慶應義塾大学医学部の大学”始まり”物語note
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創立概要
1868(慶応4)年3月 福沢諭吉、塾を芝新銭座移転、慶應義塾と名付ける、三田藩・仙台藩・紀州藩・中津藩・越後長岡藩と懇意に、藩士を大量に受け入れ
1869(明治2)年1月 相良知安、ドイツ医学の採用建言・採用される、イギリス医学を推進していた薩摩閥・土佐閥の恨み
1873(明治6)年 松山棟庵、福沢諭吉と共に、イギリス医学の医学校設立画策、慶應義塾医学所創立、慶応義塾大学医学部の源流に
1880(明治13)年 慶應義塾の経営危機、慶應義塾医学所廃校、ドイツ医学全盛にあって一石投じる
1883(明治16)年 北里柴三郎、東京大学医学部在学中に予防医学を生涯の仕事とすることを決意、卒業後に内務省衛生局入省
1885(明治18)年 - 1892(明治25)年 北里柴三郎、ドイツ・ベルリン大学留学、世界で初めて破傷風菌純粋培養法に成功
1890(明治23)年 北里柴三郎、血清療法をジフテリアに応用、同僚・ベーリング連名で論文発表、第1回ノーベル生理学・医学賞候補に
1890(明治23)年 北里柴三郎、脚気細菌起源説を否定、母校・帝国大学医科大学と対立、日本での活躍が限られる
1892(明治25)年 福沢諭吉、この事態を憂慮、森村市左衛門・長與專齋らと共に私財投じて北里柴三郎を支援
1892(明治25)年10月 北里柴三郎、日本最初の伝染病研究所・私立伝染病研究所創立、大日本私立衛生会附属に
1893(明治26)年 北里柴三郎、福沢諭吉より私有地提供、日本最初の結核専門病院・土筆ケ岡養生園設立
1899(明治32)年3月 内務省移管、国立伝染病研究所に
1914(大正3)年10月 伝研騒動、一切の相談なく国立伝染病研究所を内務省より文部省移管、東京帝国大学医科大学の下部組織に、これに反発した北里柴三郎ら職員全員が一斉に辞表提出
1914(大正3)年11月5日 北里柴三郎、私財投じて北里研究所創立
1917(大正6)年4月 北里柴三郎、福沢諭吉の多大なる恩義に報いる、北里大学・教授陣をあげて慶應義塾大学部医学科創立に尽力
創立者:
福沢諭吉
松山棟庵
北里柴三郎
”始まり”物語ショート動画
創立者・教育者
福沢諭吉
松山棟庵
北里柴三郎
北島多一
志賀潔
大学事始WEB|年表でつづる、大学の”始まり”物語。
大学事始Youtube|3分ショート動画
