪い悪友X1C君は「X1Dが超人気マシン?嘘こいてんじゃねえぞ!」とおかんむりでしたが…


1984年3月にX1D対PC8801mkIIはまたもリベンジマッチで再戦してるんですよ。恐らくシャープもNECもこの機種を推していたんでしょうが、両機のその後の運命を知っているとレトロパソコンの無常を感じられずにはいられません。


ベンチマークという電子機器の性能テストに、低学年女子向けの魔法少女ミンキーモモを選択するのがテクポリのスタイル。


使用されたモモちゃんのCG

パソコン少年たちは自分の愛機に忠誠?を誓っていました。当然不毛な争いが起こるわけで、意味もなくいがみ合っていたものです。この対決がテクポリ誌面で実現されたことは、その流れを加速させることになりました。
この戦国時代は1985年あたりで決着が見えてきました。PC-8800(NEC)FM-7(富士通)X1(シャープ)のいわゆる8ビット御三家が主軸になる三国志時代を迎えることになります。それでも結局泥沼の戦いは続くのですが…

この頃の自分の愛機に対する狂った愛情に関しては、何時か徹底的に特集しますよ。それだけ黎明期のパソコン文化が熱かったことの証明だと思います。へぽっこMSXユーザーだった僕でさえ、40年過ぎても「自分の愛機はMSX」という強い自負心を持ち続けていますしね。


1983年8月号。テクポリはナイコン読者向けの特集が多く、購入ガイドが充実していました。しかしここに挙げられている6機種のうち、「大あたり」が1つしかないのが恐ろしすぎます。怖いのでどれだかは言いませんが…


1983年11月号テクポリ初期はプログラム解説も充実していました。これはZ80のマシン語を、人間コンピューターで解説するという豪快な企画。
1984年6月号パソコン少年が喉から手が出るほど欲しかったFDDの解説特集。「最強の8ビットマシン」の誉れ高い「日立S1」も特集されています。しかしこの機種が普及しなかったことは、性能と人気が直結しないことを実証してしまっととも言えます。

なんで僕がMSXが発売されない時代のテクポリの事を知っているかというと、図書館にバックナンバーが置かれていたからなんです。テクポリ初期は硬派な科学情報誌の色彩が強かったんですね。しかしその後美少女ゲーム路線を強烈に打ち出すことによって他誌との差別化に成功。結果表紙からして別格のあやしいオーラを放つほどに変貌してしまいました。
僕は図書館のおばちゃんに「テクノポリスというパソコン雑誌をまた置いてください」とお願いしたところ、翌月目を三角にして「😡あんな雑誌、絶対読んじゃいけません!」と怒られましたよ。


1986年4月号。テクポリが図書館から追放される要因となった美少女ゲーム特集。パコ君のいやらしい目つきがパソコン少年の心理を代弁しています。小学生がコレをレジに持っていくのは相当勇気がいりました。当初は年に一度の特集でしたが、いつの間にか定番のコーナーに…


1986年になると8bitパソコンゲーム全盛期を迎え、エンタメ色が強まっていきます。これはAVGをマンガで攻略するという野心的な企画。

その後テクノポリスの遺伝子は、

●世界初のファミコン専門誌『ファミリーコンピュータMagazine』
●投稿プログラム専門誌『別冊プログラムポシェット』
●現在まで続くMSX創作文化の礎となった『MSX・FAN』

などに引き継がれていきます。特にファミマガはそれまでになかった「ゲーム専門雑誌」と言うジャンルを完全に確立し、ファミコンブームを牽引知ることで多くのフォロワーを生み出しました。このお話は次回にできたらと思います。


1986年の「ファミコンのことならファミマガ、パソコンのことならテクノポリス」という広告。その後の両誌の勢いが、パソコンゲームとファミコンの勢力図と連動していたように思います。


ベーマガとはまた違った投稿プログラム専門誌『別冊プログラムポシェット』は、詳しい解説が併記されていたことが最大の特徴でした。MSXマガジンは低学年向けの誌面構成ながらプログラムのレベルが高すぎ、僕が勉強できたのはポケットバンクとプログラムポシェットのおかげです。


ファミマガのゲーム専門誌のテイストと、プログラムポシェットの投稿プログラム文化を融合させた『MSX・FAN』創刊前の広告でもその方針がはっきりと告知されています。この雑誌の存在が無ければ現在のMSX文化は全く違ったものになっていたと僕は思います。雑誌がそのジャンルを支えていた、最後のきらめきのような存在でした。


ファミマガにもMSX・FANの広告が掲載されました。ファミっ子にも「ゲームを創ってみようかな」という流れが出来たことは、MSX陣営の追い風に。

結局本家のテクポリは前回特集した美少女CGにこだわり続け、アニメとの融合を果たしたパソコン文化の一つの潮流を創りだします。また初期から挿絵を担当していた佐藤元先生に加えて、矢野健太郎先生を起用。パソコンゲームの漫画化という、その後のゲーム文化に大きな影響を与える誌面構成にシフトしていきました。この流れは次回紹介するファミマガやファミコン攻略本で花開くことになるのです。


後期テクポリを支えたのは同人や美少女ゲームでした。やっぱりテクポリのイメージはアニメ系美少女の表紙ですよね。



ついにフィルムコミックならぬムフフ💛ゲームコミックまで刊行。伝説の💛ゲーム伝道師“LOLI山田”さんが責任編集。名物連載『レモンちっくWORLD』も楽しみでした。


テクポリの美少女ゲームの魂は、90年代に隆盛を極めたムフフ💛ゲーム誌に引き継がれていきます。テクポリの元スタッフが創刊に関わったとされる『BugBug』
セルアニメの表紙の雰囲気がテクポリそっくり!


同じくテクポリの元スタッフが創刊に関わった『PC Angel』


おまけで好きだった『ドラゴンピンク』の表紙

❸テクポリを彩った漫画家たち

テクノポリスは他のパソコン雑誌に比べ、多くのイラストが使用されていました。今見るとどのイラストも懐かしさで一杯です。なるべく年代順に紹介していきますね。


何と超初期はモンキー・パンチ先生の「ベェシッ君」という4コマ漫画が連載されていました。内容もアダルト向けで、まだ読者層が大人向きだったのかもしれません。モンキー・パンチ先生はパソコンマニアとして有名でした。


1983年7月の槙村ただし先生のゲーム制作漫画。槙村先生はすがやみつる先生の影響でパソコンを始め、富士通製のパソコンFM-8を購入したというガチのパソコンマニアでした。内容はいつものお色気路線です😁


1984年4月いよいよ佐藤元先生の連載が開始。初期からのイメージキャラ、MYちゃんとパコくんとカナ姉のドタバタ活劇はテクポリのノリを象徴していましたね。


1985年3月号。この三人組は様々な特集記事に乱入、すっかりテクポリの顔に。


佐藤元先生は大手メーカーのプログラマー経験もあるバリバリのパソコンユーザーで、テクポリのイメージを決定づけました。この1985年のゲームベスト10、どれも懐かしいタイトルが並んでいます。


矢野健太郎先生の『ゲームジョッキー』は史上最高のゲームレビューマンガ。かなりの長期連載でしたが、版権の関係で書籍化出来ないのが残念です。佐藤元先生とのコンビで中期のテクポリを牽引してくれました。


矢野健太郎先生と言えばウィザードリィフリークとしても有名。
WIZネタはまた特集したいですね。


矢野健太郎先生のアシスタント出身で、美少女系雑誌などで活躍されていたみやさかたかし先生。テクポリの表紙を飾ったこともありました。


カオスエンジェルズなどを手掛けたY人さんの同人ソフト講座。


美少女マンガで活躍された三奈瀬比都美さん


やはり圧倒的な存在感だったいのまたむつみ先生。いのまた先生に関しては以前特集したので、是非覗いてみて下さい。



数々のアニメメカデザインやPCゲームの『ザース』で活躍された中沢数宣先生のイラスト。独特のメカデザインに惹かれますね。


中沢数宣先生は数多くのゲームイラストを描かれています。


90年代の美少女漫画や同人誌を中心に活躍していた仁木ひろし先生の味わい深いイラスト。ムフフ美少女とミリタリーアクションを得意とされていました。


仁木ひろし先生の「いつも心にバスケット・ケース」は隠れた超名作です。


時間帝国という同人サークルで活動していた熊谷直喜氏。僕もコミケで購入しました。お亡くなりになったという情報をネットで見たのですが、間違いだと信じたいです🥺


『サーラの冒険』など90年代ファンタジーで忘れる事ができない幻超二先生のイラスト。御病気で引退されてしまったことが本当に悔やまれます。


幻超二先生のカラーイラストは貴重なのでもう一枚。ダークファンタジーにこれほど似合う画風の人はいませんよ。


後期になると究極の美少女絵師、うるし原智志先生も参戦。


まさに「美少女の嵐」でした。


その後アニメ業界で活躍された加藤やすひさ先生


1993年の同人紹介。この時期になるとCGもイラストもプロに伯仲するレベルに。


1992年の10周年記念グッツ。テクポリは他誌に比べビジュアル的に華やかでした。

❹佐藤元先生、狂気のアニパロ広告集

かつてのMSX・FAN読者なら、絶対忘れられないのが佐藤元先生のテクノポリス広告漫画。全然広告になっていないだけでなく、危険すぎるアニパロ魂が炸裂していたのでした。掲載は1988年の中頃から。そろそろ版権がやかましくなってきた時期にあたり、その筋の本家『月刊OUT』ですらアニパロ系記事を掲載しなくなっていました。かつてテクポリは市販パソコンゲームの改造法を掲載してメーカーから抗議を受けた経験があるにもかかわらず、この神をも恐れぬ所業に僕は毎月爆笑していました。

この広告は何故かファミマガなど徳間書店の数々のゲーム雑誌にも掲載されず、MSX・FANのみだったのでかなりマニアックな存在です。今考えると発行部数の少なかったMSX・FANだからムチャやれたのかもしれませんね😅そのくせ全てカラー広告なのは一種のファンサービスだったのかも。恐らくその危険性から絶対に再掲載されないと思うので、折角なので元ネタを含めて紹介しちゃいます。


1988年8月「テクノの星」
『ログイン』が花形満役で「月二回発売」と宣伝しちゃってるよ!しかもログインの方がイケメンで主人公ぽいぞ。


『巨人の星』は再放送で見まくりましたが「野球って恐ろしい」と間違った知識を植え付けられましたね。巨人ファンの親父さんはみんな星一徹みたいにちゃぶ台をひっくり返すと思い込んでました。


1988年9月「テクノのばら」
全然似てないし、設定が一ミリも合っていないのが佐藤元ワールド。冒頭の連呼する「ソーサリアーン」と「剣士、ラストハルマゲドン」がツボでした。


『ベルサイユのばら』のアニメは前回紹介しましたが、オスカル様の凛々しさとスタイルの良さに衝撃を受けました。足長すぎ!


1988年10月「テク野さん」
ついにあの国民的アニメが登場!波平の好みが「美少女ソフト」なのが解ってますね。


ここでカツオが言ってる「LALF」は当時テクポリが開発していたグラフィックツールのこと。しかし残念ながらライバルのポプコム製作の「ダ・ビンチ」に比べると普及はイマイチでした。


1988年11月「テックとポリー」 ここまでタッチが違う絵柄で描けるのは流石。


1988年12月「ミスターテクっ子」
『ミスター味っ子』はアニメを先に見てたのですが、登場人物がみんなイカレていて、リアクションギャグ漫画だと思ってました。原作は普通の料理漫画で逆に驚きましたよ


1989年3月「テクノード-電脳の破壊神-」
今回一番ヤバいのがコレ。セリフ回しから欄外のコメまで似すぎです。


『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』は僕の世代ではファンタジー漫画の元祖とも言える作品。海外にもファンが大勢いて、ブラジルのMSXユーザーの友人がポルトガル語版の正規品を見せてくれました。


1989年4月「てくみ」
これまた構図からオチまでもろにパ●リ🤣「これじゃ似すぎだ」とわざわざ書くのがテクポリ編集部の心意気です。


『みゆき』で一番強烈な想い出は、悪友X1君が授業中に隠れて読んでいて、先生に当てられた時に「みゆきが可哀想なんです。」と答えてぶん殴られたことでした😁


1989年5月ひみつのテッコちゃんアダルト版。
流石に危険を感じたのか、わざと似てない路線に転換。代わりに内容が危険ですが…


1989年6月「テクノをねらえ!」
オチが「トップをねらえ!のパソコンゲーム誌」になってます。パロディのパロディで、これもうわかんねぇな🤣


『エースをねらえ!』は少女漫画ですが、基本はスポ根なので違和感なく見てました。お蝶夫人が完全に主役を喰ってましたが。決めゼリフの「よくってよ」一度は言ってみたセリフ。しかし改めて見ると、ひろみちゃん超足長いなあ。


1989年7月テクえもん。 ついにもう一つの国民的アニメにも手を出してしまいました。グダグダなオチが先生らしいです。


1989年8月テクボーグ0009H。
ヒロインの000AHと共にパソコン少年なら爆笑もののネーミング。009が1968年版のコスチュームなのもポイント高いです。


前回紹介しましたが『サイボーグ009』は石ノ森章太郎先生が生んだ数々のヒーローの中で最高傑作だと思います。


1989年9月「銀河テク道&HFF」
「作監やってたから似ててあたりまえとひらきなおる」というコメントが最高!オチが宇宙戦艦ヤマトなのもポイント高いですね。


『銀河鉄道999』は若者に戻りたいときに見たいアニメの筆頭です。時間がない時は「The Galaxy Express 999」を聞こう!


1989年10月「電脳忍者隊テッチャマン」


『科学忍者隊ガッチャマン』は再放送で見たのですが、1972年と言う僕が生まれる前の作品なのに、動きの凄さに度肝を抜かれました。生で見たのは『科学忍者隊ガッチャマンF』からでしたが、クオリティが下がってしまっていたのが残念でしたね。


1989年11月「テテテのテク太郎」
鬼太郎のテイストを完全再現してます。「次はSDガンダムを…」とありますが、先生がそれをやったら流石にまずいのでは😁残念ながら実現には至っていません。


『ゲゲゲの鬼太郎』を生で視聴したのは1985年第3期からですが、最も印象に残っているのは第2期ですね。原作のおどろおどろしさと、水木しげる先生の世界が最も融合していたように思います。


1989年12月「テクしんぼ」
僕は食品関係の経営をしていたので『美味しんぼ』には言いたいことは山ほどあるのですが、エンタメとしては最高に面白い作品だと思います。ゲーム同人誌で「MSX美食倶楽部」という海原雄山がゲームを滅多切りにするコラムを書いたことがあるぐらい😁『この戦場の狼を作ったのは誰だあ!!』


MSX・FANの名物コーナー、バボさんの「おはなしこんにちわっ」にて、さらにパロディ化されています。オチに使われた飯島健男さんにも見せたとか。


1990年1月「YATARA!」
ここら辺から先生が完全に吹っ切れていて、ホクロの位置だけで誤魔化してる状態に。


僕は2005年位から黎明期の女子総合選手の指導をしていたんですが『YAWARA!』を見て柔道を始めた子が多くて驚きました。僕の世代だとキャプテン翼のようなアニメだったんでしょうか。


1990年2月「テクノハンター」
もう言い訳しようがないほどの原作再現。「ホクロは今回で終わりにしたい」というテクポリ編集部のコメントに危機感が…😁


『シティーハンター』はアニメより原作の方が思い入れが強く、週刊でこの作品を連載する北条司先生は超人だと思っていました。


1990年3月「テクッシャー・ジョー」
危機を感じ取ったのか、いきなりの懐かし路線に。先生は映画の作画スタッフだったので無茶苦茶マニアックなネタになってます。


『クラッシャージョウ』は初めて見た本格的アニメ映画でした。EDのジョウとアルフィン姫が海岸沿いを爆走するシーンは最高にカッコよかったです。


ちなみに佐藤元先生はこんなアニパロも描かれています。


1990年4月「電技戦士テクディオス」
先生がメカニックデザインを担当した『宇宙戦士バルディオス』だからやりたかったんだろうなあ。


1990年5月「巨神テーグ」
これもメカデザインを担当された『巨神ゴーグ』。ちゃんとゼノンさんの遺体が左胸にいるのが流石です。個人的にはヒロインのドリスちゃんも描いてほしかったなあ。


これも前回特集しましたが『巨神ゴーグ』のドリスちゃんは僕の初恋の人でした。個人的には80年代中期の最高傑作だと思います。


1990年6月…「今月は何のパロかな~」とMFANを捲っていると、現れたこのページを見て僕は全てを悟ったのでした🤣🤣

❺雑誌文化は時代を写す鏡


初期は図書館で、中期は美少女CGマニアのFM7君から借りて。僕が購入したのはいのまた先生が表紙になってからでしたした。ほぼ全期間愛読したことになります。

いかがだったでしょうか?元々今回は「昭和のお正月雑誌特集」の続きをやろうと思っていたのですが、テクノポリス>ファミマガ>MSXFAN>アニメージュのセットで「徳間書店特集」にしようと思ってたんです。そうしたら先頭のテクポリでこの分量になってしまいましたよ。相変わらず冗長でスイマセン🙇


マニア系雑誌の先駆けだった徳間書店の『月刊少年キャプテン』メジャー漫画雑誌にない独創的な作品が多く、連載陣も僕の好みでドはまりしていました。


安彦良和先生のカラーページは楽しみでしたね。

12年というテクポリの歴史は、今となってはあっという間な気がします。しかしこの頃のゲーム、パソコン、アニメの進化は凄まじい物がありました。恐らく現在から2014年にタイムスリップしてもそれほどの違和感を感じないと思うのですが、1994年から1982年なら全ての光景が違って見えるように思うのです。


90年代に入るとゲーム原作の漫画が完全に定着していきます。この話もまたいずれ…

情報の集合体であった雑誌は「時代を写す鏡」そのものだったと思います。皆さんの色褪せぬ記憶を呼び覚ます一助になれば・・・そんな思いで今回も綴ってみました。
言うまでもないことですが、雑誌の発行は多大な人材と人脈が不可欠です。これらの素晴らしい雑誌に出会えたことは幸運でした。テクノポリス編集に携わられた全ての方々に対して心より感謝し、この項を終わりたいと思います。
                      
                      サイボーグMSX

僕は正直全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇‍♂️

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 


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