ショートショート :アルカレミア
アルカレミア・・・血液のpHが通常よりアルカリ性に傾いている状態。
藤原さんが、傷害罪で逮捕された。
逮捕の原因は、喧嘩だ。ある時、町一番の繁華街で藤原さんが若い男性と喧嘩になり、その相手方の男は全治3週間の怪我を負うことになった。対して藤原さんはかすり傷ひとつ程度。相手方の男は怒りが収まらず、そのまま弁護士を通して藤原さんは訴えられ、事件当日に勾留されていた藤原さんはそのまましばらく刑務所の中で暮らすことになった。
とはいいつつも、最初に絡んできたのは相手方の男だったということが、その後複数の目撃者の証言から明るみになり、藤原さんは3週間程度で町に戻ってきたのだった。
私の家から徒歩数分程度の場所に、藤原さんは住んでいる。
田舎町なので、家は隣り合っておらず、隣の家と定義された場所へ行くにも数十秒かかる。私が住んでいる地域は、だんだん過疎化が進んでおり、中学に進学しても1クラスしかない。かなり広い範囲から生徒を集めているので、仲の良い子の家へ遊びに行くにも徒歩ではままならず、自転車は必須だった。
友人のゆかりの家へ遊びに行くときには、必ず藤原さんの家の前を通る。藤原さんは、先祖代々引き継いできた畑にいつも立っていて、腰を曲げながらなにかしら農作業をしている。時々作業の合間でたまたま藤原さんの手が空いていると、気まぐれで私に話しかけてくるのだった。
藤原さんは、見た目がおっかない。でも話してみると、見た目とは裏腹に、至って穏やかな気性の持ち主だった。いつも話しかけるたびに「たくさん食べて大きくなれよ。」と言うのが口癖。40代を少し過ぎた歳の頃にも関わらず、がっしりして体格が良く、鍬を振るう姿が様になっていた。
田舎町ではあっという間に噂が広まる。田舎は良くも悪くも信憑性のない噂が伝わりやすく、藤原さんに関する話が尾びれ背びれがくっついた形で私の耳に入ってきた。中には藤原さんが、出所後暴力団に入ったなんて話をする人もいた。とんでもない誤解だ。そんなことするほどの度胸もない人なのに。
藤原さんが逮捕された翌日、根も葉もない噂が広がり、あっという間に藤原さんが帰ってきづらい雰囲気になってしまった。私の母も、私に対して藤原さんの家には近づいちゃダメよ、とことあるごとに口を酸っぱくして言う。
私は天邪鬼な性格なので、周りの人にダメだと言われるとその反対のことをしたくなる。それと時折話をする藤原さんが、私からしてみたらどうしても悪い人には見えなかったのだ。
藤原さんが町に戻って来た段階で、私は本人に会いに行った。せんべいとお豆が入った菓子袋を持って。
「はい、これ。」
「おお、静ちゃんじゃねえか。一体どうしたのさ。」
「晴れて町に戻って来たお祝い。捕まってたって聞いた。」
「そうなのよ、魔が差しちまったなあ。」
「どうしたの。ふだんの藤原さんらしくない。」
「うん、お酒を飲み過ぎていささかタガが外れちまったんだろうなあ。若い兄ちゃんに喧嘩をふっかけられたことまでは覚えてるんだけどよ、その後の記憶がなんつうか、ちょっとおぼろげでなあ。」
「刑務所はどんなところだった?」
「うーん、とにかく汚くて飯もまずい場所だったなあ。あんなところ二度とごめんだよ。」
「町の人たちが、あることないこと噂してる。」
「そうだべなあ。どうりでうちに帰ってきても町の人たちの目線が冷たいわけだ。」
「そういう人たちは、単に小心者なだけだよ。藤原さんのことをよく知らないから、くだらない噂を信じちゃうんだよ。」
その時近くを通りかかった、私の家の隣の隣に住む成田さんという中年のおばちゃんが、藤原さんと私が話していたということをその日のうちに私の母に話してしまった。結果として私は家に帰ると母にこっぴどく叱られる羽目になる。藤原さんに申し訳ないと思いつつ、叱られるのが嫌なので藤原さんとはしばらく話をしない日が何日か続いた。
ある時藤原さんの家の前を通ると、藤原さんの畑が荒らされていた。動物が荒らしたような雰囲気ではない。確実に誰か人の手が入ったと思われる様子だった。矢も盾もたまらず、人がいなさそうなタイミングを見計らって私は藤原さんに会いに行った。
「畑、どうしたの?」
「ん、そうなあ。タチの悪い獣にやられちまったらしいなあ。」
へらへらと笑う藤原さんに、私は少し憤りを感じた。
「あれは絶対に動物じゃなくて、誰かこの町の人の仕業だよ。」
「そうかもしれねえなあ。でもそうだとしても仕方ないことだべや。因果応報ってやつよ。」
「何言ってるの。確かに藤原さんは誤って誰かを怪我させてしまったかもしれないけど、それは町の人たちには関係ないじゃない。」
「だから、因果応報なのよ。」
その後はどんなことを言っても、藤原さんは「因果応報」と言って話をはぐらかすのだった。
因果応報の意味がよくわからなくて、家に帰って調べたけどやっぱりよくわからなかった。誰にだって過ちの一つや二つあるじゃない。他人事ながら、私はこのちっぽけで狭苦しい社会に嫌気がさした。
それからしばらく立っても、細々と藤原さんへの嫌がらせは続いた。そしてある時、気づいたら藤原さんの家からは人の住む気配がしなくなっていた。数ヶ月して、藤原さんの家は跡形もなく取り壊されて、畑も「売却予定」という立札が立っていた。
学校の帰り道、私は友人のゆかりと一緒に下校途中にある河原へと向かう。部活動にどこも所属していない私たちは、いつも河原へ降りて数十分程度話をして帰るのが習慣になっていた。自転車から降りて河原に座る。そしてなんとなく、周辺にあった割と大きめの石を積み上げる。
「私はなんだか悲しくてやりきれない気持ちだよ、ゆかり。」
「何が?藤原さん?」
「そう、なんだってあんないい人が町を追い出されなきゃならないんだろ。」
「うん、静の気持ちもわかるけど、仕方ないことかもね。人を呪わば穴二つ、って言うしね。」
「それは因果応報みたいなもんかな?」
「まあそれと近いかも。たった一度とはいえ、誰かを傷つけてしまった藤原さんはそのせいで報いを受けることになってしまったんだね。」
「自分の罪を悔い改めれば、神様は許してくれるんじゃないの?」
この間、道徳の授業があったときに、先生がそんな話をしていたことを思い出して言ってみた。
「そんなのは違う国の世界で起きること。私たちが住んでいる町なんて、高が知れてるから。人の噂でご飯食べている人たちがそんな神様みたいな広い心持ち合わせているわけないじゃない。自分たちの生活範囲を死守することで一杯一杯だよ。」
ゆかりは学校でも1、2を争う秀才だけあってなかなか難しいことを言う。
「あーあ、私は早くこんな狭い場所抜け出して、早く東京に行きたいよ。」
ゆかりはそう言って、腕を上に伸ばしてそのまま河原の上に寝っ転がった。
「へ、ゆかり東京行っちゃうの?」
「うん。だってこんな場所にいたら息詰まっちゃうし。もっと色んな世界を見たいし。」
「大人だなあ、ゆかりは。」
私は自分が東京にいる、という図を全く想像できなかった。
「知ってる?東京の渋谷ってところでは、好きなだけスイーツを食べることができるお店があるみたいよ。」
「何それー。天国じゃない。」
東京は、一体どんな町なんだろう。
積み上げていた石が、バランスを崩して上からボロボロと崩れていった。藤原さんのことについては、どうしようもないもどかしさやら悔しさやらが募る結果となった。こんな狭苦しい世界ではなくて、きちんと藤原さんの新しい生活が、どこかで始まることをただ祈った。
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