あきらめない力は、「続ける力」じゃなかった。生徒の変化から見えたこと
「あきらめない力を育てたい」と聞くと、最後までやり切ることや、途中で投げ出さない姿を思い浮かべる人は多いと思います。
できなくても続ける。
嫌になっても踏ん張る。
とにかく、もう一回やってみる。
たしかに、それも一つの形です。
でも、とある生徒の様子を見ていて、「あきらめない力」について、少し違う見え方をするようになりました。
「もう無理」と言って、止まってしまう子

その子は、何かにつまずくと、すぐに手が止まるタイプでした。
思った通りに動かない。
エラーが出る。
うまくいかない。
そんな瞬間に、
「もう無理」
「わかんない」
「やりたくない」
と言って、画面を閉じてしまう。
最初から興味がないわけではありません。むしろ、始めるときは前向きです。ただ、うまくいかなくなった瞬間に、すっと距離を取る。
大人から見ると、ついこう思ってしまいます。
もう少し頑張ればいいのに。
ここでやめたら、もったいない。
続ければ、そのうちできるのに。
いわゆる、「続ける力が足りない」ように見える場面でした。
でも、「続けさせる」ことはしなかった

でも、その子に対して、無理に続けさせることはしませんでした。
「最後までやろう」
「せっかくここまで来たんだから」
「途中で投げ出すのはよくない」
そうした声かけは、あえてしなかった。
代わりにあったのは、とても地味な関わりです。
止まっても、特に何も言わない。
やめても、評価しない。
しばらく触らなくても、責めない。
一見すると、何もしていないように見えるかもしれません。でも、その場には一つだけ、はっきりしていたものがありました。
やめても、関係が切れない空気です。
変わったのは、「続けること」ではなかった

しばらくして、その子が急に粘り強くなったわけではありません。
最後までやり切れるようになったわけでもない。
でも、ある日、こんな行動が見られました。
いったん閉じた画面を、もう一度開く
「さっきの、別のやり方でやってみる」と言う
失敗したあと、少し時間を置いて戻ってくる
どれも、とても小さな変化です。
でも、ここには決定的な違いがありました。
やめなかったのではなく、戻ってきたのです。
あきらめない力の正体

このとき、はっきりと感じたことがあります。
あきらめない力は、ずっと続ける力でも、我慢し続ける力でもありません。
いったん止まってもいい
離れてもいい
でも、また戻ってきていい
そう思える感覚です。
言い換えるなら、「やめない力」ではなく、「やり直せる力」。
この感覚があるからこそ、人はもう一度、挑戦できます。
逆に、
やめたらダメ
止まったら失敗
投げ出したら評価が下がる
そんな空気の中では、続けることそのものが、だんだん怖くなってしまいます。
親のスタンスがつくっていたもの

振り返ってみると、その子の変化を支えていたのは、特別な声かけではありませんでした。
無理に前へ進ませない
止まったことを問題にしない
「続けるかどうか」を、大人が決めない
あきらめさせなかったのではなく、あきらめた瞬間を、終わりにしなかった。それだけだったように思います。
「続けさせる」より、「戻れる場所でいる」

あきらめない力を育てたいと思うと、どうしても、「どう続けさせるか」「どう投げ出させないか」に意識が向きがちです。
でも、もう一度問い直したいのは、そこではありません。
子どもが止まったとき、そのまま離れても、また戻ってきていいと思える場所でいられているか。続けさせる親である前に、戻ってこられる存在でいられるか。
あきらめない力は、無理に引き出すものではなく、安心できる関係の中で、静かに育っていくものなのだと思います。
続けられなかった日があってもいい。
止まってしまう瞬間があってもいい。
それでも、「またやってみようかな」と思える場所であること。
その積み重ねが、結果として、あきらめない力につながっていくのだと感じています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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