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#14 アナログについての愛を語る

 先日の「#12 レトロについての愛を語る」の続編。

 ふと懐古主義の話になった時に、今の人たちってどんな風にコミュニケーションを取ってるんだろうね、という話になった。

 わたしたちがまだ毛の生えた程度の自我しか持ち合わせていない時に、よく友人たちとさまざまなものを貸し借りした。よく読んでいる本もそうだし、CDだとかゲームだとか。

 今でこそゲームは、世界中の誰とでも繋がることができるようになったけれど、よくよく考えたらほんの十年ほど前はお互いのゲーム機をケーブルで繋いでいたし、4人並んでコントローラを握り、隣の人の荒ぶる息を感じながら一緒に遊んでいたわけだ。

 CDを貸し借りする時には、好きな子が今はまっている音楽や漫画を風の噂で聞き、それとなく借りに行ったこともある。今思うとあれはひどくアナログなもののやり取りをしていて、対面する相手がいて初めて成り立つものだった。多分いまはそんなことせずとも、自分が好きな曲をいつでも聴ける一歩進んだ時代。

 でもそれって、なんか損してないだろうか、って思ってしまうのはわたしだけだろうか。

ちなみに本来「アナログ」とは連続的なデータを扱うものを指し、「デジタル」とは段階的なデータを扱うもののことを指します。ただし、本記事においてはシステム化されていないもののことを「アナログ」と表現してます。

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効率よく回る世界

 次第に日本の文化水準が高くなることは、重々承知している。

 気がつけばコンポはポータブルプレーヤーに置き換わり、やがてiPodやiPhoneが登場した。好きなアーティストはCDやMDで聞くことが当たり前だったのに(MDってもはや死語…?)、今やアプリを入れておけばなんでも聞くことができる時代となっている。本当に、便利な時代だなぁとしみじみ感じる。

 できるだけ手間なく、効率よく生きることに人は苦心していて、その浮いた時間でまた新しいことを始める。

 そうして時間の節約を図ることによって、人は新たな試みを行う自由を手に入れるのだ。ネットサーフィンしていれば、自分が得たい情報を勝手にサジェストしてくれる。その都度、無理に考える必要もなくなってくる。

 IoT(Internet of Thingsの略:ネットによっていろんな電子機器を好き勝手に使える感じです)によって何でもかんでもが繋がる時代になって、身の回りのことはスマートデバイスがあれば全てできるようになってしまう。素晴らしい時代だ。人は予知されうるすべてのリスクから遠ざけられるよう、知らぬ間に手ほどきを受けている。

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偽物だと思いたいだけ

 便利になればなるほど、そうした一種楽だと思われる生活に反発したくなる。時間をかけるからこそ、感じられる美しさもあるのだということを感じたいだけ。

 何もかもが効率化された世界なんて、温もりも何もあったもんではない。もちろん、わかっている。こうした考えはおそらく今後陳腐化して、わたしよりも若い世代には一笑に付されるかもしれないという可能性も。遠い未来ではなく、何年後かに待ち受けている世界かもしれないということを。 

 でもね、やっぱりわたし自身は諦めきれないんだよね。技術が発展して、そうした温もりさえもITによって作り出される可能性があるけれど、それはきっと違うよそんなのは偽物の愛だよ、と叫びたくなる。

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 電子書籍ではなくて紙の本できちんとした重みを感じていたい派だし、重量的な制限がなければiPhoneのアプリではなくてレコードを聴きたいし、肩が凝ったとしてもゴテゴテした一眼レフカメラで撮りたいし。

 親世代の人たちから昔は黒電話で、親の目を盗みながら好きな子と連絡を取っていたんだよという話を聞くと、なんだか羨ましいなぁと思ってしまう。不便だったかもしれないけれど、でも何というかそうしたドキドキ感とかって今じゃ味わおうとしてもなかなかできない(そもそも家に固定電話がある家も減ってきているようだし)。

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ミニマリスト

 たぶんこの先どんどんどんどん、今あるものは形が小さくなってできるだけ持ち運びやすいものになっていくだろうし、もしかしたら空気を震わせて自分の意思を伝えるだけで好き勝手できる時代もやってくるような気がしている。

 それともう一つ大きな変化として、ものを購入するというよりかは何でもレンタルする流れにシフトしつつある。コロナ禍になって、オフィスなんかもコスト削減の観点から手放す企業が増えているという。皆がみな、次第にモノを持たない消費を目指して生活をしている。

 車もそうだし、アプリなんかはその筆頭だし、それと一時彼氏彼女や友人をレンタルする、といったサービスも話題になった。でもそこまでいくと、正直ちょっとやり過ぎかなと思う。いつかはともするとリアルではなく、バーチャルなコミュニケーションが主流になるかもしれないけれど、ただただ畏怖を感じる。おもちゃみたいな、関係性。

 誰だって、新しい人たちと知り合うことは一定の勇気を要すると思うよ。でも人もモノもサービスも、きちんとそこに物語が成立するから面白いんじゃないか。気軽に手軽に便利に手にできる関係性は楽だけど、なんだかどんどん自分の感情が摩耗して退廃していく気がしてしまう。

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 もちろん、その関係性すべてを否定するわけではもちろんない。風の時代と言われる今の世の中だからこそ、自分が果たして何を大切にして、何に対して愛を感じているのかその対象をはっきりさせねばと思った。

 …とここまで書いたことで、最初の「アナログについての愛を語る」という趣旨からだいぶ遠ざかってしまった気がする。ふぅ。でもとりあえずわたしが言いたいのは、きちんと形のあるものの方が具体的な愛のイメージが湧きやすいということだ。

 人は、想像をしながら生きる生き物だからね。そりゃイメージしやすい方がいいじゃない。きちんと自分の中にある、五感をフル稼働させてさ。


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