右椎骨動脈解離 #6「市民病院一般病棟」
「これは、40代の私が『椎骨動脈解離』で生死の境をさまよった時の記録である」
【実録】CCM(救急集中治療室)から一般病棟へ。食事、シャワー、景色、当たり前の日常が、こんなにもありがたいものだと初めて知った。
5月8日 11:00頃
造影CTの検査が終わり、CCM(救急集中治療室)から一般病棟へ移送された。
CCMから一般病棟へ移った。
つまり私は、ひとまず死なずに済んだということだ。
ベッドごと、楽しい看護師さんたちに運ばれていく。
一般病棟へ到着する。
ここからは回復期だ。
そう思うと少し安心した。
5月8日 13:00頃 病院食が運ばれてきた。
病院食は不味い。
ずっとそう思っていた。
以前入院した時がそうだったからだ。
といっても30年前の話である。
正直に言おう。
めちゃくちゃ旨かった。
ほっけのコーンあんかけ。
もやしのおひたし。
サラダ。
そしてパイナップル。
最高である。
29時間ぶりの食事だった。
一口食べる。
旨い。
また食べる。
旨い。
気付けば完食していた。
普通にご飯が食べられる。
それだけで幸せだった。
5月9日 9:00
歩く許可が出た。
まずはトイレへ向かう。
病室にトイレがあることを知らず、わざわざ遠くのトイレまで歩いて行ってしまった。
すっきりした。
せっかくなので、そのまま外を見に行く。
数日前より緑が増えていた。
木々は青々としている。
ツツジも鮮やかに咲き始めていた。
病院の垣根が美しい。
ドクターヘリは静かに待機している。
いつでも飛び立てるように。
川は陽の光を受けて煌めき、
山はどっしりと構えている。
数日前まで激痛で苦しんでいたことが嘘のようだった。
景色は何も変わらない。
ただ外を眺めているだけなのに、
少し心が落ち着いた。
5月9日 17:00
前日、息子に本を3冊持ってきてほしいと頼んでいた。
すると仕事を早退して病院まで届けてくれた。
わざわざ早退しなくてもよかったのに。
まあ、彼なりに心配していたのだろう。
ありがたく読ませてもらうことにした。
入院生活は意外と忙しい。
寝る。
本を読む。
病気について調べる。
noteを書く。
窓の外を見る。
人間観察をする。
気が付けば一日が終わる。
そんな生活が始まっていた。
5月10日 14:00
「だいりんさーん。お風呂入りましょう」
看護師さんが声を掛けてくれた。
ようやくシャワーの許可が出た。
4日ぶりだった。
ロキソプロフェンのおかげで、この2日間は朝起きると汗だくだった。
だからなおさら嬉しい。
シャワー室へ向かう。
服を脱ぐ。
いざシャワーへ。
ただし慎重に。
頭を下げるとまだ痛い。
転倒でもしたら洒落にならない。
ゆっくり蛇口をひねる。
シャーッ。
温かいお湯が流れ始める。
「ああ……」
思わず声が漏れた。
頭へシャワーを当てる。
気持ちいい。
本当に気持ちいい。
不安も緊張も流れていく気がした。
シャンプーをする。
身体を洗う。
首。
腕。
胸。
足。
全身を丁寧に洗った。
普通にご飯を食べられること。
普通に眠れること。
普通にシャワーを浴びられること。
健康な時には気付かなかった。
それだけで十分幸せだった。
久しぶりのシャワーは最高だった。
5月11日 9:00
「だいりんさーん。ベッドの場所を窓際に交換してもらっていいですか?」
なんてありがたい話だろう。
黄色いカーテンは見飽きてきた頃だった。
窓際へ移動する。
おお。
外が丸見えだ。
遠くの景色がよく見える。
朝昼晩と上げ膳据え膳で食事が出てくる。
景色も良い。
頭痛さえなければ最高じゃないか。
24時間面倒を見てもらっている看護師さんたちには申し訳ないが、
思わずそう思ってしまった。
5月12日
斜め向かいのおじいさんのモニターが騒がしく鳴る。
本人は元気そうだ。
体勢が悪いのか、
センサーが外れかかっているのか。
モニターが鳴る。
看護師さんが来る。
止まる。
また鳴る。
その繰り返し。
いい加減どうなれば鳴るのか覚えてほしい。
そう思った。
しかし私には秘密兵器があった。
耳栓である。
夜だけではない。
昼も使える。
耳栓をすると雑音は一気に遠ざかる。
ふふふ。
完全勝利である。
5月13日
息子に持ってきてもらった本を読もうとした。
しかし1ページ読むだけで具合が悪くなる。
読書は断念した。
代わりにパソコンを開く。
noteの記事を書き始めた。
15時過ぎ。
先生がやって来た。
「だいりんさん、もう退院してもいいですよ」
「え? いきなりですね」
「今日退院でも大丈夫です」
「は? 今からですか?」
突然だった。
タクシーで帰ろうか。
そう思って着替えようとした。
服がない……。
そうか。
救急で来たから持ち帰ってもらっていたんだった。
仕方ない。
家族へLINEする。
すると、妻のさおりんがまた仕事を“サボりん”してやって来た。
薬剤師さんの説明を受ける。
ナースステーションへ挨拶する。
「1週間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。」
そして病院を後にした。
つい数日前までは、あんなに帰りたくて仕方がなかった家。
けれど、いざ病院の自動ドアを出ようとすると、急に足元がふわふわするような心細さに襲われた。
ここは、24時間誰かが見守ってくれる、絶対的な安全地帯だったのだ。
一歩外に出れば、もう自分の体調を守れるのは自分しかいない。
退院後の説明らしい説明は特になかった。
気付けば退院である。
数日前までは、
「早く帰りたい」
と思っていた。
なのに退院が決まると少し不安になった。
人間とは勝手なものである。
そんなことを思いながら、
私は一週間の入院生活を終えた。
次回
退院後の生活。
再発への不安。
そして、静養生活が始まる。
診断名:右椎骨動脈解離
患者名:だいりん48歳男性
【時系列】
5月3日 大好きな仲間たちと
カラオケに行く。
5月4日 二日酔いだと思われる。
激しい側頭部の痛みと
眼球から後頭部への
刺さるような痛みが来る。
5月5日 いまだ三日酔いだと思われる。
頭痛レベル5
5月6日朝 ユビーで検索。
救急へ行けとのこと。
頭痛レベル6
5月6日昼 頭痛レベル7
5月6日夜 頭痛レベル8
5月7日 5:30 頭痛レベル8.5
5月7日 7:15 仕事へ行く。
頭痛レベル9
5月7日 7:45 クリニックへ行く。
頭痛レベル9
5月7日 8:00 クリニックに到着。
頭痛レベル9.5
5月7日 8:30 クリニックで受診。
頭痛レベル9.5
5月7日 9:00 MRIに入る。
頭痛レベル9.5
5月7日 9:45 「右椎骨動脈解離」
と診断される。
頭痛レベル9.5
5月7日 10:50 市民病院へ移動。
5月7日 11:05 市民病院ERに到着。
5月7日 16:00 市民病院CCMに移送。
5月8日 11:00頃 一般病棟へ移送。
5月13日 17:30 退院
椎骨動脈解離の体験記はこちら
私は椎骨動脈解離で2ヶ月の療養を経験しました。発症から診断、入院、療養までの記録をシリーズとして残しています。
もし今、
身体からのサインに戸惑っている方がいたら、
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