仏教で気づく自分都合な「ものさしの目盛り」
カワスケ:こんちゃん、さっき道を渡ろうとしたら、車が全然止まってくれなくてプンプンだよぅ!
こんちゃん:カワスケは自分が空をスイスイ飛んでる時、下を飛んでいるスズメさんに「邪魔だコン!」って思ってないかコン?
カワスケ:あ…そういえば…ドキッとしたよぅ…
皆さん、こんにちは!大巌寺宝物殿の白狐のこんちゃんと、カワウのカワスケだよぅ。 今日は、皆さんの心の中にある「ものさし」のお話だコン
「私の物差し 目盛は都合で変化する」
私たちは普段、自分の基準が「普通」だと思って毎日を過ごしていますよね。 でも、カワスケのように立場が一つ変わるだけで、ものの見方は驚くほど変わってしまうものなんです。
たとえば、車を運転している時は、道をゆっくり渡る歩行者を「邪魔だなぁ」と感じてしまうことがあります。 ところが、自分が歩行者として道を渡る側になると、止まろうとしない車に対して「自分勝手だ!」と怒りを感じてしまう。 皆さんも、身に覚えがありませんか?
こんちゃん:これは、お仕事やご家庭の中でも同じだコン。
人に指示を出す立場になれば、相手がすぐに動かないことにイライラ。 逆に指示を受ける立場に回れば、相手の言い方にトゲがあると感じて反発したくなる。
私たちは、その時々の都合に合わせて、自分だけの「ものさし」の目盛りを都合よく書き換えているんです。 そして恐ろしいことに、その自分勝手な変化には、なかなか自分自身で気づくことができません。
こんちゃん:仏教では、このように自分を中心において物事を見てしまう心のことを「我執(がしゅう)」と呼んでいて、これがぼくたちを苦しめる悩みのタネ(煩悩の根源)だと教えているんだコン。
カワスケ:この「我執」を完全に消し去ることは、とっても難しいことだよぅ。 ボクたちは常に「自分の目」というフィルターを通してしか、世界を見ることができないんだよぅ。
でも、「自分はそういう自分勝手なところがあるんだな」と意識することなら、今日からでも始められますよね。 自分のものさしは決して絶対ではない、と自覚することが第一歩です。
「他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」(相田みつを)
まずは自分の目盛りが自分勝手に動いていないか。 ふとした瞬間に立ち止まって、心を確認してみませんか?
参考:法輪寺 6月後半のことば「私の物差し 目盛は都合で変化する」
https://hourinji.blogspot.com/2026/06/
