4コマ無画⑦Ⓞ
【4コマ無画:難解な等号"=”】
肉を喰らい、野菜を食べる。穀物や果物、私たちは実にあらゆるものを口にする。
食をこよなく愛する私には、ずっと解けない疑問がある。
「同じだけ食べた」はずなのに、その後の満足感がまるで違うのはなぜか。
例えば、ステーキの100gと、レタスの100g。あるいは白米の100g。
皿の上の重さは同じでも、食後の腹に残る「重み」は決して等しくはないのだ。
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そもそも、食事における「同量」とは何を指すのだろうか。
精密なはかりが示す「グラム数」なのか。それとも、理科の教科書に載っているような「カロリー」という熱量単位なのか。
仮に200キロカロリー分を食べたとしても、それを板チョコで摂取するのと、山盛りのキャベツで摂取するのとでは、胃袋が感じる「納得感」は天と地ほどの差がある。
数字の上では等号で結ばれていても、人間の体という計算機は、もっと複雑な計算で動いているらしい。
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肉を噛み締める時の、あの「命を頂いている」という野性的な充実感。
一方で、瑞々しい野菜が喉を通る時の、体が浄化されていくような清涼感。
これらは、タンパク質やビタミンの含有量といった「成分表」だけでは説明がつかない。
噛む回数、鼻に抜ける香り、舌の上で溶ける脂の余韻。
そうした数値化できない「世界観」こそ、「満足」の不思議な調味料になっているのではないだろうか。
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私の胃袋は「グラム」でも「カロリー」でもなく、その瞬間ごとの「物語」を食べているのかもしれない。
「今日は肉の気分だ」という直感に従い、その欲望と皿の上の肉がピタリと重なった時、その満足度計数機は最大値を指し示す。
健康のためにと無理やり詰め込んだサラダより、背徳感と共に流し込む深夜のラーメン一杯の方は、カロリーだけでなく心を満たす質量はずっと重い。
……さて、今日の私のイコールは、一体どれだろうか。
まずは、この皿の上の肉を「喰らう」ことから始めるとするか。
気付けばそれは等号(イコール)ではなくMAXだった(笑)
