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「何もしたくない日」が訪れたときに、思い出してほしいこと

「何もしたくない日」が、時々やってきます。
予定があっても気が進まない。
何かをやるべきなのに、身体がついてこない。
スマートフォンに手を伸ばしても、画面を見る気になれない。
ただ時間だけが過ぎていく、そんな日です。

そして、そんな自分に対して「このままじゃいけない」と焦ったり、
「だらしないな」と責める声が、心の中に浮かんできます。
私自身も、これまでに何度もその感覚を味わってきました。


ですが、感情に向き合う日々を積み重ねてきた中で、ようやく見えてきたことがあります。
「何もしたくない」という状態には、必ずと言っていいほど“理由”があります。
それは目に見えるようなはっきりした原因ではないかもしれません。
でも、心の中にはちゃんと理由がある。

知らず知らずのうちに溜めてきた疲労。
我慢や遠慮を続けた人間関係のストレス。
何かを期待され続けることへのプレッシャー。
過去の出来事の余韻。
あるいは、ただ気圧のせいかもしれない。

どれも大したことがないように思えるかもしれませんが、
積み重なったものは、気づかないうちに限界を超えることがあります。


「動けない自分」は、怠けているのではなく、
今の自分を守るために、心が一時停止のボタンを押しているのかもしれません。

これ以上進んだら壊れてしまう、と心が察知して、
自分のペースを取り戻すために、止まることを選んでいる。
そう捉えるようになってから、私はようやく「何もできない自分」を責めずにいられるようになりました。

人の心には、意識しないうちに作動する「守る力」があります。
何もしたくない、何も考えたくない、何も感じたくない。
そんな状態の裏には、感情や感覚が一時的に“避難している”だけのこともあるのです。


もちろん、何日も続けば不安にもなりますし、
「このままでいいのか」と思ってしまうこともあります。
でも、そう思えるということは、
自分の中に「回復したい気持ち」が芽生えてきた証拠でもあります。

本当に動けないときは、不安を感じることすらできません。
「不安だ」「どうにかしたい」と思えるとき、
心はもう少しずつ動き始めているのだと思います。


そんな中で、私が大切にしているのは、
小さな「心の動き」に気づくことです。

今日は朝のコーヒーが少しおいしく感じられた。
ふと見た空の色が、いつもより印象に残った。
一瞬だけ音楽に耳を傾けたくなった。

そういったほんの些細な感覚の変化が、
回復の入り口になることがあります。

「動けるようにならなきゃ」と焦るのではなく、
「まだ自分の中に、感じる力が残っている」と確認する。
それだけでも、少し気が楽になります。


私は今、「感情に名前をつける」というテーマで書き続けています。
言葉になりづらい気持ちを、丁寧に見つめて、
少しずつ輪郭を与えていくこと。
それは、自分自身と仲直りする過程でもありました。

「何もしたくない」という感情も、
そのひとつです。
決して否定すべきものではなく、
ちゃんと意味を持った、大切なサインです。


この文章が、いま少しだけ動けないでいる誰かに届いたら嬉しいです。
もしよければ、今日の自分に「今はちょっと休んでいいよ」と声をかけてみてください。
そして、何もしていないように見える時間の中にも、
ちゃんと意味があるのだということを、思い出してもらえたらと思います。

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