終身雇用から「終身信頼」へ――日本型雇用の組み替えを、契約の視点で読み解く

一律初任給の廃止、ジョブ型への完全移行、過半数を超えた副業解禁。別々に見えるこれらのニュースは、一本の線でつながっている。日本型雇用という長く続いた仕組みの、静かな組み替えだ。善悪ではなく「会社と個人の契約」として捉え、その条件が何から何へ書き換わろうとしているのかを読み解く。

ここ数年、日本の大企業から、似たようなニュースが次々と流れてくる。ある大手は新入社員の一律初任給を廃止し、初任給に上限を設けないと発表した。別の大手は、新卒採用を職務をあらかじめ決めて雇うジョブ型へ完全移行すると宣言した。一方で、副業を解禁する企業は大企業でも過半数を超え、政府は2027年度に希望者全員が副業できる社会を目標に掲げている。これらは、別々の出来事のように見えて、実は一本の線でつながっている。日本型雇用という、長く続いた仕組みの、静かな組み替えである。

この記事で試みたいのは、ジョブ型がよいか悪いか、年功序列を惜しむか否か、といった善悪の議論ではない。日本型雇用を、会社と個人が交わしてきた一つの契約として捉え、その契約の条件が、いま何から何へ書き換えられようとしているのかを読み解くことだ。仕組みの設計図を契約として読めば、この10年の変化の正体と、私たち一人ひとりに何が問われているのかが、立体的に見えてくるはずである。

ビフォー――メンバーシップ型という、精巧な契約

まず、これまでの日本型雇用がどんな契約だったかを確認しよう。専門的にはメンバーシップ型と呼ばれる。その本質は、職務を限定せずに、まず組織の一員として迎える、という点にある。入社時に何の仕事をするかは決まっていない。配属はあとから会社が決め、数年ごとに異動を命じる。給料は、担当する仕事の中身ではなく、勤続年数や年齢といった本人の属性で、ゆるやかに上がっていく。これが年功序列だ。そして会社は、よほどのことがない限り、定年まで雇用を守る。これが終身雇用である。

職務無限定、年功賃金、終身雇用。この三つは、ばらばらの制度ではなく、互いに支え合う一つのセットだった。どこに配属されても文句を言わない代わりに、雇用は守られる。いまの給料が働きに見合わなくても、若いころに安く働いた分を、年配になって取り返せる。長くいるほど得をするから、人は会社に長くとどまり、強い帰属意識を持つ。この契約は、決して時代遅れの遺物だったわけではない。経済が右肩上がりで、事業の中身が大きく変わらない時代には、見事に機能した。会社は、忠誠心が高く、どんな部署にも回せる人材を、安定して確保できた。働く側も、ひとつの会社に身を委ねれば、生涯の生活設計が立てられた。会社と個人が、いわば親子のような関係を結ぶ。それが、高度成長期の日本を支えた、精巧な契約だったのである。

メンバーシップ型は、私たちに何をもたらしたか

では、この精巧な契約は、日本で働く人々に、結局のところ何をもたらしたのだろうか。半世紀以上にわたって続いた仕組みの通信簿を、スキル、所得、幸福度という三つの面から、正負の両面でつけてみたい。どの面にも、確かな光と、見過ごせない影がある。

第一に、スキルである。光の面は大きい。メンバーシップ型は、会社が時間をかけて人を育てる仕組みだった。新人を一から教え、ジョブローテーションで様々な現場を経験させ、はばひろい技能を持つ人材を社内で育て上げる。この長期育成こそが、現場の改善力や、部署をまたいで連携できる調整力という、日本企業の強みを生んだ。一方で、影もはっきりしている。なんでもこなすゼネラリストを育てる裏返しとして、ひとつの分野を究めた専門人材が育ちにくい。高度な専門性が問われる時代に、この弱点は重くのしかかる。


第二に、所得である。光の面は、安定と平等だ。賃金の後払いという仕組みは、長く勤めれば暮らしが右肩上がりになるという見通しを与え、分厚い中間層を生み、格差の小さい社会を支えた。だが、影は近年いよいよ濃い。日本の賃金は、約30年にわたってほとんど伸びていない。経済協力開発機構の平均賃金の国際比較で、日本の順位は1991年の13位から2021年の24位へと、じりじり後退した。生産性は他国並みに伸びたのに、賃金がついてこない。年功で横並びに上げる仕組みは、安定をもたらした半面、突出した働きに報いる力に乏しく、全体の賃金を押し上げる勢いを欠いてきた、という指摘は重い。

第三に、幸福度である。ここに、最も逆説的な姿が表れる。メンバーシップ型は、会社という共同体への強い帰属意識と、長く同じ仲間と働く安心感を生んだ。これは確かな光だ。ところが、いざ仕事への熱意を測ると、日本は驚くほど低い。ある世界規模の調査では、仕事に意欲的に取り組む社員の割合が、調査国のなかで最低の水準にとどまり続けている。会社への忠誠心は高いのに、仕事そのものへの熱意は乏しい。組織への一体感を育てることには成功したが、一人ひとりが仕事に没頭する喜びを引き出すことには、必ずしも成功しなかったのである。守られる安心と引き換えに、自分で選んだ仕事に打ち込むという、別の種類の充実が痩せていった、とも読める。

三つの通信簿を並べると、共通の構造が見えてくる。メンバーシップ型は、安定・幅広さ・一体感という光を確かにもたらした。だがその同じ仕組みが、専門性・賃金の伸び・個人の熱意という面では、影を落としてきた。光と影は、別々のものではない。安定を生んだ仕組みが、まさにその安定ゆえに、変化や突出を抑える。功と罪は、同じコインの裏表なのだ。だからこそ、次に来る問いは切実になる。この仕組みを組み替えるとき、影だけを消して、光まで一緒に手放さずにいられるか、と。

なぜ、契約は維持できなくなったのか

その精巧な契約が、なぜ揺らいだのか。きっかけは、ある象徴的な発言だった。2019年、経済界を代表する立場にある人物たちが、相次いで終身雇用を続けるのは難しい、という趣旨の発言をしたのである。経済界のトップがこうした本音を口にするのは異例であり、それだけ仕組みが限界に近づいていることを物語っていた。

理由は、いくつも重なっている。第一に、事業環境の変化の速さだ。何を作って売るかが目まぐるしく変わる時代に、職務を決めずに人を抱え、時間をかけて社内で育てる方式は、変化に追いつけなくなった。第二に、世界規模の人材獲得競争である。高度な専門人材は、職務に応じて高い報酬を出す海外企業に流れていく。実際、ジョブ型へ舵を切ったある大手は、育てた人材が外資系へ流出し、同等の人材を中途で採れない、という危機感を転換の理由に挙げている。年功で横並びの賃金では、突出した専門家を引き止められないのだ。第三に、人口の構造変化がある。社員の年齢構成が高齢化すれば、若いころに安く働いた分を年配で取り返す、という年功賃金の世代間のやりくりは、原資が足りずに成り立たなくなる。安定を支えていた前提そのものが、次々と崩れていった。

興味深いのは、年功序列という仕組みが、ある日いきなり廃止されたわけではない、という点だ。実は、賃金の年齢による上がり方は、制度が騒がれるよりずっと前から、静かに寝てきていた。長期の統計を見ると、若手を100としたときに年配がどれだけ多くもらうか、その差は半世紀をかけて、着実に縮んできているのである。

ただし、誤解してはいけない。カーブが寝てきたとはいえ、50代を頂点とする山型の構造そのものは、いまも残っている。年功序列は、消滅したのではなく、ゆるやかに崩れつつある途中なのだ。この、変わりきってはいないが確実に変わりつつある、という宙づりの状態こそが、いまの日本型雇用の現在地である。

ジョブ型移行――「人」ではなく「仕事」に値段がつく

崩れた契約に代わって台頭してきたのが、ジョブ型と呼ばれる新しい仕組みである。これは、欧米で広く使われている考え方だ。ジョブ型の発想は明快である。あらかじめ仕事の中身、つまりジョブを定義し、その仕事に値段をつける。誰がその仕事をしても、報酬は同じ。社歴が長い人がやっても、入ったばかりの人がやっても、同じ職務なら同じ給料だ。人に値段がつくのではなく、仕事に値段がつく。だから、若くても高度な専門性があれば高く報われるし、長くいるだけでは給料は上がらない。

先ほど触れた、新入社員の一律初任給を廃止し、上限を設けないという動きは、まさにこの発想の表れだ。同じ年に入った同期でも、就く仕事と持つ力によって、初任給からはっきり差がつく。年齢や勤続が、報酬を決める物差しではなくなったのである。この変化は、働く個人にとって、二つの意味で重い。光の面では、年齢に関係なく、力を出せば出しただけ報われる道がひらける。実力のある人にとっては、待たされずに評価される、公平な仕組みだ。だが影の面もある。会社が職務を保証する以上、その職務自体が不要になれば、居場所もまた危うくなる。配属を会社にゆだねる代わりに守られる、という安全網は、職務を自分で引き受ける代わりに自分で価値を保つ、という自己責任に置き換わる。人ではなく仕事に値段がつく世界とは、裏を返せば、その仕事ができなくなった人の値段が問われる世界でもあるのだ。

アフター――守られない代わりに、自由を得る

ここで、冒頭にもう一つ挙げた動きを思い出してほしい。副業の解禁である。一見すると、ジョブ型とは別の話に思えるが、これも同じ契約の組み替えの、表と裏なのだ。かつてのメンバーシップ型では、副業は基本的に禁じられていた。理由はわかりやすい。会社が生涯の面倒を見る代わりに、社員には会社へ全力を尽くすことを求める。よその仕事に力を分けるなど、契約の精神に反する、というわけだ。ところが、会社が終身雇用を保証しきれなくなれば、この理屈は成り立たない。守りきれないのに、よそ見を禁じることはできない。だから副業の解禁は、終身雇用の見直しと、同じコインの裏表として進んでいる。実際、大企業でも副業を認める会社は過半数を超え、政府は近い将来、希望者全員が副業できる社会を目標に掲げるまでになった。

この流れの先にあるのが、キャリア自律という考え方だ。会社が用意したレールに乗っていれば安泰、という時代は終わりつつある。代わりに求められるのは、自分のキャリアを自分で設計し、必要な技能を自分で学び直し、ときには社外にも軸足を持つ、という主体的な姿勢である。会社は、その自律を支援こそすれ、肩代わりはしてくれない。守られない代わりに、自由を得る。これが、新しい契約が個人に差し出している、取引の条件なのである。

だが、移行はそう単純ではない――三つのねじれ

ここまで、安定の契約から自由の契約へ、という大きな流れを描いてきた。だが、現実の移行は、教科書どおりには進んでいない。取材や調査を重ねると、いくつもの興味深い「ねじれ」が浮かび上がってくる。理想と現実のあいだのこのねじれを知ることが、変化の実像をつかむ鍵になる。

第一のねじれは、純粋なジョブ型などほとんど存在しない、という事実だ。大々的にジョブ型移行をうたう企業でも、その内実は、メンバーシップ型を土台に残したまま、一部にジョブ型を接ぎ木した折衷型であることが多い。とりわけ中堅規模の企業では、メンバーシップ型でキャリアを積んできた中高年の社員が大勢いる中、評価制度を一気に変えるのは難しく、しかし優秀な若手は処遇しなければならない。そこで、いわば苦肉の策として、両者を組み合わせた移行期の制度に落ち着く。日本のジョブ型は、欧米の輸入品そのものではなく、日本の土壌に合わせて接ぎ木された、ハイブリッドな品種なのである。

第二のねじれは、看板を掛け替えても、中身が伴わないことがある、という問題だ。ジョブ型の制度を入れたはずなのに、現場では相変わらず、年功に沿って昇給や昇進が決まっていく。仕組みだけ新しくして、運用が古いままなら、制度は形だけのものになる。経営陣がジョブ型の狙いを腹落ちさせられず、現場の管理職もその意義を語れないまま導入すれば、社員には不公平感だけが残る。制度の移行は、規程を書き換えれば済むものではなく、人々の考え方が変わって初めて完成する。看板の掛け替えと、中身の入れ替えは、別の作業なのだ。

第三のねじれは、もっと意外なものだ。ジョブ型は、ごく最近に降ってわいた新しい話のように語られるが、実はまったくそうではない。さかのぼれば、1963年の時点で、当時の首相が国会の演説で、年功序列にとらわれず職務や能力に応じた賃金制度へ切り替えるべきだ、という趣旨を語っているのである。職務給への転換は、半世紀以上も前から、繰り返し主張されては立ち消えてきた、日本の積み残しの宿題だった。いま起きていることは、まったく新しい革命ではなく、60年越しでようやく動き始めた、宿題の提出なのかもしれない。

そして、これらのねじれの根っこには、日本に固有の事情がある。雇用の解消、つまり解雇に関するルールが厳しいことだ。欧米のジョブ型では、職務がなくなればその職務に就いていた人も離れる、というのが筋になる。だが日本では、職務が消えても簡単に解雇はできない。だから、職務をきっちり定義しきると、かえって配置転換の柔軟性を失って身動きが取れなくなる。日本のジョブ型が折衷型にならざるをえないのは、つくり手の都合というより、この国の雇用の土台そのものに理由があるのだ。移行が一直線に進まないのは、誰かの怠慢ではなく、構造の必然なのである。

検証――これは、交換条件の組み替えである

ここまで見てきた変化を、契約の交換条件という一点に絞って整理すると、本質がくっきりと浮かび上がる。

古い契約が個人に差し出していたのは、安定だった。その対価として、個人は従属を受け入れた。どこに配属されようと、何を命じられようと、会社に従う。その代わり、生涯の暮らしは守られる。安定と従属の交換である。一方、新しい契約が差し出すのは、自由だ。働く場所も、伸ばす力も、軸足の置き方も、自分で選べる。その対価として、個人は自己責任を引き受ける。自分の価値が下がれば、それは自分の問題になる。自由と自己責任の交換だ。つまり今、起きているのは、安定と従属を交換する契約から、自由と自己責任を交換する契約への、書き換えにほかならない。どちらが優れているという話ではない。それぞれに、得るものと失うものがある。重要なのは、交換条件が変わったという事実を、はっきり認識することだ。

なぜ認識が大事か。古い契約のつもりで新しい時代を生きると、最も危ういからである。守られると思い込んだまま自律の備えを怠れば、いざ職務が消えたとき、自由も安定も同時に失う。逆に、変化を正しく捉えれば、自由という新しい果実を、主体的に取りにいくことができる。問われているのは、自分がいまどちらの契約の下にいるのかを、直視できているかどうかなのだ。

結論――「終身雇用」から「終身信頼」へ

日本型雇用の組み替えは、何だったのか。それは、会社と個人の関係を、親子から、対等なパートナーへと描き直す試みである。かつて、ある経営者は、これからのキーワードは終身雇用ではなく終身信頼だ、と語った。会社にしがみつくのでも、会社が抱え込むのでもない。互いに選び合い、信頼で結ばれ、必要なときに手を組む。そういう関係への移行だ、という見立てである。

もちろん、現実はそう美しくは進まない。安定を失う痛みは本物だし、自由を使いこなせる人ばかりではない。だが、流れの向きはもう変わった。会社が一生を保証する時代は、静かに幕を閉じつつある。

会社まかせにできた時代から、自分で設計しなければならない時代へ。終身雇用の終わりは、キャリアを自分の手に取り戻す、その入り口なのかもしれない。

だからこそ、私たち一人ひとりに問われているのは、新しい契約の条件を直視し、自分のキャリアという資産を、誰の手で、どう設計するか、である。それは不安でもあるが、裏返せば、自分の働き方を自分で選べる、という自由の時代の始まりでもある。

主な参照情報

2019年、経団連会長およびトヨタ自動車社長が相次いで終身雇用の維持は難しいとの趣旨の発言を行い、日本型雇用の見直し議論が本格化(President、ITmedia、テレ朝news等の報道)。トヨタ社長は会社と社員の関係を「親子関係」から「対等なパートナー」へ、「終身雇用」から「終身信頼」へと転換すべきとの趣旨を述べた/メンバーシップ型雇用は職務を限定せず組織の一員として採用し、配属・異動を会社が決め、報酬を勤続・年齢等の属性で決める日本型の慣行。これに対しジョブ型雇用は職務を定義し職務に応じて報酬を決める欧米型の仕組み(Indeed等の解説)/富士通は2026年度入社から大学卒の一律初任給を廃止し、初任給に上限を設けず月31.5万〜38.5万円を軸に成果等で決定する方針。2019年の「IT企業からDX企業への変革」を機にジョブ型人事を全社導入し、25〜35歳の社員の外資系への流出が大きな経営課題だったと説明(日経クロステック、内閣官房・経済産業省・厚生労働省「ジョブ型人事指針」2024年8月)/日立製作所は新卒採用のジョブ型完全移行を表明。中外製薬、三井住友カード等も年功を前提としない人事制度を導入(各社発表、HRプロ等)/副業について、社員5,000人以上の大企業で容認または容認予定が過半数(日本経済団体連合会の調査)、政府は2027年度以降に希望者全員が原則副業・兼業できる社会を目指す指標を提示し、厚生労働省がモデル就業規則・ガイドラインを整備(内閣府・厚生労働省資料、ミライワークス調査等)。メンバーシップ型雇用のスキル面の功罪(長期育成・幅広い技能・柔軟な配置・チームワークという利点と、専門人材が育ちにくい・長時間労働傾向という弱点)についてはIndeed等の専門家解説。所得面については、日本の平均賃金がOECD加盟国比較で1991年13位から2021年24位へ後退し、実質賃金が約30年横ばいであること(OECD平均賃金データ、第一生命経済研究所等の分析)。幸福度・熱意の面については、ギャラップ社の従業員エンゲージメント調査で日本の「熱意ある社員」の割合が6%前後と調査国中最低水準が続いていること。日本型雇用システムが企業内人材育成等を特徴とすることは政府の整理(令和7年6月の閣議決定資料)でも示されている/本稿は各種公開情報にもとづく分析である。

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