Presence of the Lord (エリック・クラプトン) 〜 歌詞和訳
クラプトン・ファン歴 優に半世紀を超える筆者。好きなクラプトンの曲は当然ながらかなり多いけれど, Presence of the Lord はもしかしたらトップ10 にランクインするかもしれない。ただしそれは Blind Faith のオリジナル・ヴァージョンではなく, 作詞作曲者であるクラプトンが 自ら歌う後年のヴァージョン。
なかでも Derek and the Dominos 時代のライヴ・ヴァージョンは最高で, Dominos 解散後にリリースされたアルバム "In Concert" の Presence of the Lord, あのクラプトンのヴォーカルは素晴らしく, ギターも極上。Dominos の後なら, 例えば 1975年リリースの クラプトンのライヴ・アルバム "E. C. Was Here" のヴァージョン, もちろん クラプトンのギター・ヴォーカル共にいいけれど, 一緒に歌う Yvonne Elliman のヴォーカルは「素晴らし過ぎ」, 泣ける。
思い出もあって, 自分の高校時代, 学園祭でバンドで演奏した曲だし(Blind Faith のスタジオ・ヴァージョン, なんとヴォーカルとリード・ギターを共に担当, しかし歌は褒められたものの自分のギターソロは思い切り下手だったことをよく覚えている), その前には 後に職業音楽家になる 3歳年上の自分の兄貴がやはり同じ高校で学園祭の時にバンドで演奏した曲でもある(第4章で音源を載せる Derek and the Dominos のライヴ・アルバム "In Concert" 収録ヴァージョン, 兄はそのヴァージョンのリード・ギターを完コピで弾いていた)。
さて, 以下の第1章と第2章は歌詞和訳に際しての(バンド名や曲名に絡んだ言葉遊びのような)「前口上」, 第3章と第4章が Presence of the Lord 音源および歌詞和訳, そして 第5章以降はこの曲やクラプトンに関わる「付録」です。
Presence of the Lord と Blind Faith 〜 「神の存在」 と 「盲目的な信仰」
Presence of the Lord のオリジナルは, Eric Clapton が Cream 解散の後に Steve Winwood, Ginger Baker, Ric Grech と組んだ Blind Faith による, 1969年リリースの彼らの唯一のアルバム, バンド名をそのままアルバムのタイトルにした Blind Faith に収録されている。
Presence of the Lord は 直訳するなら「神の面前」「神の存在」「(キリスト教における)神の臨在」(そもそも "God" が一神教だけでなく多神教における「神」にも使えるのに対し "Lord" を「神」の意で使う場合は キリスト教などのアブラハムの宗教における「神」を意味し, 「臨在」はキリスト教において [神は不可視ではあるが常に其処に存在している] ということを意味する), そして 最初に記した「神の面前」を やや かしこまって言えば(かしこまる, 畏まる, 多少なりとも畏敬・畏怖の念を込めれば)「神の御前」,
一方で, この曲をリリースしたバンドの名前であり収録されたアルバムのタイトルでもある Blind Faith の(言葉としての)意味は「盲信」「盲目的な信仰」「やみくもに信仰する行為」であって 一般的に「愚行」のニュアンスを含む。
そういうわけで, 少なくとも単に「見た目」に感じるシンプルな印象として言うなら, Presence of the Lord の曲のタイトルそのもの及び歌詞(後者は第3章)と, バンド名であり収録アルバムのタイトルでもある Blind Faith の組み合わせ, その対比, 対照は, かなり面白いものではある(*1)。
くどくどと述べたけれど, まぁ上に書いたことって Presence of the Lord の歌詞の中身に対してどれだけの意味があることなのか, そこは実は微妙で, しかし, でありながら面白いことではあるので, 先に書いて済ましておきたく, それで「前口上」した次第。
…… 🎶 …… 🎶 ……
*1 Presence of the Lord の作詞作曲者は Clapton で, バンド名 Blind Faith の命名者も Clapton だったようだが, 因みに,
The new band's name was confirmed as "Blind Faith" around this time by Clapton, who thought it described everyone's self-belief that the band would be successful, no matter what happened.
Clapton は「何が起ころうともバンドは成功するというバンド・メンバーそれぞれの自信」を表わすフレーズとして, バンド名 Blind Faith を考案したらしく, 要するに, 自身が作詞作曲した Presence of the Lord 「神の存在」「神の臨在」「神の面前」「神の御前」を バンドのデビュー・アルバムに収録しようとする Clapton が, 一方で バンド名をわざわざ Blind Faith 「盲目的な信仰」にしたという, そのような, 筆者のような粘着質なキャラの人間が深読みしたくなるような関係性が, 上述の二つの事象の間に現実にあったわけではない, 言うまでもなく。いや, もしかしたら深層意識, 深層心理においては何かあったのかもしれないが … 粘るね(笑)
日本でのシングル盤のカップリング, "Presence of the Lord" "Can't Find My Way Home" 〜 「神の御前で(生きる道を見つけた)」「家に帰る道が見つからない」
Blind Faith の本国イギリスでは, Presence of the Lord 収録アルバムからのシングル・カットのカップリングは Steve Winwood 作詞作曲の Can't Find My Way Home とカヴァー曲の "Well All Right" だったが, 日本では, 以下の通りだった。

で, この 2曲, Presence of the Lord と Can't Find My Way Home をつなげると, 「神の御前で」「家に帰る道が見つからない」。
前者は歌詞の始まりが I have finally found a way to live, さらに進むと I have finally found a place to live, in the presence of the Lord と歌っている, それを踏まえると, 「俺はついに生きる道を見つけた」「神の御前で, ついに生きる場所を見つけたんだ」(けど?)「家に帰る道が見つからない」となる。
やはりこの組み合わせも, 前章の例 同様に, 妙な, いや「絶妙」な組み合わせに感じる。さすがに, 日本におけるシングル盤のカップリングに, 2曲をつなげてリスナーに何か良からぬことを(笑)考えさせる意図があったとは思わないけれども … いや,
いやしかし, 「妙な」ことにこだわり出すと, 拘泥し出すと(拘泥して泥沼にハマると), そもそも, Blind Faith 「盲目的な信仰」のバンド名をそのまま冠したアルバム Blind Faith 「盲目的な信仰」の中の収録順も,
LP の A面 4曲は 順に "Had to Cry Today", Can't Find My Way Home, "Well All Right", Presence of the Lord, B面は 2曲で, 順に "Sea of Joy", "Do What You Like",
これを強引に意訳含みで日本語にしていくと, 「今日 泣くしかなかった」(なぜって)「家に帰る道が見つからない」(からさ, でも)「ああ 大丈夫だよ」「神の御前で」(生きる道を見つけたんだ, だから今は)「喜びの海」(さ, さぁ君も)「好きなようにしな」(笑)。I have finally found a way to live 🎶
そう言えば(わざとらしい!), Can't Find My Way Home, 以下の第4章などに載せていた。
(上掲リンク note 目次)
自分では変えられないことを受け入れる、これはかなり難しい。
人生のポケットから出る方法はどこかにある ー そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」
Give Me Strength (Eric Clapton) ー 歌詞和訳
Can't Find My Way Home
付録1: Facebook の脳味噌がない検閲当局が投稿させない Can't Find My Way Home
付録2: 長崎原爆投下の犠牲者の写真をヌードだとして削除する Facebook の検閲プログラムの愚劣さ
…… ♫ …… ♫
次章, ようやくのこと, 今日の本題。
Presence of the Lord 〜 歌詞和訳
Eric Clapton が作詞作曲したこの曲, その収録アルバムのリリース日は 1969年8月9日で, Wikipedia によれば その録音は 同年2月20日から 6月28日。
誕生日が 1945年3月30日の Clapton は, この曲を書いた時, 23歳だったことになる(細かいことを言えば, アルバム・レコーディング期間中の作詞作曲でそれが誕生日を過ぎていたとしても24歳)。
I have finally found a way to live, 「俺はついに生きる道を見つけた」。これを弱冠(これも細かい注釈ながら, 「弱冠」は元は数え年二十歳を意味する言葉ながら, ここでは転じて単に「年が若い」の意)23歳で書いたなんて。
Clapton はその時, どんな心境だったんだろう。
しかも I have finally found a place to live, in the presence of the Lord, 「俺はついに生きる場所を見つけた, 神の御前で」と歌った Clapton, その後, ドラッグ中毒やアルコール中毒に陥ったり, 親友 George Harrison の妻 Pattie Boyd を愛するようになり George と離婚した Pattie と結婚, その後, 離婚, 一方で その正式離婚の前にイタリア人女優で モデルでもある Lory Del Santo との間に子供をもうけたり(その息子 Conor の4歳の時の悲しい事故死は 後に名曲 "Tears in Heaven" につながる), そのほか諸々, とにかく波乱の人生を歩むことになる。
*因みに Clapton, 1969年リリースの The Who によるロック・オペラのアルバム "Tommy" が映画化された 1975年公開の同名映画には, なんと伝道師(説教師)の役で出演している。
音楽の話に戻ろう。この曲 Presence of the Lord を最初にリリースしたバンドは Blind Faith, バンド名を無理やり日本語にするなら「盲目的な信仰」。
Blind Faith (Eric Clapton: ex-Cream, Steve Winwood: ex-Traffic, Ginger Baker: ex-Cream, and Ric Grech) は 1969年初頭の Clapton と Winwood のジャム・セッションが切っ掛けで結成されるが, 同年8月のアルバムのリリースと同アルバムのプロモーションの為のアメリカ・ツアーの後, Clapton がバンドのパフォーマンスに不満を抱いたことが主因で, 同年中にあっけなく解散する。
彼らが残した唯一のアルバムのタイトルは バンドの名を冠した Blind Faith で(因みに日本盤の邦題は「スーパー・ジャイアンツ」という訳の分からない, 文字通り無茶苦茶なものだった), その LP の A面の最後の曲が Presence of the Lord である。
アルバムからは Winwood 作詞作曲の "Can't Find My Way Home" が, カヴァー曲の "Well All Right" とのカップリングで シングル・カットされている。
Presence of the Lord は少なくとも英米ではシングル・リリースされていないのではと思うが, しかしやはり Clapton のネイム・ヴァリューからか, 日本においては 前章に写真を掲載した通り "Can't Find My Way Home" とのカップリングで シングル盤が出ていたようだ。「ようだ」というのは, Clapton ファン歴が優に半世紀を超える筆者ながら, これは最近まで知らなかった。リリースはいつ頃のことだったのだろう。
さて, この Presence of the Lord, 作詞作曲は前述の通り Clapton, しかしこの曲で ヴォーカルをとったのは "Can't Find My Way Home" 同様に Winwood だった。Cream 時代にもヴォーカル経験がある Clapton, しかしこの頃はまだ歌うことにそれほど自信はなかったのかもしれない。
正直, "Can't Find My Way Home" の Winwood のヴォーカルは好きだけれど, アルバム "Blind Faith" 収録のオリジナル・ヴァージョン Presence of the Lord における Winwood のヴォーカルは, 個人的にはあまり好きではない。
Presence of the Lord に関しては, 後年のライヴ・ヴァージョンにおける Clapton のヴォーカルの方がずっといいと思う。とりわけ Derek and the Dominos のライヴ・ヴァージョンにおける Clapton は, ヴォーカルもギターも共に素晴らしい(次章に音源あり)。
しかし(と書くのもなんだが), とりあえず(と言うのもなんだが.. しつこいね), 本章では Blind Faith オリジナル・ヴァージョンの Presence of the Lord の音源と筆者による歌詞の和訳を掲載しようと思う。
*以下の YouTube 上のクリップの画像は, 此処では些か分かりにくいだろうけれども, リリース当時 物議を醸したアルバムのカヴァー(ジャケット)に「物議を避けるべく」なのか 加工がされている。その更に下は, 加工がされていない, アルバムのジャケットそのままを使用した, YouTube 上の Blind Faith のアカウントによるクリップへのリンク(ジャケット写真は他の方の note でも掲載されているくらいで, かつ以下は Blind Faith アカウントによるクリップへのリンク)。
続けて, 筆者による歌詞の和訳を掲載する。
Presence of the Lord from Blind Faith's 1969 self-titled album Blind Faith 🎶
英語原詞 https://genius.com/Blind-faith-presence-of-the-lord-lyrics
俺はついに生きる道を見つけた (*1)
以前には決して出来なかったようなことだ
与えるものを多く持ってないってことは分かってる
だけど俺はどんな扉も開けられるのさ
誰もが 秘密を知っている
誰もが 真実を知っている (*2)
俺はついに生きる道を見つけた
神の色で (*3)
俺はついに生きる場所を見つけた
以前には決して出来なかったようなことだ
与えるものを多く持ってないってことは分かってる
しかし 間もなく 俺はどんな扉も開けるようになるだろう
誰もが 秘密を知っている
誰もが 真実を知っている (*2)
俺はついに生きる場所を見つけた
神の御前で (*4)
神の御前で
俺はついに生きる道を見つけた
以前には決して出来なかったようなことだ
与えるものを多く持ってないってことは分かってる
だけど俺はどんな扉も開けられるのさ
誰もが 秘密を知っている
そうさ, 誰もが 真実を知っているんだ (*2)
俺はついに生きる道を見つけた
神の色で (*3)
神の色で
…… 🎶 …… 🎶 ……
訳注
*1 英語では I (だけ)でも, 日本語に訳すとなるとしばしば迷うのは, 「私」, 「僕」, 「俺」.. などの どれにするのか, ということ。
この歌を書いた時の Eric Clapton は, まだ 23歳 程度。その後の彼の「波乱の人生」を踏まえれば, 壮年あるいは高齢の人間の「人生観」からくるものに対比できるような類の, 若さゆえの「観念」の表明, とも言えるかもしれない。そんなことを考えながら, 「俺」を選んだ。
Blind Faith オリジナル・ヴァージョンを歌った時の Steve Winwood (born May 12, 1948) は まだ 20歳か21歳, この歌の作詞作曲者で リード・ギターを弾いた Clapton (born March 30, 1945) は 23歳 か 24歳。
後年の Clapton, 少なくとも今の年齢の Clapton が歌う Presence of the Lord の歌詞に日本語訳を付けるのなら, I は「私」の方が相応しいだろうと思う。
というわけで, これは実は一例に過ぎず, 歌の歌詞(に限らないけれども)を 外国語に訳し 全く同じ意味で表現することは 不可能。歌詞の和訳は, それはそれで 訳者の解釈を踏まえた(訳者の)「表現行為」。
*2 Everybody knows the score, 「誰もが 真実を知っている」。score ("the score") は「(事の)真相」「真実」といった意味でも使われる言葉。
*3 In the colour of the Lord, この colour (color) は 難解(に見える, 思える)。複数形 "colors" なら「(ただし?『人の』)本性, 内面」という意味で使われることもあるようだが, それでしっくりくるのかどうか微妙だし, そもそもこの歌詞の中では複数形ではなく単数形。とりあえず(何か今後 気づけば 修正, 編集・校正する), あるいはこのままになるかもしれないが, 今は直訳で「神の色で」。
これはもしかしたら, 日本語で言うところの, 例えば「あの人の色に染まる」, などの場合の「色」に近いのかもしれない。
*4 第1章でも書いた通りで, presence of the Lord は, 直訳するなら「神の面前」「神の存在」「(キリスト教における)神の臨在」(そもそも "God" が一神教だけでなく多神教における「神」にも使えるのに対し "Lord" を「神」の意で使う場合は キリスト教などのアブラハムの宗教における「神」を意味し, 「臨在」はキリスト教において [神は不可視ではあるが常に其処に存在している] ということを意味する), そして最初に記した「神の面前」を やや かしこまって言えば(かしこまる, 畏まる, 多少なりとも畏敬・畏怖の念を込めれば)「神の御前」。
…… 🎶 …… 🎶 ……
ではでは。
Presence of the Lord 〜 Derek and the Dominos, Eric Clapton & Yvonne Elliman, Eric Clapton & Steve Winwood 🎶
今日の「前説」より。
クラプトン・ファン歴 優に半世紀を超える筆者。好きなクラプトンの曲は当然ながらかなり多いけれど, Presence of the Lord はもしかしたらトップ10 にランクインするかもしれない。ただしそれは Blind Faith のオリジナル・ヴァージョンではなく, 作詞作曲者であるクラプトンが 自ら歌う後年のヴァージョン。
なかでも Derek and the Dominos 時代のライヴ・ヴァージョンは最高で, Dominos 解散後にリリースされたアルバム "In Concert" の Presence of the Lord, あのクラプトンのヴォーカルは素晴らしく, ギターも極上。
思い出もあって, 自分の高校時代, 学園祭でバンドで演奏した曲だし(Blind Faith のスタジオ・ヴァージョン, なんとヴォーカルとリード・ギターを共に担当, しかし歌は褒められたものの自分のギターソロは思い切り下手だったことをよく覚えている), その前には 後に職業音楽家になる 3歳年上の自分の兄貴がやはり同じ高校で学園祭の時にバンドで演奏した曲でもある(第4章で音源を載せる Derek and the Dominos のライヴ・アルバム "In Concert" 収録ヴァージョン, 兄はそのヴァージョンのリード・ギターを完コピで弾いていた)。
1973年1月リリース "In Concert" 収録, 後に 1994年2月リリース "Live at the Fillmore" にも収録,
Presence of the Lord 〜 Derek and the Dominos LIVE at the Fillmore East, October 24, 1970 🎶
ではでは, 次は,
Dominos の後なら, 例えば 1975年リリースの クラプトンのライヴ・アルバム "E. C. Was Here" のヴァージョン, もちろん クラプトンのギター・ヴォーカル共にいいけれど, 一緒に歌う Yvonne Elliman のヴォーカルは「素晴らし過ぎ」, 泣ける。
Presence of the Lord 〜 Eric Clapton LIVE at Long Beach Arena, Long Beach, California, July 20, 1974; from his 1975 live album E. C. Was Here 🎶
Yvonne Elliman は上のイメージの人ではありません(笑)。しっかし彼女のヴォーカル, ほんと最高。
次,
以下のクリップ, 日本でのライヴじゃないけど, Steve Winwood との共演ライヴなら, 妻子と共に 家族3人で観たよ(2011年, 以下のクリップの下)🎶
Presence of the Lord 〜 Eric Clapton and Steve Winwood LIVE at the Crossroads Guitar Festival 2007, with Derek Trucks and Doyle Bramhall II 🎶
我が家の居間の壁に, 今も貼ってある 🎶

ではでは。
"Presence of the Lord" 「神の存在」 の後年, クラプトンがリリースした「神」もしくは「信仰」「信念」「信じること」などに言及した曲の中から ..
Give Me Strength 〜 歌詞和訳
Give Me Strength from Eric Clapton's 1974 album 461 Ocean Boulevard (*2) 🎶
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-give-me-strength-lyrics
神様、私に続けていく強さを与えてください
ああ神様、私に生き続ける強さを与えてください
私の家はハイウェイの彼方に
神様、私はあまりに多くの過ちを犯してきました
だけどお願いです、どうか私に生き続ける強さを与えてください
神様、私に続けていく強さを与えてください
ああ神様、私に生き続ける強さを与えてください
私の家はハイウェイの彼方に
神様、私はあまりに多くの過ちを犯してきました
だけどお願いです、どうか私に生き続ける強さを与えてください
…… 以下, 訳注(のようなもの) …… 🎶
下掲リンク note (*3)第3章より
「人生のポケット」に嵌まり込んでいた時期も含めて、2001年からの数年間、けっこうな数の英語の歌の歌詞を、日本語に訳していた。「人生のポケット」から脱け出て以降も、時折やることがあるが、昔ほど頻繁ではない。
プロの翻訳家なんかではないから(「なんか」とは失礼な、いえいえ、そんな大それたものではないのです拙者は、という意味です、しかし以前謙り表現していた「拙訳」ではありません、まぁまぁの「良訳」、「良薬口に苦し」ですぞ、長い括弧)、それは要するに、趣味シュミ人の趣味シュミ翻訳。
今日の投稿の最初の方で、マイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」は、気になってから9年も経った2012年に読んだけれど、当時、出口が一向に見えない暗くて長いトンネル、つまり暗くて深い「人生のポケット」の中にいた自分にとって、自分の心身を支えることに力を貸してくれた幾つかのもののうちの一つだった、というようなことを書いたけれど、あれはつまり、英語で言うと、"Give me strength to carry on" だったんだと思う。
自分は「神」なるものの存在を信じていない。まぁ宇宙の何処かに、あるいはこの地球上、そして身の回りを含む其処彼処に、物理的というか科学的な意味で、しかしある意味、哲学的な意味でも、何か絶対的な存在があるような考え方はするが、それは巷の、ユダヤ・キリスト・イスラムといったアブラハムの宗教をはじめとしたいわゆる「宗教」でいうところの「神」、なるものとは、全く違う。
この歌の歌詞の中の "Lord" とは、強いて言えば、アブラハムの宗教における「神」を指すことになると思うが、自分はそういうわけで、そんな「神」なるものを、全く信じていない。ただ、この歌自体は、数多ある好きな歌のうちの一つ。
歌詞は、2001年9月8日に訳した。訳した時に併せて日記を書くことが多かったが、その日は日記というものを書いていない。
*1 今から 24年近く前, 2001年夏に「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」(成美堂出版)という本を買って html を独学し, (当時 激務の仕事をしていたし, 実際には)「3日間」ならぬ 5日間ほどで立ち上げ, その後, 仕様をずっと旧態依然とした体裁のままにしている(そして軽く10年以上 放置中, おそらくこれからも)自前のホームページ上。
*2 461 Ocean Boulevard の「レヴュー」もどきを書いたことがある。これも上記の自前のホームページ上。
*3 Give Me Strength, 以下の第3章などに載せていた。
(上掲リンク note 目次)
自分では変えられないことを受け入れる、これはかなり難しい。
人生のポケットから出る方法はどこかにある ー そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」
Give Me Strength (Eric Clapton) ー 歌詞和訳
Can't Find My Way Home
付録1: Facebook の脳味噌がない検閲当局が投稿させない Can't Find My Way Home
付録2: 長崎原爆投下の犠牲者の写真をヌードだとして削除する Facebook の検閲プログラムの愚劣さ
…………
ではでは, 次は 🎶
Running on Faith 〜 歌詞和訳
以下の第1章。
Running on Faith from Eric Clapton's 1989 album Journeyman 🎶
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-running-on-faith-lyrics
このところずっと 私は 信じることで 生きている (*1)
哀れな男に 他に何ができる?
それでも 私の世界はうまくいくだろう
愛が あなたに届きさえすれば
このところずっと 私は 寝言ばかり言っている
いったい何を言わなくちゃいけないというのか
私の世界がうまくいくということ以外に
愛が あなたに戻りさえすれば
私は いつも 一日一日を大事にしてきた
今ごろには 私を大切に思ってくれる人をみつけているはずだった
それで 私たちは 信じ続けるんだ (*1)
夢が全て叶うだろうことを
それで 私たちの世界はうまくいくだろう
愛が 私とあなたに 届きさえすれば
私は いつも 一日一日を大事にしてきた
今ごろには 私を大切に思ってくれる人をみつけているはずだった
だから 私たちは 信じ続けるんだ
夢は全て叶うはずだってことを
それで 私たちの世界はうまくいくだろう
愛が 私とあなたに 届きさえすれば
愛が あなたに届きさえすれば
愛が あなたに届きさえすればね
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
私たちの夢は全て叶うだろう
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
私たちの夢は全て叶うだろう
愛が あなたに届きさえすればね
私たちの夢は
私たちの夢は 全て 叶うだろう
愛が あなたに届きさえすれば
私たちの夢は全て叶うだろう
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
愛が あなたを包み込む
…………………………………
訳注
*1 run on は「〜 で走る」「(切れ目なく)〜 を続ける」「(心が)~に捕らわれる」など。この歌のタイトルや歌詞の中にある run on faith は, 信念で生きる, 信じることで 生きる, 信じ続ける, 信じることを頼りにして生きる, そんなニュアンスで解釈すればよいかと。
Tears in Heaven 〜 歌詞和訳
以下の第1章。下掲リンクの下に, 「前口上」(注釈 *1~3 は今日付した)と共に転載。
この歌は 1991年のレコーディング。作曲はエリック・クラプトン本人、歌詞はクラプトンとウィル・ジェニングスの共作。若い頃はギターの腕前ばかりに注目が集まり、後年になってヴォーカルも高く評価されるようになったクラプトン、作曲の方もそのヒット曲の大半は自身の手によるものだから合わせ評価されて然るべきと思うが、歌詞の方もなかなかにいいものを書いていると思う。しかし、この歌の歌詞については、おそらくは自分の手だけでは文字通り手に負えなかったということかもしれない。
この歌が作られる時期の直前のクラプトン自身もしくは彼の身の回りに起きた悲劇を振り返っておくと、1990年8月26日、アメリカ合州国ウィスコンシン州で開催されたブルース・フェスティバルにクラプトン、バディ・ガイ、ロバート・クレイ、ジミー・ヴォーンらと共演したスティーヴィー・レイ・ヴォーンが終演後に次のライヴ会場(クラプトンとツアー中だった)を目指しシカゴ行きのヘリコプターに乗ったところそのヘリが濃霧のなか墜落してしまい、クラプトンのスタッフ3人を含む乗員と共に他界(共演の翌日、1990年8月27日未明)、そしてこのヘリに乗り合わせなかったため、クラプトンは生き残るかたちに。さらに翌1991年3月には、こちらはより多くの人々に知られている悲劇だが、自身の当時4歳の息子がニューヨークのマンションの53階の窓から落ちて死去。
さすがに息子の死まで重なると、世界の多くのクラプトン ・ファンが、クラプトンがまた過去あったようにドラッグもしくはアルコール依存の世界を生きる日々に戻ってしまうのではないかと心配した(一ファンである筆者もそういう懸念を感じてかなり気を揉んだ)。
結果、クラプトンは長らく自宅に引き籠ったが、不幸中の幸いでファンの心配は外れ、ある意味、彼はこの歌を作り、そして歌うことで、その悲劇と自身の深い悲しみを乗り越えていくことになった。
この歌はまず、"Rush" というタイトルの1991年に公開されたアメリカ映画にその主題歌として使われたが、筆者自身、当時 VHS でその映画を観たところ、映画自体の出来はいまいちだった。ただ一方で、クラプトンが担当した同映画のサウンドトラックの内容はかなり良く(CD を買った)、聴き応えがあるものだった。
その後、クラプトンは 1992年の大ヒット "MTV Unplugged" のライヴでもこれを歌い、後年は後者のパフォーマンスの方がより多くの人々の耳に届いているかもしれない。
この歌は 1993年のグラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀ポップ男性歌手賞の受賞作となったが("Unplugged" ライヴのアルバムの方もグラミー賞3部門獲得)、最優秀レコード賞だったか、最優秀楽曲賞だったか、いずれにしても受賞スピーチの際、受賞の喜びを語る一方でクラプトンが同時に「罪を感じる」と言ったのを、筆者は今でもよく記憶している(生だったと思うが、当時筆者は WOWOW でテレビ中継された授賞式を観ていた)。
自らの息子である一人の人間の実際の死を受け、その悲劇と自身の悲しみを乗り越えていく過程で作った歌が晴れやかな舞台で脚光を浴びたことへの、ある種の罪悪感を語ったのだろうと思う。
この歌の歌詞は、2003年4月20日に和訳した(*1)。当時その和訳歌詞を掲載した自分のホームページの記録によれば翌4月21日に一部修正しているのだけれど、どの部分を直したのか、現時点で思い出せてない。
以下に、スタジオ・レコーディングの音源と歌詞、合わせて筆者による和訳歌詞、それから "Unplugged" ライヴ・ヴァージョンの音源と歌詞、筆者による和訳歌詞、最後に "Unplugged" アルバムの筆者による「レヴュー」もどきへのリンク(*2)、そしてこの歌の歌詞を訳した当時の極私的日記(日記だから私的なのは当然か、でもまぁ自分のホームページに掲載した日記からの転載)(*3) などを掲載する。
本章の最後に載せる当時の日記にある通り、一部意訳を含んでいると思う(ほぼ毎度のことながら)。
Tears in Heaven 〜 a 1991 song by Eric Clapton and Will Jennings, written about the death of Clapton's four-year-old son, Conor
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-tears-in-heaven-lyrics
僕の名を憶えていてくれるかい
天国で再会したなら
同じでいてくれるかい
天国で会う時に
僕は強くあらなくちゃいけない
生き続けなくちゃならない
なぜって僕はわかっているからさ
僕は天国にいるんじゃないってことを
僕の手を握りしめてくれるかい
天国で再会したなら
僕に手を差し延べてくれるかい
天国で会った時も
いつか僕は自分の道をみつけるだろう
幾度もの夜と昼を乗り越えて
なぜって僕はわかってはいるからさ
今は天国にいられないってことを
打ちのめされる時がある
あきらめてしまいたくなる時がある
悲嘆にくれる時もある
お願いですからと神に請いたくもなる
そのドアの向こうに
きっと平安があると確信してるんだ
僕はわかってるよ
天国ではこれ以上涙にくれることもないのさ
僕の名を憶えていてくれるかい
天国で再会したなら
同じでいてくれるかい
天国で会う時に
僕は強くあらなくちゃいけない
生き続けなくちゃならない
なぜって僕はわかっているからさ
僕は天国にいるんじゃないってことを
…… ♫ …… ♫ …….
*1 前節で触れた自前のホームページ上
*2 Unplugged 「レヴュー」もどき(自前のホームページ上)。
*3 歌詞を訳した日(2003年4月20日)の, 自前のホームページ上(*4)に掲載した日記
しばらく前に、甥っ子がメールをくれて、訳詞のリクエストをもらいました。そういうわけで、大事な甥っ子のリスエクトに応え、今日はクラプトンの TEARS IN HEAVEN を訳しました。例によって意訳ですが、この歌、意外と難しかった。
タイトルの TEARS IN HEAVEN が出てくるのは1箇所だけで、And I know there'll be no more tears in heaven という部分。この肝腎な tears in heaven だって、深く考えようとすると、わりと単純なレベルでよくわからなくなる。まぁ英語表現の理解が完璧な人なら、容易にわかる類のことでもあるかもしれないんだけど。
事故で息子を亡くしたクラプトンが立ち直る過程で作った曲、と簡単に言ってしまうのは気がひけるが、これはあまりに有名な話。このことからすれば、喪失した悲しみが天国に向けて涙を流させる、しかし強くあらなくちゃいけない、もう涙を流すこともないだろう・・・なんて読めたりもする。だけど、そういう訳にはしませんでした。そういう意味じゃ、タイトルの訳し方からへんかもしれないけどなぁ。
結局、これは自分の意訳なんです。あくまで自分の気分で訳しています。僕は名曲を借りて、自分の気持ちをところどころに織り込みながら、訳詞という表現をしているんだから。こんな訳し方があってもいいじゃん。アートは、鑑賞の瞬間から鑑賞する側のものにカタチを変えていくんです(笑)。
喪失する悲しみ、残される者の悲しみって、これほどの悲しみはないかもしれない。一方で、喪失の当事者はどうなんだろう。事故や病気で死ぬ時もあれば、自殺したり失踪したりって場合もある。もっと違う種類の喪失もあるだろう。消えてしまったら終りかい。花実は咲かないな。
天国があるかどうかって、そりゃありません、死んだら終りですって言った方が冷静なんだけど、否定してしまうのもやめときましょう。ただ、確かに、人間はいつか死ぬ。それで人生は終りだ。だからこそ、よけいに愛する者を愛しく感じるのだろう。永遠じゃないと思うからこそ、胸が痛むのだろう。
幻想的なことを言うけれど、もしも天国で再会するのなら、憶えておいてほしいね。同じであってほしいね。遭うけれども知らないなんて、考えれば辛い話だ。天国で再会しても、いっしょでいたいもんです。そういうことがあるのなら是非ともね。
*4 自前のホームページ上
ではでは 🎶
River of Tears 〜 歌詞和訳
以下の第4~6章。
River of Tears (Eric Clapton/Simon Climie) from Eric Clapton's 1998 album Pilgrim (*2) 🎶
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-river-of-tears-lyrics
その河まで3マイル
私を運び去ってしまう河
埃だらけのその通りまで2マイル
今日あなたを見た場所
私のひとりぼっちの部屋まで4マイル
そこは私がひっそりと身を隠す場所
ダウンタウンのバーまで 0.5 マイル
そこは私が恥辱から逃れた場所
神よ、私はどれだけ走り続けなければならないのか
7時間? 7日間? それとも7年間?
あなたがいなくなってしまってから
私に判るのはただ一つだけ
私はまるで河で溺れているみたいだ
そうさ、涙の河で溺れている
河で溺れている
まるで溺れているみたいなものさ
河で溺れているんだ
あと3日のうちに私はこの街を出て行くだろう
足跡すら残さず消え去るつもりだ
そして1年後、おそらくどこかに落ち着くことになる
私のことなど誰も知らない場所に
あなたのことをもう一度抱きしめることが出来れば
この苦しみを和らげることが出来るはずなのに
だけど行かなくちゃ
私にはもう時間が残されていないんだ
また走り去るほかないのさ
それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
あなたは溺れている私を救い出してくれるだろう
河で溺れている
涙の河で溺れているんだ
河で溺れているんだ
まるで溺れているみたいだ
一人でもがいても逃げられない
神よ、この苦しみはあとどれだけ続くのか
私は魂の居場所を探している
私は涙の河で溺れている
.................. 🎶 ..................
*1 前節でも触れた自前のホームページ上
*2 Pilgrim の「レヴュー」もどきを書いたことがある。これも上記の自前のホームページ上。
ではでは 🎶
「人生のポケット」を覗いたら, "River of Tears" と "Running on Faith" が 🎶
時計の針を戻して, 過去の自分が嵌まり込んでいた「人生のポケット」の中を覗いたら, クラプトンの "River of Tears" と "Running on Faith" が 流れていた。
(上掲リンク note 目次)
「人生のポケット」 とは
「人生のポケット」の中を覗いたら, あの2曲が流れていた 〜 そう思ったのは ..
そう思ったのは, このとき
人生のポケットから出る方法はどこかにある
River of Tears 〜 歌詞和訳
Running on Faith 〜 歌詞和訳
音楽は人を癒すか 〜 本当に 「音楽は人を癒す」 か?
…………
ではでは, 次は 🎶
番外編その 1 〜Let It Grow 歌詞和訳
以下の第2章。
筆者の趣味シュミ「洋楽」歌詞和訳、文字通り「初心者」の時の和訳歌詞。上手いとはとても言えないが、歌詞和訳の結果というのはけっこうその時の気持ちが大切。当時のまま、そのままで、以下に掲載する。
Let It Grow from Eric Clapton's 1974 album 461 Ocean Boulevard (*2) 🎶
英語原詞 https://www.azlyrics.com/lyrics/ericclapton/letitgrow.html
十字路に立って標識を読んでみる (*3)
答をみつけるにはどっちに行くべきか、教えてくれるだろうか
だけど私にも、いつだってわかっていることがある
あなたの愛を植えよう、愛を育てよう
愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう
私の心から出て行く理由を探してみる
頼りに出来る友達を、懸命になって探しているのに
与えるものは何も残っていない
愛を植えよう、愛を育てよう
愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう
時間が短くなっていくけれど、あなたにはすべきことが沢山ある
心から願えば、きっと必要なものを手に入れられる
あとはあなた次第なんだ
愛を植えよう、愛を育てよう
愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう
愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう
.................. 🎶 ..................
*1 前節でも触れた自前のホームページ上
*2 461 Ocean Boulevard 「レヴュー」もどき(自前のホームページ上)。
*3 Standing at the crossroads, trying to read the signs
Crossroads (Robert Johnson, arr. Eric Clapton), Cream LIVE at Winterland, San Francisco, California, March 10, 1968 〜 from Cream's 1968 album Wheels of Fire (*4) 🎶
I went down to the crossroads, fell down on my knees
Down to the crossroads, fell down on my knees
Asked the Lord above for mercy, "Save me if you please" .. 🎶
*4 坂上二郎「飛びます, 飛びます」世代, 話が飛びます。
インド, カルカッタ 「火の車」 1984 〜 イギリス, クリーム Wheels of Fire 1968
ネタニヤフとイスラエルをディスる Cream のアルバム 2枚 〜 それは "DisIsraeli Gears", nope, "Disraeli Gears" と Wheels of Fire 🎶
ではでは 🎶
番外編その 2 〜 ブルーズ・カヴァー "Further On Up the Road" 歌詞和訳
音源, 歌詞和訳は 以下の第2章 以降。下掲リンクの下には, 第4章に載せた "Just One Night" 収録の Clapton LIVE ヴァージョンを 🎶
Further On Up the Road (Joe Veasey, Don Robey / Bobby Bland) from Eric Clapton's 1980 double live album Just One Night (recorded LIVE at 日本武道館 in December 1979) 🎶
この道のずっと先で
誰かがおまえを傷つけるぜ、おまえが俺を傷つけたようにな
この道のずっと先で
誰かがおまえを傷つけるぜ、おまえが俺を傷つけたようにな
いつか見てろよ
ベイビー、それまでただ首を洗って待ってるんだな
おまえは自分が蒔いた種を刈り入れることになるんだ
昔からの言い伝えは本当なのさ、因果応報ってことさ
おまえがやったことしか返って来ないんだ
言い伝えは本当だぜ
おまえが誰かに酷いことをしたように
いつか誰かがおまえを酷い目に遭わせるのさ
ベイビー、おまえはずっと笑っているが
いつかおまえにも泣く日がやってくるんだ
ベイビー、おまえはずっと笑っているが
泣きを見るのはおまえだ、いつかおまえは泣き喚くことになる
見てろよ
俺が言ってることが嘘じゃなかったってわかるぜ
いつか見てろよ
誰かがおまえを傷つけるぜ、おまえが俺を傷つけたようにな
この道のずっと先で
誰かがおまえを傷つけるんだ、おまえが俺を傷つけたようにな
いつか見てろよ
ベイビー、それまでただ首を長くして待ってるんだな
ベイビー、おまえはずっと笑っているが
いつかおまえにも泣く日がやってくるんだ
ベイビー、おまえはずっと笑っているが
泣きを見るのはおまえだ、いつかおまえは泣き喚くことになる
見てろよ
俺が言ってることが嘘じゃなかったってわかるぜ
.................. 🎶 ..................
ではでは 🎶
クラプトンの今
Eric Clapton 武道館公演 100回目 〜 2023年4月21日
一昨年の 武道館 100回目 ライヴ, カミさんと観てきた 🎶
そして 🎶
エリック・クラプトン "To Save a Child" 🇵🇸 〜 🇵🇸 抵抗の象徴 🍉 収穫した日に我が家に着
音楽そのものも, もちろん, 素晴らしい出来 🎶
上掲リンクにあるライヴの件は, 以下の第6章でも言及。
ディランもボノも最低だ, 文字通り。他の連中も, ビヨンセ, テイラー・スウィフト, ニック・ケイヴ, トム・ヨーク とかも名指ししたいところだ。
世間で色々とやかく言うところの要するに所謂「キャンセル・カルチャー」, "so-called cancel culture" とは一切関係ないぜ(それ「らしき」反応を見たことがあるので念の為), 俺が連中を嫌いだってこと, それには理由があるってことだよ。
ではでは, 本日の最終章最終節へ 🎶
今年も行くぞ, クラプトン 武道館
今月30日に 80歳になるクラプトン, まだまだ元気。
とにかく,
今回も カミさんと行くぞ, 来月のクラプトン 武道館 🎶
