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【37歳で乳がんになった看護師】術後2〜3日

手術から数日。

胸、脇、背中はしびれており感覚があまりなかった。

(上手く言えないけど今も感覚は違うし鈍い)

痛みは鈍痛という感じで、

鎮痛剤を眠前に飲むくらいのレベルで過ごせていた。


夜は2〜3時間ごとに目が覚め、

その度にトイレや談話室まで歩いたりして気分転換をしながら過ごした。

寝ている時は寝返りを打たず仰向けのまま不動だったようで、

一度踵が痛過ぎて起きた。

危ない、褥瘡ができる。


ご飯はスペシャルアイテムふりかけのおかげで食べれるようになっていたが、

元々朝ごはんを食べない私は朝ごはんが苦手だった。

特にロールパン3個なんて元気な時でも朝から食べられない。

飲むヨーグルトだけ毎朝おいしくいただいた。

病院食は主菜は味が濃く、副菜は味がなかった。

なぜそんな極端な味付けなのか不思議だったが、

管理栄養士の資格を持ついとこの旦那さんから、

副菜に塩分を使うと主菜に使えなくなり、満遍なく薄くなってしまうからだと説明があった。

なるほど。


私が働いているのはリハビリ病院だが、

後に抗がん剤療法の際に栄養士さんと話す機会があり、

リハビリ病院の食事の方が味が濃いと思うと言ったら、

塩分の制限が違うとのことだった。

だからうちに転院してきた患者さんたちは、こっちのご飯の方が美味しいと言うのか。

納得。


お風呂にはまだ入れず、

毎日髪を洗わないと無理だった私はドライシャンプーにお世話になった。


手術から3日ほど経った頃、

ゴッドハンドからリハビリに行けという指令が出た。


言われて気づいたが、

手術で脇の筋肉も切ったため、

脇が突っ張って左腕が90度くらいまでしか上がらなかった。

放っておくと上がらないままになってしまうため、

部屋でも壁に腕をつけて上げる練習をするよう言われた。

また日課ができた。

自分自身のリハビリは初めてだったので、

どんな感じなんだろうと少しワクワクした。



この頃の安静度はもう病院内フリーとなっていたため、

コンビニや院内にあるドトールなんかにも自由に行けた。

暇だったので毎日コンビニに行き商品チェックをして回った。


また同室者のおばあちゃんが庭園に行ったと話しているのを盗み聞きし、

病院内に庭園があることを知りそこにも通って散歩した。

外に出られる素晴らしさを感じた。

今私が唯一外に出られる空間が庭園。

毎朝地上を歩いて出勤している人たちを病棟の廊下の窓から眺めては、

嫌々出勤していた日々は幸せなことなんだなと思った。

(でもやっぱり今も仕事に行くのは気が重い)



そんな時、

うちのおばあちゃんがお墓で転けて後頭部を切りCTを撮ったという知らせがきた。

いやいやどんな転け方しとんねん。

子どもの頃、私は汗疹がひどくて

夏になると毎年乳首がやられていた。

朝起きると浸出液が出るくらい掻いていて、

「乳がんになるで!」

とおばあちゃんによく怒られていた。

果たしてそれが影響したかは分からないが、

本当に乳がんになってしまいましたわ、おばあちゃん。


認知症が進んだおばあちゃんはもう私のことを覚えていないが、

私は乳がんになってから時々、

当時おばあちゃんの部屋で寝て迎えていた

夏の朝の景色をふと思い出す。

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