見出し画像

右椎骨動脈解離 #5 「市民病院CCM(救急集中治療室)」

「これは、40代の私が『椎骨動脈解離』で生死の境を彷徨った時の記録である」


【実録】ERでの検査を終え、CCM(救急集中治療室)へ。そこで私は人生で初めて遺書を書いた。


5月7日 16:00頃

ERからCCM(救急集中治療室)へ移送された。

ベッドごと、やさしい看護師さんたちに運ばれていく。

病室へ入ると、入り口側の一角へ案内された。

CCMには私以外に3人ほど患者がいた。

一人はおじいさん。

ずっとうなっている。

何を言っているのかはよく分からない。

一人は翌日、県立病院へ搬送されるらしい。

もう一人は翌日退院した。

それぞれ事情を抱えてここにいるのだろう。


不思議と恐怖はなかった。

むしろ、

「ここにいれば何とかしてくれるだろう」

そんな気持ちだった。

今思えば、それは無知ゆえの安心だったのかもしれない。


後から振り返ると、
頭痛が始まった5月4日は前兆段階。

5月5日から6日にかけて血管の解離が進行し、
5月7日はかなり危険な状態だったと思う。

そして本当に怖かったのは、
その後の数日間だった。

脳梗塞。
くも膜下出血。

そのリスクが最も高かったのは、
おそらく5月8日から10日頃。

しかし当時の私はそんなことを知らない。

完全に安心していた。

知らぬが仏とはこのことだろう。


ただ、
看護師さんたちの様子は少し違った。

やたらと確認される。

「頭痛のレベルはどれくらいですか?」

「手を握ってください」

「足を動かしてください」

「今日は何日ですか?」

「ここはどこですか?」

何度も聞かれる。

そのたびに答える。

後から考えれば、
脳梗塞や神経症状が出ていないか確認していたのだろう。


しばらくして娘が来た。

病院勤務である。

驚くほど落ち着いている。

毎日、手術の現場で働き、
これが日常である世界で働いている。

だからなのか、
私のことを完全に患者として見ている。


(あぁ 俺大丈夫そうだな)


娘の落ち着きを見て、
逆に私の方が安心した。


翌朝に、必要な物を持ってきてもらうことにした。

真っ先に思い付いたのはイヤホンだった。

CCMは静かな場所ではない。

モニター。

ナースコール。

医療機器。

患者さんの声。

おそらく一晩中鳴る。

そんな予感がしていた。


そして、
もう一つの問題があった。

腹が減った。

とにかく腹が減った。

朝から何も食べていない。


ポン。

ポン。

ポン。

頭の中で、
井之頭五郎さんのテーマソングが流れ始める。

私は看護師さんに聞いた。

「ご飯は今日出るんですか?」

すると明るく答えた。

「今日は出ないんですよー。明日の昼からになります」

「……そうですかぁ」


はい終了。

完全に終わった。


まあ頭痛レベル9.5から比べれば、
空腹などどうでもいいはずなのに、
人間というのはわがままなもので、
少し安心すると今度は腹が減る。


計算すると、
約29時間絶食である。

オートファジーが完成する。

胃腸には良さそうだ。

そう自分に言い聞かせた。


夕方になり、
妻のさおりんも娘も帰った。

今日一日、本当に苦労をかけた。

ありがとう。

さおりん。


そして、病室に静けさが戻る。


そこでふと思った。


(もし、俺本当に死んだらどうしよう。)


頭痛はまだある。

しかしレベル6くらいまで落ちてきていた。

スマホも触れる。

文字も打てる。


今のうちに書いておこう。

悔いは残したくはない。


そう思った。


遺書だ。


さおりんへ25年間連れ添ってくれたことへの感謝。

子どもたちへお前たちのおかげで自分を成長できたことへの感謝。

財産のこと。

相続のこと。

保険金のこと。

車の処分。

葬式は簡単に済ませること。

呼んでほしい人のこと。


一つずつLINEに残した。


さすがに、アプリのパスワードまで書く余裕はなかった。


次に、
5月3日に一緒にカラオケへ行った仲間たちにも書いた。


今までありがとう。

楽しかった。

感謝している。

もしもの時は葬式に来てほしい。


そんなことを書いた。


一通り書き終えた。


そして、
涙が出てきた。


私は普段から、

「今日死んでも悔いが残らないように」

そう思って生きてきた。


だから、
本当に死ぬかもしれない状況でも、
冷静でいられると思っていた。


でも違った。


涙が止まらなかった。


その時、
初めて分かった。


ああ。

俺の中の俺は、
まだ生きたいんだな。


そう思った。



夜になった。


予想通り、
CCMは騒がしい。


ポーン  ポーン  ポーン。

ピッ   ピッ   ピッ。

ガサガサガサ。

うなり声。

ナースコール。

でも、

不思議と嫌ではなかった。


それぞれが生きるために必要な音だったから。

ピッ、ピッ、ピッ。

規則正しく刻まれるその音は、
私が今、この世界に繋ぎ止められている証だった。

まあ明日も休みだ。

昼寝でもすればいいか。

そう思った瞬間、 私は眠っていた。



次回

一般病棟へ。

久々の病院食との再会。

そして、長い安静生活が始まる。


診断名:右椎骨動脈解離

患者名:だいりん48歳男性




【時系列】
5月3日  大好きな仲間たちと
     カラオケに行く。  

5月4日  二日酔いだと思われる。
     激しい側頭部の痛みと
     眼球から後頭部への
     刺さるような痛みが来る。

5月5日  いまだ三日酔いだと思われる。
     頭痛レベル5

5月6日朝 ユビーで検索。
     救急へ行けとのこと。
     頭痛レベル6

5月6日昼 頭痛レベル7

5月6日夜 頭痛レベル8

5月7日 5:30 頭痛レベル8.5

5月7日 7:15 仕事へ行く。頭痛レベル9

5月7日 7:45 クリニックへ行く。
       頭痛レベル9

5月7日 8:00 クリニックに到着。
       頭痛レベル9.5

5月7日 8:30 クリニックで受診。
       頭痛レベル9.5

5月7日 9:00 MRIに入る。頭痛レベル9.5

5月7日 9:45 「右椎骨動脈解離」
       と診断される。
       頭痛レベル9.5

5月7日 10:50 市民病院へ移動。

5月7日 11:05 市民病院ERに到着。

5月7日 16:00 市民病院CCMに移送。


椎骨動脈解離の体験記はこちら

私は椎骨動脈解離で2ヶ月の療養を経験しました。発症から診断、入院、療養までの記録をシリーズとして残しています。
もし今、
身体からのサインに戸惑っている方がいたら、
こちらも参考になるかもしれません。


▼書籍はこちら▼

※当サイト(note)はAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。適格販売により収入を得る場合があります。


▼私が壊れるまでシリーズはこちら▼


▼プロフィールはこちら▼


▼救急箱シリーズはこちら▼


いいなと思ったら応援しよう!

だいりん よろしければよろしくお願いいたします😆