右椎骨動脈解離 #4 「市民病院ER(緊急外来)」
「これは、40代の私が『椎骨動脈解離』で生死の境を彷徨った時の記録である」
【実録】ついに病名判明。病名は「右椎骨動脈解離」。紹介状を手に、市民病院ERへ向かう。
5月7日 10:00
家族へLINEを送った。
「事件だ。椎骨動脈解離だそうだ」
すぐに息子から返信が来た。
「今は無理。午後なら行ける」
十分だ。
返信が来ただけでもありがたい。
その直後、妻のさおりんから電話が鳴る。
「どうなの?」
「やばい状態であるが大丈夫だろう。
自分で行けといってるから。
タクシーで市民病院に行くから大丈夫」
すると即座に返ってきた。
「大丈夫じゃないでしょ!今から行くから!」
(出たー、さおりんの“サボりん”発動)
そう思いながらも少し安心した。
「待っててよ!」
そんなやり取りをして会計を終わらせた。
待合室の椅子に座りながら、頭を抱える。
診断名は分かった。
だが、これからどうなるのかは分からない。
ただ一つ分かるのは、
このまま帰宅できる状況ではないということだった。
5月7日 10:50
さおりんが到着した。
紹介状を持ち、自家用車で市民病院へ向かう。
車窓から流れる景色を見ながら、
「入院かな」
とぼんやり考えていた。
さっきクリニックの先生からもらった
カロナールが効いてきたのだろう頭痛レベル8。
それでも少し楽になっていた。
5月7日 11:05
「市民病院に着いたら、そのまま救急外来へ向かってください」 と言われていたので、そのまま救急外来へ向かう。
また問診票だ。書けないからさおりんに書いてもらう。
しばらくすると名前を呼ばれた。
「だいりんさーん。こちらへどうぞー」
そう言われてERへ入った。
ERは戦場だった。
救急患者は4人ほどいただろうか。
医師。
看護師。
救命救急士。
あらゆる職種の声が飛び交う。
一見すると混乱しているように見える。
しかし違った。
混乱しているのは私だけだった。
彼らはそれぞれが自分の役割を正確に理解し、
驚くほどのスピードで動いている。
誰一人として無駄な動きをしていない。
「すごいな……」
素直にそう思った。
そこへドクターヘリ要請のホットラインが入る。
工事現場で2メートルの高さから転落。
地面はコンクリート。
詳細は分からない。
だが、間違いなく重症だろう。
思わず、
(俺よりヤバそうだな……)
と考えてしまった。
そんな中でもスタッフたちは冷静だ。
電話。
指示。
準備。
連携。
全てが流れるように進んでいく。
まさにプロの現場だった。
気付けば私も処置が始まっていた。
病衣へ着替える。
点滴。
採血。
心電図。
血圧計。
酸素濃度モニター。
次々と身体に機械が接続されていく。
モニターに自分の心拍が表示された。
ようやく、
「ああ、とりあえず何とかなる所までは来られたか……」
そう思った。
少しだけ安心した。
その後、
採血。
造影CT。
MRI。
検査が次々と進んでいく。
自分では何が起きているのかよく分からない。
ただ言われるまま動くしかなかった。
そんな中、
さおりんは入院手続きをしてくれていた。
私はベッドに横たわってるだけ。
書類も説明も、
全部さおりんが対応してくれていた。
本当に助かった。
一人だったら何もできなかった。
検査が一通り終わりしばらく横になったまま待った。
市民病院は好きではない。
親父がある日突然倒れ、その日のうちに亡くなり霊安室に行った。
お袋は親父を追いかけるように胃ガンになった。3年間介護した。抗がん剤、造影CT、MRIと2週間に1回連れてきた。
今でも「もう助からない。会わせたい人には早めに会わせて」と言われ、トイレで嗚咽を漏らしながら泣いたことは鮮明に思い出してしまう。
まさかこの歳で自分がここに来るとは思わなかった。
しばらくして先生がやって来た。
「右椎骨動脈解離です」
やはり間違いなかった。
クリニックの診断は正しかった。
先生は続けた。
「2週間ほど入院して安静にします」
「そうですかあ。わかりました」
不思議なほど冷静だった。
いや、
冷静だったというより、
考える余力が残っていなかったのかもしれない。
本当は聞きたいことがたくさんあった。
どれくらい危険なのか。
後遺症は残るのか。
仕事はどうなるのか。
死ぬ可能性はあるのか。
でも聞かなかった。
いや、聞けなかったのかもしれない。
もし本当に危険な状態だと知った時、
自分がそれを受け止められる自信がなかった。
先生からは、
脳梗塞。
そして、
くも膜下出血。
そのリスクについて説明を受けた。
静かに聞いた。
ただ、
その言葉だけは頭に残った。
さらに、
コレステロールと中性脂肪の数値が高いことも説明された。
数値を下げる薬を処方するという。
その時、
ふと思った。
(食生活、乱れてたよなあ……)
(血圧もここ2か月くらい高かったよなあ……)
思い当たる節はいくらでもあった。
そして最後に言われた。
「だいりんさん、入院になりますので病室へ移りますね」
私はCCMにベッドで運ばれた。
人生初の救急集中治療病棟だった。
ようやくベッドへ横になる。
天井を見つめる。
生きている。
少なくとも今は。
そう思いながら、
私は静かに目を閉じた。
次回
CCM(救急集中治療病棟)。
24時間監視の病室へ移る。
診断名:右椎骨動脈解離
患者名:だいりん48歳男性
【時系列】
5月3日 大好きな仲間たちと
カラオケに行く。
5月4日 二日酔いだと思われる。
激しい側頭部の痛みと
眼球から後頭部への
刺さるような痛みが来る。
5月5日 いまだ三日酔いだと思われる。
頭痛レベル5
5月6日朝 ユビーで検索。
救急へ行けとのこと。
頭痛レベル6
5月6日昼 頭痛レベル7
5月6日夜 頭痛レベル8
5月7日 5:30 頭痛レベル8.5
5月7日 7:15 仕事へ行く。頭痛レベル9
5月7日 7:45 クリニックへ行く。
頭痛レベル9
5月7日 8:00 クリニックに到着。
頭痛レベル9.5
5月7日 8:30 クリニックで受診。
頭痛レベル9.5
5月7日 9:00 MRIに入る。頭痛レベル9.5
5月7日 9:45 「右椎骨動脈解離」
と診断される。
頭痛レベル9.5
5月7日 10:50 市民病院へ移動。
5月7日 11:05 市民病院ERに到着。
椎骨動脈解離の体験記はこちら
私は椎骨動脈解離で2ヶ月の療養を経験しました。発症から診断、入院、療養までの記録をシリーズとして残しています。
もし今、
身体からのサインに戸惑っている方がいたら、
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