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菜津の夏休み [掌編小説]

夏休みにワクワクしなくなったのは、いつからだっただろうか。
菜津の場合は、去年からだと記憶している。

夏は、いちばん好きな季節だった。
堂々と朝寝坊ができる。好きなときに冷蔵庫を漁る。好きなときにスマホを触る。
予定がなければ着替える必要もないし、宿題もない。いや正確にはあるのだけれど。

昨日は暇、今日も暇、明日もきっと暇。暇だと言えば聞こえは悪いが、何もすることのない縛られない時間は、イコール自由だ。
学生に許された、責任を伴わない自由。最高。
とろけるぐらいに自由を謳歌して、最後についてくる親の呆れた顔や小言までがセットなのが夏休み。そんな自由な夏が菜津は好きだった。
…だったのだ。


「そもそもさー。子どもに、夏生まれたから なつ って名前つけるとか、安直すぎやろ」
「ん」
「だいたい誕生日はいっつもお盆ど真ん中やから家族か親戚しか会わへんし。あー、うちもお盆に海外旅行とか行く家が良かったなー」
「んー」
「そもそもさ。上が春であたしが夏やから良かったけど、おんなじ春に生まれてたらどうするんって話やん。はるか?はるな?そんなん、どっちも呼ぶ時ははるー、やろ。ややこしぃ。あんちょく!」
「んー」
「はるはそんなん別に気にしてないけどさ、こっちにしてみたらいっつも、あーはるの妹か、なっちゃんね、何月生まれ?8月、あーやっぱりって。何かむかつくわ。何で私だけやっぱりとか言われなあかんの。そんなこと言ってるあんたの誕生日はいつなんって話やんか。」
「ん」
「聞いてないやろ」
「聞いてるよ」

奈智と目が合った。
至近距離で目が合ったのがおかしくて、お互いにニヤリと微笑んだ。
「なつのお母さんアキさんやから、せっかく春、夏、秋ってそろったのにお父さんだけ普通の名前でかわいそう、っていうオチのやつやろ」
「全然かわいそうではないけどな」
「ま、な」

奈智が自分の話を聞いてくれていることは、菜津にだって分かっていた。
さっきだって、菜津の繰り出すほぼひとりごとのような会話に、奈智はその都度ニュアンスを変えて相槌を打ってくれていたのだ。
一緒に宿題やれへん、と無理やり誘い出したのは菜津の方だったのに。
菜津のワークはさっきからちっとも進む気配がない。
菜津のワークが進まないのは想定内。どうせ一人でいたって進まない。逆に奈智の方はと言うと、菜津に相槌を打ちながらも作業の手は止まることがない。
右手のカラーボールペンは赤、青とリズムよく色を替えて、テキストには、奈智の細かな字で書き込みが増えていく。

賢いねんな、奈智は。
出席番号が前と後ろ、名前の響きも一文字しか違わないせいで、同じクラスだったときはよく呼び間違えられたけど。
そのおかげで二人は仲良くなって、今に至るのだけれど。
性格は全然違う。
頭の中身できはもっと違う。

「あのさ」
「なち、」
言い出しがかぶった。
「ん?」
「いいよ、なち言ってよ」
「ううん、後でいいよ」
「いいよいいよ、なち先言って」
「いや、んー、なんか忘れた。思い出したら言うわ」
「えー何それ」
「何やろ、ぼけてる」
「ほんま」

二人してゆるゆると笑う。顔が見れて良かった、声かけて良かったと菜津は思う。
二人なら、いつまででも喋っていられる気がする。多分、7:3か8:2で菜津の方がたくさん喋っているには違いないのだが、それは相手が奈智だから。他の友だちならこうはならない。
奈智が忙しいのは知っていたけれど、今日予定が合わなければ、おそらくかなり先まで、二人の予定が合う日はなかっただろうから。


「なちは、来週ずっとカキコーやんな」
「んー」
「やんな。ごめごめ、確認したかっただけ」
聞かなくても分かっていることを、あえて確かめた。
昨日ダラダラと見てしまったアニメの話を持ち出そうかどうか迷って、直前で踏みとどまった。奈智がそのアニメを見ているはずがなかったし、菜津の方でもさしてそのことを喋りたかった訳ではない。

奈智が何か聞きたげに菜津の方を見ていることは分かったが、菜津の方が目を合わさなかった。
手元のワークに視線を落とす。
飛び込んでくるのは解答欄の空白ばかりだ。
真っ白。菜津がこれから埋めていかなくてはいけないことは、山のように残っている。その空白に耐えきれなくて菜津は喋る。

「お昼持って朝から夜までって言ってたもんな。明日からやろ、最後、テストやんな。わー、テストとかほんときっついな。てか、1週間朝から晩まで毎日勉強の段階で私もう無理」
「結構慣れる」
「むりむりむりむり」
「無理多いわ」
「ほんま」

夏休みにワクワクしなくなったのは、去年からだ。
奈智が、この辺りでも超有名な進学塾に通い始めることになって、菜津の暇に笑って付き合ってくれる人がいなくなった。
いや、同じように暇をしている友人なら他にもいた。昨日見たアニメ、家族の愚痴、進まないワークの話をダラダラとする相手なら他にもいた。
でも、ワクワクしなかったのだ。
奈智あなたじゃないと。

「がんばってな」
視線を下げずに言った。奈智が菜津を見る。今度は、ちゃんと目が合った。
「テスト、がんばってな。なちならいける。なちやったらいけるってほんま思う。応援してる」
「ありがと」
ふ、と空気が緩む。
「てか、なつもやんか。ワーク、範囲までやらなあかんで」
「むりむりむりむりむり」
「無理多い」
「むり」
「なつならいける」
「むり」
「私もがんばるから」

友人の、普段あまり聞かない声の調子トーンに、菜津は開きかけていた口を止める。
「最終日、テスト終わったらそのままなつん家寄っていい?」
悪いはずがなかった。
こくこくと、目を逸らさずにうなずいた。

「夕方になるけど、家いてるかな。よかった。そしたら、それまでがんばってくるわ。今回流石にハードやなとは思ってるけど、ちょっと狙いたいとこあるから、とりあえずそこまでがんばってくる。終わったら、最初になつにどうやったか報告するから」

奈智がハードなその塾を選んだのも、目指しているコースがあることも、何故そこを狙いたいのかも聞いたことがある。彼女が頑張る、と言うぐらいだから、それは相当に大変なものに違いなかった。
頭の出来は違うけれど、この一週間は、自分の空白を埋める為だけに親友の時間を割かせるようなことはしない。
それは、菜津自身が、まだ真っ白な残りの夏を、自分の手と頭とで埋めていかなくてはいけないということだ。

そんなことを、菜津としては珍しく真剣に考えていたはずなのに、何故かにやけてしまう。
最初に報告って、普通カノジョ枠やん。突っ込みたかったけれど、8:2の2の奈智の話を聞けたことが嬉しくて、菜津は、またうんうんとうなずいた。

「なつも、ワーク終わらしとくんやで」
「む」
「無理とちゃう」
「むー」
「プレゼント持ってくから。それまでに。なつならいける」
プレゼント の響きに、またにやけてしまった。やっぱり、彼女枠なんかな。

明日は暇。明後日も暇。明々後日も多分暇。

でも一週間後の今日は暇じゃない。ハードな夏期講を終えた奈智と久々に会って喋れる。好きなアニメのスピンオフが決まって楽しみな話、スマホを見すぎてさすがにパパにも叱られた話、最近はるのバイトの帰りが遅くなってて、恋人じゃないかと疑っている話‥。きっと、菜津の方では、8:2ではきかないくらい話したいことがたまっているはずだ。

いや、暇ではないかも。
誕生日までに宿題ワークを終わらせる。
私も、がんばる。

菜津の夏が、ようやく少し、動き出した。


#シロクマ文芸部









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