ペットのアヒルから生まれたカチカチ山のうさぎ精神
今はいないけど、たまに昔飼っていたアヒルのことを思い出す。
この前も実家に帰って、飼っている猫と戯れていた時、そういや10年前に家でアヒルを飼っていたなぁ、とふと思った 。
当時親がいきなりアヒルを飼い始めた時、50代の親が尖り出したんかと思った。50代の尖りはアヒルらしい。
アヒルから猫へ。今ではちゃんと丸くなっている
当時2匹アヒルを飼っていて名前が、「エルモ」と「サスケ」だった。
そして今家にいる猫の名前は「たま」だ。
どちらも親が付けた。
アヒルはエルモとサスケなのに猫には「たま」と名付ける親。同じ人が付けたとは思えないセンスの変わりそう。50代でもセンスって変わるんだとびっくりした
そんなアヒルを飼っていた実家の外装はというと、田舎感丸出しの古民家みたいな家だ。「和」が隠しきれないで滲み出ているような昔の家。
実家にある唯一の「洋」がウォシュレット付きのトイレしかないぐらい他全部「和」だ。
そんな実家にアヒルなんてもちろん雰囲気が合ってなかった。誰がどう見ても相性が悪い。
ラッパーと麻薬犬ぐらい相性悪い
猫と戯れている時アヒルとの思い出が甦った。
クァカーカー クォカーカー
こんな風に鳴いてたな。
あと卵をよく産んでたな。そしてそれを家族で目玉焼きにして食べてたな。
卵の黄身が異常に濃かったなどそんな事を覚えている
ざっとこんな感じ。あまり遊んだり、餌をあげた記憶がなかった。
こんなこと自分で気付きたくないけど俺はあんまりアヒルに愛着が湧いてなかった。
そもそも鳥の愛し方を知らない。犬猫なら散歩するし家にいるから接する時間が多いけどうちのアヒルの場合、川で飼っていたし柵もあったので気軽に触れるような感じではなかった。
ある日アヒルが亡くなった。寿命だと思った。
そうか仕方ない、と思ってた矢先親から
アヒルがたぬきに食われた と聞かされた。
そんなことあるんだ、と思った。1ミリも想像してなかった。そしてこの事実が俺に(この世は弱肉強食の世界である)ことを思い出させてくれた。
悔しかったし悲しかった。あまり愛着がなかったはずなのに今でもその事を思い出すとたぬきに腹が立つ。
たぬきを見るとアヒルを思い出すから、たぬきの信楽焼が置いてあるような蕎麦屋には行かないようにしてる。
逃げたたぬきを父親が追っていた。
食い逃げしたたぬき。文字通り食い逃げした。代金も払ってない。
たぬきは自分の家と隣の家の間にある細い道に逃げ込んだ
どんどん小さくなるたぬきの後ろ姿を見て、父が立ち止まる。
さすがに追うの諦めたのか、と思った。
そしたら止まると同時に父が瞬時に石を拾って、大きく腕を引いた。
まさか、と思った。飼っていたペットを食べた
たぬきにせめて一撃でも喰らわせようと、石を思いっきり投げたのである
子供だった当時の俺は なんだか凄い と感じた
初めて50代の殺気を見た。
けど投げた石は大きく逸れて、隣の家の壁にぶつかった
流石に準備運動なしの50代のピッチングなんてたかが知れていた。
けど父の、愛したペットを殺して食べたたぬきに対する恨みはカチカチ山のうさぎのそれと同じだった
あの時、自分は石を拾わなかった。アヒルに対して愛着が足りなかったんだと思う。たぬきを懲らしめてやろうという気持ちが、カチカチ山のうさぎのような気持ちが、俺には無かった
もし俺にカチカチ山精神があったら石を拾って思いっきり投げていたと思う。
そして隣の家に2発目の石を当てていたと思う。
