晩期マルクスとその可能性①
マルクスを長年研究してきたと言えば格好いいのだが、まず自分が労働者でなければ『資本論』を40年近く読んでこなかったと思う。それに40年も読んでいると、マルクスというひとがそれなりにわかってくる。マルクスの人格に対してはアンビヴァレンツな気持ちを持っている。さらに、『資本論』を読んだらすべてがわかるというようなひとがいるが、世界は『資本論』よりはさらに複雑だ。ただ『資本論』を読むとそれなりに人生において指針ができるというところがある。マルクスを読んできたと書いたが、自分がマルクスを読めば読むほど、マルクス=レーニン主義を脱構築Destruktionしてしまう結果になり、なぜかリベラル左派からは嫌われている。が、僕のマルクスの読み方が間違っているとも思わないし、マルクスもリベラル左派のために『資本論』を書いたのではなく労働者階級のために書いたのだからリベラル左派の批判は無視する。
Jedes Urtheil wissenschaftlicher Kritik ist mir willkommen. Gegenüber den Vorurtheilen der s.g. öffentlichen Meinung,der ich nie Koncessionen gemacht habe, gilt mir nach wie vor der Wahlspruch des grossen Florentiners
『資本論』を読んでしばらくして『共産党宣言』を読んだが、どうもその歴史観が納得できなかったのはよく覚えている。原始共産制ー奴隷制ー封建制ー資本制ー社会主義とそう一辺倒に図式通り歴史は発展するものかと言う疑問が残った。なんせ1300年前からある神社があり、お地蔵さんでも百年以上前からあるようなものもある。またぼくの勤めていた会社は半封建的な風土があった。といって最先端の技術もあるーこういった問題を、一つの街の中にも時間軸にして1000年ぐらいのものが平面上で同居しているということを解決できないではないかと思ったことがある。『共産党宣言』や『経済学批判』なども読んだがどうも納得できなかった。当時、80年代ぐらいはまだまだマルクス主義全盛期で、書店に行くとマルクスの名前を表題にした書物が何冊もあった。国民文庫というのもありマルクスやエンゲルス、レーニン、スターリンの本が文庫で買えた時代だった。が、70年代に比べるとマルクス主義も少し落ち目になり、フランス現代思想なども翻訳され始めていた。そこに冷戦崩壊がやってきた。すぐにではなかったが、マルクス主義関係の本もどんどん本屋の本棚から消えていった。ただぼくは社会主義云々というより『資本論』を読むとすっきりした。90年代あたりはバブルが崩壊して今ほどではないが暗雲が垂れ込めていた。そんな時『資本論』の表紙を開いて読むとすっきりした。
ある日、古書店で立ち読みしていると岩波文庫のマルクス『農業論集』という小さな本を見つけた。その時、初めて『ヴェラ・ザスーリッチ宛の手紙』を読んだ。今、その本はなくしてしまい持っていないが、平田清明が訳していたと思うが、史的唯物論の公式と違い翻訳してもなんだかわからず気持ち悪かったというようなことが「後書き」で書いてあったと記憶している。確かにマルクスがロシアでは資本主義を飛びこしてミール共同体を基に共産主義を作ることができると述べているのは、「唯物史観」の公式からするとおかしな話しだった。また当時『経済学批判要綱』も読んだ。こちらも公認マルクス主義からするとずいぶんとはずれている、これはどういうことだろうと思った。この自分なりの疑問にこだわった?もしくは問い続けたのは良かったと思う。やがて『資本論』にも異本があることがわかった。ドイツ語初版・二版、フランス語版の存在である。こう公認マルクス主義からはずれるマルクスの本を読みだすとMEWをはじめテキストそのものを疑うようになる。
ただその時期、カール・ポランニーや限界効用学派の創始者にされてしまったカール・メンガーを読んだのはよかったと今でも思っている。カール・ポランニーは昔、玉野井芳郎先生というもともと宇野学派のひとがいてカール・ポランニーはじめ経済学人類学の議論を紹介していた。またカール・メンガーも『国民経済学原理』の第二版では市場原理の底に「人間の経済」があることを指摘した。メンガーは『国民経済学原理』第一版が売り切れると再版をさせず、二版の改訂を急いだ。しかし、弟子のハイエクなどはメンガーの『国民経済学原理』初版をメンガーの主著として紹介。メンガーを「新自由主義」の創始者にしてしまった。どこにでもエピゴーネンはいるものだ。カール・メンガーの蔵書の中にはカール・マルクス『資本論』初版があるのだが、カール・メンガーがカール・マルクスからのインスピレーションで『国民経済学原理』第二版を構想したとするならば面白い話しなのだが、大学の縦割り行政の中で研究者は誰も研究していない。
玉野井先生の『経済の文明史』序文によると「現代の経済を文明の枠の中でもう一度とらえなおす必要が高まっていること」を否定するものはいないだろうとし、まずマリノフスキーやマルセル・モース、など文化人類学がフィールドワークから得た調査の結果、古典派以来の経済学の土台ーこれにはマルクス経済学も例外ではないーを揺るがしているという事態の中で経済学そのもののパラダイムを比較経済思想によって検証する必要性を訴えられている。
さらに、歴史学が、西ヨーロッパがひとり世界の普遍的歴史を代表するものではないという謙虚な視座を提供し始めたことに関する問題である。西ヨーロッパというユーラシア大陸の片隅でせいぜい近代になって確立した歴史理解を、相対化するにはどうすればいいかという観点である。
そして、経済学それ自身からの要請にかかわるものであるが、市場システムで処理できる対象よりも市場システムでの処理に馴染まない対象(例えば水、エネルギー、生命、性など)との関係において、経済学はどうそれらの問題に向き合うのかということである。
この3点に関して言えばマルクスが最晩年に向き合った問題であり、その問題の発展でもあると言えそうだ。カール・ポランニーの問題意識はある意味晩期マルクスの問題意識と共鳴するところがある。
カール・ポランニーはハンガリー生まれで、若き日は哲学者のルカーチ・ジョルジュなどとガリレオサークルに所属していた。ポランニーはルカーチと違い非ボルシェビキ的な共産主義思想に共鳴していたようである。やがて第一次世界大戦に参加、重傷を負うが亡命したウィーンで生涯の伴侶イロナ・ドゥチスカに出会う。イロナは1917年反戦の罪で逮捕され、さらにロシア革命後、今度は共産党から除名されるという真に戦闘的な経歴を持った心の持ち主だった。イロナは共産党から追放されても革命家としての活動をやめなかった。
ポランニーの経済学上の業績を簡単に述べるならばアダム・スミス以来の経済学の常識になっていた前提ー市場がすべてだという前提をDestruktionしたことである。アダム・スミス以来経済学は、こうした市場経済を想定し、その自己調整的メカニズムををめぐる理論的考察を続けてきた。しかし、自己調整市場とは、人類史の中では近代のみに限られた特殊な時代の所産に他ならないという問題意識だった。今やこの自己調整市場は地球すべてを覆いすべてを商品化しようとしているが、すべてを商品化(儲けのための生産)することによって環境破壊を極限的に進めている。
主著『大転換』の洞察によれば「すべての生産要素が価格を持って市場に登場する事実は、とりわけ通常財ばかりか労働・土地・貨幣についても市場が存在しているという事実に、根ざしているというのである。ポランニーによると、例えば労働はあらゆる社会を作り上げている主体的活動そのものであり、土地はその中に社会が存在する自然環境そのものである。しかも、そうした労働、土地はもとより、購買力として結晶した貨幣も本来商品と混同されるべきものではないことは明らかである」(経済の文明史)
ポランニーによれば「労働、土地、貨幣はいずれ販売のために生産されるのではなく、これらを商品視するのはまったくの擬制なのである。にもかかわらず、労働、土地、貨幣の市場が現実に組織されるのはこの擬制(フィクション)のせいなのである」(経済の文明史)
ポランニーの経済人類学は、資本主義経済を文明史的観点から相対化し、その市場一辺倒の考え方を問題視する。ポランニーは、例えば原始的なアルカイックな経済をも、従来のように非典型、おくれた経済とみなす変わりに、近代資本主義の経済と同じ次元で比較思想的考察を行った。
アリストテレスのギリシャ、ハムラビ王のバビロニア、18世紀のダホメ、マリノフスキーのトロブリアント諸島と、ひとしくポランニーの比較思想研究の対象になった。かくしてヨーロッパ中心の歴史観、経済思想、あるいはその最たるものとしての「唯物史観」も相対化されざるを得なくなった。ただマルクス自身はMEGA研究によると「唯物史観」という用語は使っていない。「弁証法的唯物論」がマルクスの用語とするのは論外である。
さて、当時、「ヴェラ・ザスーリッチ宛の手紙」や『経済学批判要綱』、『資本論フランス語版』など、いわゆるマルクス主義からはずれるテキストを読みながらマルクス主義を相対化しつつあった。
まず、ぼくがマルクスのテキストで引っかかったのはマルクスの思想の中で1番完成度が高いと思われた『資本論』第一章「商品」だった。マルクスは「ここで肝要なことは、かつてブルジョア経済学がかつて試みなかったことを果たすことなのである。すなわち貨幣形態の発生を立証すること。つまり、商品の価値関係の中に含まれている価値表現の発展を、価値表現のもっとも目立たない姿態からはじめて絢爛たる貨幣形態に至るまで追跡すること。こうすることによって、同時に貨幣の謎も消え去ることになる」(資本論二版)とマルクスは述べている。
しかし、商品から貨幣が発生した歴史的事実はなく、アダム・スミス同様物々交換から貨幣が生まれたとする同様の誤りをおかしている。人類学の研究やフィールドワークによると貨幣が商品経済よりも先にあった。原始貨幣はフェティシズムとして先史時代からあり、宗教発生以前からある。マルクスも『経済学批判要綱』などを読む限り原始貨幣については知っていた。マルクスの『資本論』の中で一番論証できているはずのところに失敗があると思われる。しかし、マルクスは『初版資本論』では「商品から貨幣の生成」はといていない。なぜ、『初版』から『二版』にかけて改悪とも言える叙述の変更がおこったのかわからないが、まずはマルセル・モースやポランニーによりながら人類学の観点からこの問題を考えてみたい。
