パソコン少年の桃源郷ザナドゥ・ファルコムの金字塔を大特集
もし8bitパソコン少年・ゲーム総選挙が行われたとしたら…僕はまずザナドゥに投票します。あのディスプレイに惹き込まれるようだった唯一無二の冒険を、誰もが覚えているのではないでしょうか。
ザナドゥは家庭用ゲーム機に移植されなかったため、ファミコン少年の羨望とPCユーザーの誇りを交えたパソコンゲーム黄金期を象徴するタイトルだと思います。
今回は全国のパソコン少年が目指した桃源郷、ザナドゥの生まれた時代を資料と共に追いたいと思います。

❶絶対王者、PCゲームのパウンドフォーパウンド

ザナドゥは約40万本という日本国内のパソコンゲームとしては空前の販売記録を達成したと言われています。当時もっとも人気のあったパソコン雑誌ログインのトップ10での絶対王者ぶりが記憶に残っていますね。自分の実感では各雑誌のゲームランキングで、ログインが一番権威があったと思います。ログインの定番の巻頭記事で、当時のPC少年はまず本屋で必ずこのトップ10をチェックしていました。


1986年はアーケードゲームではアウトランや沙羅曼蛇、ファミコンではゼルダの伝説、ドラゴンクエストといった強力なタイトルが発売され、全盛期を迎えようとしていました。それに対する第三勢力としてのパソコンゲームは本格的なロールプレイングゲームが定着した時期で、人気タイトルが毎月発売されていました。その中でもザナドゥは別格の存在だったと思います。
この年はアーケード、家庭用ゲーム機、パソコンとそれぞれのゲーム文化が独自に急速に発展し、かつ勢力が拮抗していました。これは日本のゲーム史上非常に珍しい期間にあたり、個人的に最もエキサイティングな1年間でした。


❷PCユーザーの誇りとファミコン少年の羨望

ジオラマの作成には月刊モデルグラフィックスも協力していたんですね。
僕がザナドゥに初めて出会ったのはMSX1を入手した直後の1985年の年末のことでした。パソコン友達のX1くんが雑誌で先行特集されて噂になっていたザナドゥをいち早く入手していたのです。
X1くん😽「ついに手に入れたぜー」
FX7くん😁「噂のアレか?」
僕😳「そんな凄いゲームなの?」



X1テープ版は初期設定で40分もの時間がかかります、待ち時間に文句タラタラだったFM7くんと僕。そもそもMSXユーザーの僕はザナドゥの凄さにいまいちピンときませんでした。
僕😒「最強のRPGって言うけどブラックオニキスより凄いの?」
X1くん😾「アホ、ザナドゥはブラックオニキスどころかファイヤークリスタルもただの消費アイテムなんやで!」
僕😱「う、嘘だろ?」
X1くん😸「ホレ、マニュアルを見ろ。」


BPSへの営業妨害のような気もしますが、MSXのちゃちな説明書と違った豪華なイラスト満載のマニュアルに小学生の僕はたちまち魅了されてしまいました。さらにゲームが始まると衝撃的な内容に呆然、とにかく今までにないスケールのデカさに圧倒されることになります。


FM7くん😤「決めた、俺絶対フロッピーディスクドライブ買う。」
僕😍「MSXのROMじゃ駄目だろうな…テープで出ないかな。」
X1君😼「ムリムリ、X1のテープは特別なんや。」
小学校でもファミコンユーザーの中でザナドゥは噂になっていました。
ナムコくん🤔「凄いRPGらしいけどドラクエとどこが違うの?」
ザナドゥファイル片手にFM7くんが自慢気に応えます。パソコンユーザーはファミコンユーザーに謎の優越感を持っていたんですよ。


FM7くん🤥「比べ物にならんね。怪物は85種類、17種の武器に34種の防具、そのすべてに経験値が設定されていて…」
僕😁「よく言うよ、まだ外付けFDDが届かなくてプレイできないくせに。」
FM7くん😡「にゃにおう!パソコンモドキのMSXは黙ってろ!」
ナムコくん😦「MSXにザナドゥが出るならMSX買おうかと思ってるんだけど…」
FM7くん😏「ムリムリ、メモリが足んねえよ。ハイドライドⅡとザナドゥが移植されないパソコンはパソコンじゃないよなあ。」
当時のパソコンゲームのトップ2だっだハイドライドⅡとザナドゥは中々MSXに移植されず、他機種ユーザーの中傷の格好の標的にされていたのです。
僕🥺「え、MSXには8ビット機で真っ先にレリクスが移植されているもん!(地獄のテープ版)」
そう強がってみたものの、トイレで泣くほど悔しかったです。
❸ザナドゥが移植されない!MSXユーザー暗黒の日々

ザナドゥは後述するように日本ファルコムがゲームのブランドイメージを高めるべく企画された作品だったため、ファミコンやMSXのゲームにはない「高級感」が漂っていました。ゲーム内容もかなり複雑で、多数の数値管理と正確なマッピングが要求される「大人向き」のゲームシステム。その点をファルコムは意図的に広告していたため、ゲーム少年の中でますます神格化されていきました。

この時期ファミコンブームが爆発しファミコン専門誌が多数創刊されました。しかし母体はパソコン雑誌だったり、そのライターが参加しているケースが多かったようです。そのためPCゲーム推しのライターが多くて、ザナドゥの特集がファミコン雑誌に多数掲載されました。
その上ファルコムは異例のファミコンユーザー向けの広告を出していたんです。ご丁寧にも「禁12歳未満」の煽り入りで!その上デカデカと8ビット御三家、PC88・X1・FM7の写真まで掲載されています。ちくしょう、MSXは子供の世界って言いたいのかよ!(当時僕は丁度小学6年生の12歳でした💦)

この「実力派ゲーマーならザナドゥはプレイして当然」という煽りはパソコン少年のプライドをくすぐると共に、ファミコン少年の羨望を掻き立てる秀逸なマーケティングだったと思います。実際の所、無理して手を出したファミコンユーザーの中には「難しくて意味が解らない」と投げ出す人もいたのですが、パソコンユーザーは
X1&FM7くん😏😼
「ザナドゥが攻略できなけりゃ夢幻の心臓Ⅱは逆立ちしたって無理だな、家で大人しくドラクエでもやってなさい。あ、MSXにはドラクエも出てないか、ククク。」(MSXドラクエ移植の前の話)
と訳の分からない優越感に浸っていました。当時のMSXは本格的なパソコンとゲーム機の中間ぐらいの立ち位置だったので、万事こんな調子でしたね。プログラムについての会話はそんなこともないんですけど。まあここら辺は小学生の戯言だから許してあげましょう。X1やFM7ユーザーを揶揄する意図はありませんのでご了解ください🙇
なんだかんだ言ってパソコンユーザーは少数派だったので、彼らとはケンカしながらも毎日つるんでいました。この縁は現在でも続いていたりします😁

そうこうしているうちに1986年、ファミコンにザナドゥとウルティマの移植が決定との報道です。この時は目の前が真っ暗になりましたよ。ライバル球団にバースとクロマティが一挙に入団決定したようなもんです。
僕😵「うわああ、マジかよ!」
FM7くん🥱「落ち着けよ…どうせファッ!?って出来になるぜ」


さらに追い打ちをかけるようにMSXの心の砦だったレリクスやブラックオニキスもファミコンへの移植が決定。
MSXにゼビウスが出ないときて、アクションゲームだけでなくパソコンゲームの大型タイトルまでファミコンに移植となれば、MSXは風前の灯火となってしまうことでしょう。僕はこの時期荒れ狂っていました。

僕はついに最終手段に出ることにしました、MSXユーザーの悲願を直接直訴するのです。日本ファルコムの本社は僕の実家の某駅から近い立川駅からすぐのところで、パソコン専門店のファルコムショップも同じ場所にあったのでした。この時期はまだ開発スタッフが店員を兼務されていたことが雑誌で紹介されていたのが決め手になりました。

店内はファルコムグッツを買い求めに来たパソコン少年で大賑わい。金欠の僕はザナドゥのバインダーを手にレジに進むと、深々とお辞儀をして
🙇「お願いです、MSXでザナドゥを出してください!」
僕の大声に店内は爆笑に包まれましたが、店員さんは苦笑しながらも
😉「うーんMSX2なら可能性はあるけどMSX1では難しいかなあ。」
と答えてくれました。確か1986年のクリスマス前後ぐらいだったので、翌年1987年2月に発売されることになるMSX2版は開発終了いしていて、11月発売になるMSX1版はまだ未定だったのかもしれませんね。


結果的にファミコン版ザナドゥやウルティマ・レリクスが「何か違う」移植になったのは皆さんご存知の通りです。MSXユーザーの僕は正直心底安堵しました。パソコンはまだまだ高額で、ファミコンユーザーにとって憧れの存在でした。その象徴がザナドゥだった気がします。ここら辺の経緯は、まだギリギリパソコンゲームとファミコンが共存できた時代の出来事として、強烈に印象に残っています。

PCゲームの目玉は1987年6月発売のイースに移っていましたね。
一方でザナドゥは多くの機種に移植されたため、PC少年は他機種の友達と情報交換しながら攻略を進めていきました。PC雑誌で毎月特集が組まれ、ゲーム攻略の情報の重要性が改めて認知されることになります。このゲーム攻略情報をいち早く雑誌で掲載する文化はファミコンで花開くことになるのですが、ザナドゥはその先駆けとも言える存在でした。
1986年はまさにザナドゥの年と言ってよく、PCゲームが一気に高度化した分岐点だったと言えると思います。異例のロングセラーとなった桃源郷は多くのパソコン少年の記憶に刻まれていったのでした。

その後10万円以上を出してディスクドライブ付きMSX2を入手してザナドゥを購入したものの、キャラ製作の時点で奈落の底に突き落とされた苦い記憶や、不可能と言われたMSX1版ザナドゥが最高傑作だった想い出は改めてMSX物語で語りたいと思います。

❹鬼才横山宏先生のディオラマ

『敢えて手間のかかる造形物を作りそれを撮影するという方法をとりました。時間をかけてジオラマを作りそれを撮影します。背景は後ろにスクリーンを置き裏からスライドで空を映写しました。』

ザナドゥの重厚な世界を彩ったのが鬼才、横山宏先生のディオラマ。当時SFが中心だった模型造形で、ファンタジー世界が創られたことには衝撃を受けました。
ウイザードリーが末弥純先生のイラストで昇華したように、横山先生の功績は計り知れない物がありました。

ご存じのようにザナドゥは通常のRPGとは違い、究極の数値管理を求められるデジタルパズルの要素が強いゲームシステムでした。そんなマニアックなゲームを深淵なファンタジー世界に落とし込んだことは、横山先生のイラストやディオラマの部分が大きかったと思います。広告にも多く使用されましたが、実は未公開の写真もあったようです。

横山先生のディオラマは暗い迷宮での死闘を描いた印象がが強いですが、これは珍しい塔の外の光景。僕の知る限りたった一枚の広告にしか使用されていません。剣と盾を構える主人公や、異形の怪物たちの造形にも注目ですね。


宮本恒之さんとザナドゥのディオラマの写真。無茶苦茶カッコいいですね!コレどこかに残ってないのかなあ😭

コレどこかに残ってないのかなあ😭
❺日本のRPGはどう生まれたか・木屋善夫氏インタビュー




木屋善夫さんのインタビュー記事は数多くあるのですが、これは珍しいザナドゥ発売前の1985年4月の物です。まず驚いたのが木屋さんが当時人気絶頂だったARPGの元祖とも言えるハイドライド(1984年12月13日発売)に触れず、夢幻の心臓(初代)を評価していることです。
更に印象深かったことは木屋さんがTRPGのダンジョンズ&ドラゴンズを研究されていて
「(D&Dは)ゲームの実体は何もない、だからRPGは何もやってもいい、面白きゃいいんですよ。」
と分析している所なんです。TRPGの元祖であるD&D、これをパソコン上で再現することは全米のゲーム制作者が先行して挑んでいました。その2大巨頭がウルティマとウイザードリィであり、日本国内ではブラックオニキスなのですが、木屋さんの発想はそれと全く違っていたんですね。ブラックオニキスの作者ヘンク・ロジャースについては以前特集しました。
後述しますがロバート・ウッドヘッドとロード・ブリティッシュ両氏の対談では、ザナドゥをアーケード型RPGと評しています。つまりパソコンの分野のゲームと捉えていなかったのですね。
このようにTRPG本場のアメリカ人ですら発想しなかった、全く新しいRPGを創造したことは本当に素晴らしいことだと思います。ハイドライドとザナドゥは日本が生んだ新世代のパソコンゲームとして日本を席巻し、のちにそのフォロワーが世界をも制覇するのですが、その源流がこのインタビューにあるように僕は思えるのです。

余談ですがザナドゥのアイテムやモンスターは翻訳されていなかったアドバンスト ダンジョンズ&ドラゴンズの1st Editionを参考にしています。これは1985年に新和から日本語版が発売されたD&Dの上級ルールで、当時日本ではほとんど知られていませんでした。
AD&Dは米国の宗教団体から圧力を受けた為、宗教色の強いモンスターは第二期以降は削除または改変されてしまった経緯があります。ザナドゥの他のRPGには見られない独創的な怪物たちにはこんな秘密があったのですね。
木屋さんはアメリカから英語版のルールブックを取り寄せて、それを参考にしていたのだと思います。つまり間接的にD&Dをパソコン上で再現したのがザナドゥで、そういった意味ではウルティマやウイザードリィ、ブラックオニキスと同じ世界を共有しているのかもしれません。


追加記事
これもザナドゥ発売前の1985年4月のインタビュー記事。PC6001を購入した経緯などが語られています。


これはソーサリアン発売直前の1987年11月のインタビュー記事。ザナドゥに関して「ディスクの容量から逆算して仕様を決めた」とのこと。また「コンピューターを使ってゲームしてるんだからRPGに乱数を絶対使いたくない」とのコメントが。確かにザナドゥは運の絡む要素が少なく、これが作品の大きな特徴でした。このコメントは木屋さんのゲーム哲学の根幹とも言えるもので、最後に総括したいと思います。


1985年10月ザナドゥの発売直前の雑誌特集。「社運を賭けた」とみなが口を揃えるとのことで、発売前から大きな期待をかけられていたビックタイトルだったことが伺えます。加藤社長は
「このゲームは必ずや一つの文化を築く」
と断言。果たしてそれがどのような結果だったのかは皆さんがよくご存じのことでしょう。
ちなみにここに書かれている『木屋善夫と井上忠信の2人に別々の「ドラゴンスレイヤー」を開発させて競わせた。』といういわゆる井上のドラスレは、この開発秘話自体が一種の創作で、このような事実はなかったそうですね。

1985年10月のザナドゥのホテルでの発売会見の記事。「ファミコンでは絶対できない」とのコメントが頼もしいです。パソコンメーカーとしてのファルコムさんの絶対の自信が伺えます。これに触発されたのかT&Eも派手な新作発売会見をするようになりました。パソコンゲームに勢いのあった時期だったことを感じれるエピソードです。


ハイドライドⅡとザナドゥの2強時代の1986年2月の記事。内藤さんも木屋さんも相手を気遣ってか、あまりお互いの作品について触れていませんね。むしろ両者とも夢幻の心臓Ⅱを評価されています。この作品はドラクエにも多大な影響を与えた隠れた傑作RPGなので、また機会を改めて特集したいです。
笑ってしまたのがザナドゥの英語の綴りをBPSのヘンク・ロジャースにチェックしてもらったところ、アイテムの「オニキス」や「クリスタル」が「ブラックオニキス」と「ファイヤークリスタル」に変更されていたというエピソード。犯人はお前だったのか!この時期京浜地区にあるソフトハウス4社(システムサコム、日本ファルコム、ボーステック、BPS)の連携組織SST(Super Software Team)が結成されていました。

1987年8月に行われたザナドゥフェアのレポート。この時期から都築和彦先生がファルコムスタッフに加わっていて、あの独特の絵柄によるファルコムキャラクターが定着していきます。この夏休みは各地でゲームフェアが行われ、僕は毎日のように入り浸っていました。MSXのイベントのついてはまたいずれ。

都築和彦先生のイラストがカワイイですね。

❻ドラクエ・WIZ・ウルティマの作者はどう見ていたのか


1987年11月の堀井雄二さんと木屋善夫さんの対談記事。
日本の誇る2大RPG作者によるこんな豪華な企画が実現していたのですね!ドラクエⅢとソーサリアンの制作秘話と意見交換と言う内容です。
終盤アメリカで1986年より2年間にわたって実施されたMMORPGの元祖とも言える「ハビタット」について触れています。「ローグがオンライン化したら絶対ハマる」「武器屋のオヤジがやりたいとか自由度が拡大する」といった、的確な予想を木屋さんがされているのが印象的でした。


1986年10月にロード・ブリティッシュ兄弟が来日した際に木屋氏&宮本恒之氏とで行われた対談記事です。時期的にはウルティマⅣ日本語版とロマンシアの発売直前ですね。
ロード・ブリティッシュ氏は独力で制作したウルティマシリーズが大ヒットし、若くしてゲーム業界の頂点に立った世界中のパソコン少年の憧れの人物でした。しかし日本の雑誌に登場した彼は気さくな人柄で、木屋さんにも敬意を表して接しているのが伺えます。彼は正しくゲーム界のロード(君主)なんでしょう。


ブリちゃんはログインの誌面によく登場していて、その人柄と日本贔屓な点もあって僕も大ファンでした。億万長者になってもパソコンマニアそのまんまな姿勢が変わらないのがカッコよかったんです。ウルティマⅣはパソコンゲームに哲学的な要素を持ち込んだ革命的なタイトルで、日米でトップになった数少ないソフトでもあります。
世界で一番著名なゲームデザイナーである彼が、日本のゲーム制作者に敬意を表してくれたことが、とても嬉しかったことを覚えています。


ウイザードリィの作者、ロバート・ウッドヘッド氏とロード・ブリティッシュ氏の対談でお互いがザナドゥについて述べられている箇所があります。1987年11月の時点でパソコン通信で対談というのがパソ通先進国の米国らしいです。
この中で両氏はザナドゥをアーケード型ファンタジーRPGと評しています。つまりアーケードのアクションゲームから派生したもので、面白いけれどパソコンの分野のゲームと捉えていなかったのですね。
「ウルティマが映画でウイザードリィが本なら日本のアクションRPGはTVショー」
と言うコメントが印象的でした。これは日本の作品を卑下しているのではなく、アプローチの違いを的確に表現した意見ではないでしょうか。他の対談内容も非常に含蓄があり、読みごたえがありますよ。
ザナドゥ・ドラクエ・ウイザードリィ・ウルティマ・ハイドライド。この五作品はその後のゲームに大きな影響を与えた歴史的名作であることに皆さん異存はないと思います。僕は全て新作のうちにプレイし、存分に楽しむことが出来ました。この偉大な作品達をリアルタイムで味わえたことにを本当に嬉しく思うのです。
❼ザナドゥが生んだもの

ザナドゥ旋風によりファルコムは一気にパソコンゲームメーカーのリーディングカンパニーに躍り出ることになりました。ザナドゥに対する期待は社内で発売前から大きく、ロゴは加藤正幸社長が自らデザインした物なのだそうですね。加藤社長はザナドゥによってメーカー自身のブランドイメージを高め、『当時のゲーム業界では珍しかったIP戦略』に本格的に乗り出すことになります。

その結果ザナドゥの名の付いた商品はゲーム本体だけでなく多岐に渡ることになりました。
膨大なデーターが記入された公式攻略本の走りとも言えるザナドゥファイル。横山宏画伯のイラスト満載なザナドゥ・データブック。さらに物語を奥深くするゲームブックやボードゲーム。伝説となったサントラ。その後のファルコムの魅力的なキャラクター達の始祖ともなった都築和彦先生が描かれた漫画などなど。
これらは前回ファルコム創業者、加藤正幸氏の追悼記事で取り上げたのですが、その時収まりきらなかったものをまとめてみました。

加藤正幸社長は作品のロゴに非常なこだわりを持っていたそうです。初代ドラゴンスレイヤー、ソーサリアンなども素晴らしいデザインですよね。そのためザナドゥのロゴを使用したグッツは多数制作されましたが、下敷きやバインダー、ステッカーといった少年向きの物だけでなくパブエンブレムも作成されたそうです。

エンボス加工(浮き彫り加工)されたデザインで非常に珍しいそうです。
細かい所ではフロッピーディスクのラベルなども凝っていました。前述したX1テープ版などはX1のみのテープ版にも関わらず、専用のラベルが作製されています。ここら辺にもこだわりが伺えますね。




まあこれはこれでカッコいいんですが。
さらに細かい所でザナドゥのBOXには金色のエンブレムシールが貼ってありました。これがまたカッコいいんですよねえ。残念なことにMSX2では箱の形状が違うためか付いておらず、MSX1版では廃止されていて凄く悔しかったことを覚えています。

友達から譲り受けました。

ザナドゥのゲームブックのイラストは米田仁士先生が担当されたのですが、この時の縁がソーサリアンのイラスト依頼に繋がったのだそうです。ソーサリアン発注の経緯を米田先生がXで述べられていましたが、豪快なエピソードですね。


都築和彦先生がザナドゥのコミカライズを担当されたことは前回投稿したコンプティーク特集で述べましたが、1987年の中頃から都築先生がファルコムのキャラクターイラスト全般を担当されるようになります。次作ロマンシアを経てイースでその可愛らしいキャラクターはファルコムの顔となり、その後の魅力的なキャラクター達に受け継がれていきました。




珍しいザナドゥのチラシ。恐らくパソコンショップで配布されたものじゃないでしょうか。


これまた珍品のボードゲーム・ザナドゥ。卓上ゲームの老舗、ホビージャパンより1987年に発売されたそうです。僕は実物を見たことがないのですが、ゲームの内容は1986年に出たザナドゥ・ファイル巻末のおまけゲームの焼き直しのようです。



1987年7月にアポロン音楽工業から発売されたサウンドトラック、オール・オーバー・ザナドゥ。とはいってもオリジナル音源ではなく初代とシナリオⅡの曲をアレンジした内容でした。当時まだパソコンゲームのサントラは珍しかったので、みんな聞いていましたね。僕はFM7くんがテープ版を購入したのでダビングして貰いました。久しぶりに聞いてみましたが、何回も繰り返し聞いてた頃を思い出しましたよ。初代のビギニング・ザナドゥがクラッシックになっていたのが感動しました。
僕の尊敬する古代祐三先生の事実上のデビュー作となるアルバムなのですが、古代先生の話になるとシナリオⅡに至る話になって、収拾がつかなくなるのでまたの機会に😅

世界初のコンピュータゲームのイメージアルバムはザナドゥなんだそうです。1986年12月に発売されました。
演奏されているANTHEM(アンセム)は80年代後半に活躍した日本のヘビメタバンドだそうですが、アニメファンの僕はヴォーカルだった坂本英三氏の「アニメタル」の印象が強いですね。
当時パソコンショップで流れていて、無知な僕は店員さんに当時放送されていたアニメ北斗の拳のオープニングテーマ「愛をとりもどせ!!」の人の新曲ですか?って聞いた所、笑いながら「ザナドゥのイメージアルバムだよ」と教えて貰って驚いた記憶があります。
❽ザナドゥグラフティ

「誰もが不可能に思っていた」のコピーが涙を誘います。
ザナドゥは異例のロングヒットになったうえ、ファルコムも並々ならぬ意気込みで宣伝していたので毎月違うデザインの広告が掲載されていました。最後にザナドゥの栄光の軌跡を追ってみたいと思います。


この頃はドラゴンスレイヤーの続編と思っていました。




周りを彩る主人公のキャラパターンもカワイイですね。




ちょっと製法は解らないのですが、恐らく金属板などを使用したザナドゥのロゴ。

本物の銅板を腐食させる"エッチング"という手法を使って制作されているそうです。






❾ザナドゥ、それは唯一無二の桃源郷

X1君の家でこのマニュアルを読んだ時の感動は今でも忘れられません。
今回思い入れのあるザナドゥ特集ということで、3週間に渡ってネットの資料や動画を漁っていました。そんな毎日を過ごしているうちに、まるでタイムマシンに乗ったように、脳内が完全に1986年の小学生の頃に戻ってきてしまいましたよ。レトロゲームについて語ることは、自分の過去を追体験することなのだと改めて感じました。

僕はザナドゥを合計6回攻略しています。
1986年FM-7版をFM-7君の家で
1987年MSX2版を入手して
1988年MSX1版を師匠から借りて
1995年リバイバル ザナドゥをPC-9801で
2003年ネットで情報を得られるようになって
2021年コロナで仕事がなくなった時
そのすべてに新しい発見と驚きがありました。色々なザナドゥ紹介のHPでもそれぞれ攻略方法や作品に対するアプローチが違っており、十人十色の楽しみ方が出来るタイトルだと思います。

実は僕がザナドゥに対して昔から疑問に思っていることがあります。ザナドゥの前後に発売されたパソコンゲームのヒット作、ハイドライドやイースなどは多くのフォロワーを生み出しました。しかしザナドゥは、その後そのシステムを完全に引き継いだゲームはあまりないような気がします。
ザナドゥは御存じの通りモンスターやアイテムの絶対数が固定されているので、漫然とプレイしているとすぐにハマりを起こして攻略不能になってしまいます。木屋氏はウイザードリーのように地道にプレイを継続していれば攻略できるようなゲームシステムを意図的に採用しませんでした。前述のとおり木屋さんはこう述べているからです。
「コンピューターを使ってゲームしてるんだからRPGに乱数を絶対使いたくない」
この点について悪友のパソコン仲間、X1くんやFM7くんと居酒屋で長々と議論したことがあります。その際現役のゲームプログラマーであるX1くんが「木屋さんの思想は極めてプログラマー的だ。俺にはなんとなくわかるぜ。」と言っていたのが印象的でした。X1くん曰く
「プレイヤーにリソース管理することを要求するシステムがザナドゥのキモだ。プログラマーは常にリソースを管理することを求められる。パソコンやってる奴ならこれぐらいは出来て当たり前だろって木屋さんは考えたんじゃねえかな。」
X1くんの意見が正しいかどうかは解りません。しかしザナドゥの計算し尽くされたシステムは、ゲームデザイナーからの挑戦状であることは間違いないでしょう。パソコン少年はその挑戦状に敢然と立ち向かい、そして没頭していったのでした。
そう考えるとザナドゥはやはりパソコンゲーム文化が生みだした唯一無二の存在だったのかもしれません。


今回はあえてザナドゥのプレイ内容には触れませんでした。そうするとザナドゥをもう一度プレイしたくなって、いつまで経っても執筆が進まないと思ったからです😅これは何時かMSX物語で投稿したいですね。
今回も相変わらずまとまりのない長文になってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございました。皆さんがザナドゥの雄々しき冒険を思い出す一助になれば幸いです。
サイボーグMSX

