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Levi's 501 の呼び方って。

Levi's 501。

皆さんは声に出すとき、なんと呼んでいますか?

おそらく、「ゴーマルイチ」と音にしていると思います。

僕もその一人。
読み方を誰かから教わった記憶はないのですが、
そこにはなんの違和感も、疑いもありません。

だけど先日、
ふとした瞬間にこの音に、引っかかりを覚えました。

きっかけは息子と幼稚園の帰り道に
数字の読み方で遊んでいたとき。

「"イチ"は英語で?」

1、2、3、4
日本語の数字を、英語に言い換えていく。

しばらくして、困り顔が見たいとなって、
「じゃあ、"ゼロ"は英語で?」と
すこし意地悪な質問。

息子が目を上にして考えている時間、
ついつい釣られて自分も考えます。

0だけは、日本語でも英語でも「ゼロ」
零(レイ)とは、あまり呼ばないよなと..。

なぜだろう、と思った延長線上で
501の「マル」についても頭に浮かびました。



「ゴーマルイチ」

五百一、でもないし
ファイブ・オー・ワン、でもない。
ゴーゼロイチでもなく、「ゴーマルイチ」

なんで「ゴーマルイチ」読みなのか。

名前の由来を考えてみると
それっぽい説明がいくつか思いつきます。

ミリタリー由来の番号読み文化とか、
工業製品的な型番の扱い方とか。

でも、そのどれもが今回の疑問に対する答えになっていません。

言わんとしていることは分かるけど、
肝心の読み方の説明には結びつきません。

納得できるけど、腹落ちできない。
そんな感じです。



古着やヴィンテージの世界で
そんな掴みどころのない経験に覚えがある人って
意外と多いのではないでしょうか。

当たり前のように文化が浸透していて
そこに疑いの目を向ける余地がないような。

ベールに包まれていて、
ある種のブラックボックスだったとしても。

だからこそ、
浪漫あるストーリーを耳にすれば、
不思議と納得してしまいます。

そして、その浪漫が人々を魅了し
モノに付加価値を宿していくところも
洋服の興味深いところ。



New Balance 990は

「キューキューゼロ」と呼ばれます。

キューキューマルではなく、キューキューゼロ。
名前の由来ともなっている990点をなぞるなら、
キューヒャクキュウジュウと読んでもおかしくありません。

そう思うと、なんだかこの呼び方には
「意志」があるように思います。

「マル」よりも「ゼロ」の方がなんとなく
洗練されていてカッコイイ。

「キュウヒャクキュウジュウ」よりも
「キューキューゼロ」の方がシンプル。

工業製品としての、
完成度やスペックを重んじる空気があります。

すこしのニュアンスによって輪郭を際立たせています。

同じ「0」を含む数字でも、
読み方によって印象が変わるのが面白いです。



すこし脱線してしまいましたので、話を戻します。

さて、Levi's 501の呼び方問題。
皆さんはなぜ「ゴーマルイチ」と呼ぶようになったと思いますか?

自分の考えはこうです。

「気づいたらゴーマルイチ」

ただ、それだけ。



もし倉庫や店頭で、
「これ、ゴーマルイチね」と声にして、

相手にそのまま伝わったら
その読みは“正しい”はずです。

ゴヒャクイチでも、
ファイブ・オー・ワンでも、多分通じます。

でも、「ゴーマルイチ」

なんとなく口にした「ゴーマルイチ」は
言いやすくて、聞き返されることもなく、
訂正を必要とする人がいなかった。

そういう音だったからこそ、
自然に残っていったんだと。

そういった意味で
「ゴーマルイチ」読みは、とても自然で
"意図した"意志を感じません。

会議室で生まれた商業的なネーミングというより、
工場や倉庫、あるいは販売店の現場や喫煙所で
気づいたら使われていたような響きです。



誰かが決めたわけでも、
読み方の意味が共有されたわけでもないはずです。

ただ、言いやすかった。
ただ、なんとなくそう呼んで、不自由なく通じた。

それが時間とともに広く、深く浸透して、
いつの間にか「ゴーゼロイチ」でも
「ファイブオーワン」でもしっくりこなくなる。

誰かの強い意志もなく
売り手の編集も必要とせず
「ゴーマルイチ」は「ゴーマルイチ」

いまはまだ「ゴヒャクイチ」と読んでいる息子も、
そのうち「ゴーマルイチ」と特に理由もなく呼びだすんだと思います。

やっぱり凄いな、501。



次回は

NIKE Air MAX 90
Lee 101
JM WESTON 180

このあたりのどれかについて
考えてみたいと思います。

それでは。

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