おじさんにだって若いときはあった。それが良いことかどうかは怪しいけれど
やあ、ニュース連動型おじさんだっくだよ。
今回はにゅーすではありません。
今日は4月の思い出を書いてみます。メンバーシップ【Saka.の教室】のお題「【限定企画】思い出を探す旅に出よう! 〜新年度ver.〜」の投稿です。
さて、私事を書くのは、実は僕には難しい。
というのも、僕は短期記憶も長期記憶もあまり保持出来ていないのです。
別に「君との思い出が、涙に溶けて消える前に」(望月くらげ)や「メメント」のように前向性健忘や記憶障害がある訳ではありません。
僕は元々何事も忘れやすいのです。
「何故?」と言われても困るのですが、余程ショックを受けたとかでなければ、殆どすぐに忘れます。鳥頭なのです。
そんなんでニュースとか言ってるなよとか思われるでしょうが、そこは仕組み作りです。仕事でもそうですが、記憶の構造化と外部化は手慣れています。
ただ、私的な何かというと話が別でそこは自然の忘却に任せていますので本当にすぐ曖昧になり解像度が下がるのです。
なので、僕にとっては鮮烈だった33年前の4月の話をしましょう。
23歳の僕は軽く絶望していた
僕は大学を3月に卒業し、4月6日から4月8日まで足かけ3日の入社式に赴いていた。
時は1992年、まだぎりぎりバブル経済が弾ける寸前で、僕らの世代は大量採用の売り手優位の就職環境だった。
日立製作所という大手電機に入った僕は実は本当に何も考えずに就職した。
「大手であれば、よほどの間違いでも起こさない限り安泰だ」と、大船に乗った気分。人生ゲームのあがりみたいな気分で頭の中はほわほわしていた。
現実はそんな甘いものではなく、僕はその20年後に日立から離れることになるのだけど、それはまた別の話。
とにかく僕はその際は、入社式を迎えた。
その初日に希望票への記入を求められた、その際の選択肢はこうだった。
東京本社を希望
関東のいずれか
国内のどこか
海外
さて、僕が何を選んだか分かるだろうか?溜めもせずに答えると2だった。
理由はこんな感じだ。家の側が良いから4は論外。3も変なところ(失礼な認識)は嫌だ。1.が良いが2.でも良かろうなどと訳の分からない遠慮だかなんだかで2.を選択したのです。
しかし、この考えが甘かった。
この選択結果がどうなるかなんて何も考えていなかったのだ。入社式3日目僕は軽く絶望することになった。
お偉いさんの長い長い演説が繰り返された2日目までとは3日目は様相が違った。とにかく前の演壇で配属先が発表されて、即移動する流れだった。
遠くの配属が先に言い渡され、九州や北海道など遠隔の人は即座に航空券と特急券などを渡されて即羽田行きになっていた。
僕は希望が叶ったのかなとのんびりしていた。
そして、僕はとある集団の一部として集められ、誘導されバスに乗せられた。
そして、バスが高速道路に乗ったとき僕はようやく選択を間違えたと理解した。
今考えてもあの第一歩が愚かであったと思うのです。
高速道路を降りると見たこともない田舎町だった
田舎町という言葉は侮蔑的なことは分かります。
しかし、僕にとっては見たことも聞いたこともない海寄りの寂れた町でした。
何故どうしてこんなことに?地方と言えば地方都市の営業とかでは?
辿り着いたのは工場でした。
そこには冴えない感じの総務担当者が「歓迎」と書いた旗と「日本国旗」を両手に掲げニコニコしながら待っていました。
「なんだここは?」バスに乗った中で10人くらいはそんな感じでした。残り40人は「知ってた」という顔。
その違いは、前者は事務屋、後者は技術職。
つまり、後者は最初から行き先を知っていた勢で少数派は選択結果を想定出来なかった面々で僕もその一人でした。
後で知ったのは、そこは日立の基幹系である茨城地区の電力系列でもなく、次期主力の情報処理が集まる神奈川でもなく、非常に立ち位置が怪しい電子デバイスの事業部の工場でした。
そして、そこからは連れられるままに研修所に行き、そして寮に連れて行かれました。
そこはなんと四人部屋の二段ベッドが二連のタコ部屋で、部屋は変なニオイがして、刑務所ちゃうかと思わせる室内向きじゃないゴツい扉がついていました。
結果どうなったか?
即日一人、一週間の内にもう一人退職です。今みたいにモームリとか存在はしません。
再就職するにもそんなに就職支援サービスはないし、そもそもインターネットが民間開放されていない時代です。
実のところ1995年当たりから今に至るまで10年以内の若年退職率は約30%で維持されています。
ですから、退職自体は珍しくは無いとは言え、即日はなかなかインパクトがありました。
現場研修3ヵ月二直三交代を実行
そのころはそれでも余裕はあった時代で現場研修を纏まった期間行っていました。
現場を知らずば工場の指示系統は務まらない。
そういう有り難い昭和思考の教育プログラムに従い、二直三交代に現場仕事を開始しました。
二直三交代とは、工場や病院など24時間稼働が必要な職場で採用される勤務形態の一つです。
「直」は班やグループを意味し、「二直」は2班、「三直」は3班体制を指します。
「交代」は勤務時間帯を指し、「二交代」は日勤と夜勤の2つの時間帯、「三交代」は日勤・準夜勤・夜勤の3つの時間帯で勤務を回します。
つまり「二直三交代」とは2つの班(直)が、日勤・準夜勤・夜勤の3つの時間帯をローテーションで交代しながら勤務する体制です。
それまで昼の授業と夜に家庭教師のアルバイトしかしなかった僕は夜勤込みの肉体労働にすぐ根をあげました。
現場には熟練のライン長と班長、そして鍛え上げられた現場の皆様しかいないのです。
どこをどうやっても無理ゲー。
当時はブラウン管というテレビの主要部品を製造していて、これは中身を真空にするために熱を加える排気行程がありました。
炉に筐体をセットし、処理後の無茶苦茶熱い筐体を検査機にセットして点灯試験をする。
とにかく重くて熱い。座れない。ときどき真空化にミスがあって筐体が破裂する。
完全に僕には狂気の世界でしたが、それが当たり前になるまで鍛えられました。
その後も紆余曲折があったけど、とにかくこのときの記憶は消えない
暫く座学をしつつ、本当の部門配属をされていくのですが、その後もすったもんだがありました。
就職活動自体は引く手あまたでした。その頃立ち上がったばかりのNTTドコモにも通っていましたし、実のところ地方公務員の道もあったのです。
でも、自分は何か民間で一旗揚げられるという思いと、NTTのポット出の子会社なんて嫌だとか。
そんな訳のわからない理由で何も考えずにレールに乗っていたら、なかなか凄いことになりました。
実際問題、これはメーカーあるあるです。
特段悲劇的なことでもなんでもなく、なんならヌルいレベルの話であることは今の僕は承知しています。
ただ、そのころはとにかく「え、なんか、やばい、どうしよう」と寮の四人部屋で同僚が息を殺してユサユサ(生理的なものは致し方ない)やっている脇でベッドに転がって悩んでいました。
風邪を引いて早退した同じ部屋の同期が座薬を肛門に挿入しているさなかに扉を開けてしまうとか、とにかく色々酷いこともカジュアルに発生しました。(ちなみにこの彼は、今は某別企業の取締役の一人です。こんなこと書いたと知られたらとんでもないことになりますが、まあこの程度で特定は出来ません)
なんとも青臭い話です。
オチらしいオチはありません。
その後は本当に色々あって僕は今はAIの調教師みたいな仕事(アーキテクトと言うらしいです)をしています。
何がどう転ぶとこうなるのかは分かりませんが、僕はあの大したことも無かった驚天動地の日々を未だに忘れることがありません。
多分この時期になると毎年思い出すのでしょう。
僕にとって春から初夏はそういう季節なのです。
さて、あなたはどう思いますか?
よろしければコメントやマシュマロ(匿名投稿)でお教え頂けると幸いです。
また、この記事を読んで楽しんで頂けたなら「スキ」や「フォロー」「高評価」そして「チップで応援」を頂けますと、僕がやる気マシマシになります。
ではまた次のnote記事でお会いいたしましょう。またねー!!
今月5/31までメンバーシップ早期加入者「超」割引中!

一緒に楽しくお勉強しましょう!あなたとの出会いを僕は楽しみにしています。

ネタに困るとか無くなること請け合います。っていうか面白ネタに溺れる覚悟をしておいでください。
マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大歓迎!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
深掘りして調べて欲しいニュース、
取り上げて欲しいこと、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!!
日々、音声でも発信してるよ!内容は基本的に別物なので気に入ればどうぞ。
後はThreadsであれこれ流してます。結構辛口かも。
いいなと思ったら応援しよう!
日経電子版、Foreign Affairs Magazine等の有償情報ソース、書籍に使わせていただきます!なかなかお小遣いでは購読が難しいのですけど、ここらへん充実できると記事に是非反映してお返し出来ればと思います。