制度の内側からの抵抗 ~TiDE New Single 『流行』のリリースに際して~

三島由紀夫の小説、『青の時代』で当時25歳の三島は戦後の混乱期を生きた青年達が抱えていた虚無感を終始冷ややかな視点から描きました。
後年、『文化防衛論』の中で三島は「私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。」と自らを省みつつ、1970年代初頭の学生運動の根っこに、「これをやったって失敗なんだと思いながら、そこから行動を起こす」といった、無力な自分達を自分達自身で嘲笑するような態度が存在することを指摘しました。
当時、そうしたシニシズム(冷笑主義)を産み出していた元凶が戦争であり、絶対的な核権力だったとするならば、現代社会に蔓延するシニシズムの源泉はどこにあるのでしょうか。
マーク・フィッシャーによればそれは資本主義という思想・経済体制にあるといいます。
無限に加速を続ける生産と消費のサイクルに組み込まれていく以外に選択肢がない、という感覚をフィッシャーは"再帰的無能感"と呼びました。
こうした現代の冷笑主義、ひいては資本主義社会にミュージシャンとしてどのように立ち向かえばいいのか、というのが今楽曲『流行』において核となる課題意識でした。
資本主義社会において、無限に加速する消費と生産のループに巻き込まれながらも、いち生産者として抵抗することはいかにして可能か。
この課題に対する一つの回答が、第二次大戦後、大量生産・大量消費を前提とする大衆文化をモチーフに、それらをただ皮肉的に捉えるだけでなく、芸術の域へと昇華させた"ポップアート"でした。
ポップアートが生まれた当時とは比較にならないほど、消費と生産の規模が拡大した現代においても、現行の制度に対する一つの抵抗の形として機能するのではないかという、そういった実感がありました。
このような背景から、今楽曲『流行』では、ポップアートの持つ ”制度の内側から、ユーモラスに制度を批判する態度” を手がかりに、現行の社会制度に対する自らの態度を表明することを試みました。
…といった具合に、コンセプトをしっかり書き出してみました。
ここまで読んでいただいた皆さん、ありがとうございます。
この文章が『流行』をより一層楽しむための一助となれば幸いです。
