私が壊れるまで #0 旅先でも仕事が頭から離れなかった
― 適応障害になる1か月前、
旅先でも仕事が頭から離れなかった ―
この記事は、私が適応障害と診断されるまでの実体験を記録したものです。
後から振り返ると、心は何か月も前から悲鳴を上げていました。
眠れない。
休んでも回復しない。
旅へ出ても仕事が頭から離れない。
それでも当時の私は、「少し疲れているだけだ」と思っていました。
もし今、
休んでも回復しない、
仕事のことが頭から離れない、
そんな状態にいるなら、
この記事が自分の心のサインに気付くきっかけになるかもしれません。
第0-1章 癒やされるはずの旅だった
あの頃の私は疲れていた。
いや、
疲れていることすら分からなくなっていたのかもしれない。
夜は眠れない。
朝は起きたくない。
仕事へ向かう足取りは重い。
それでも毎日出勤していた。
当時48歳。
転職して3年目。
係長になっていた。
仕事にも慣れ、
周囲から頼られる場面も増えていた。
家庭では、
朝食を作り、
弁当を作り、
夕食も作る。
地域活動も続けていた。
周囲から見れば、
普通に生活しているように見えたと思う。
だが、
私の頭の中は常に仕事でいっぱいだった。
夜、布団に入る。
目を閉じる。
すると職場の映像が浮かぶ。
同僚の顔が浮かぶ。
冷たい視線が浮かぶ。
あの仕事。
あの案件。
あの会議。
考えたくないのに、
勝手に始まる。
眠ろうとしているのに、
頭の中では仕事が続いていた。
そんな日が何か月も続いていた。
だから私は旅に出た。
少し休もうと思った。
気分転換をしようと思った。
好きな景色を見て、
美味しいものを食べて、
温泉に入れば、
少しは楽になると思った。
今思えば、
私は旅に癒やしを求めていたのだ。
だが、
その旅で私は気づくことになる。
景色を見ても、
温泉に入っても、
美味しいものを食べても、
心だけは職場から離れられていなかったことを。
第0-2章 「どこへ行く?」に答えられなくなった
私たち夫婦は旅が好きだ。
その旅は北海道だった。
目的地は道東。
だが、
台風の通過により予定していたルートは使えなくなった。
計画の再構築が必要だった。
普通なら簡単にできる。
私はそういうことが得意だった。
若い頃は、
旅程を細かく組み立てるのが好きだった。
どこへ行くか。
どこへ泊まるか。
何を食べるか。
何時に出発して、
どの道を通り、
どこで休憩するか。
細かく計画を立てて、
家族を連れて行く。
そんな旅が好きだった。
だが年齢を重ねるにつれ、
考え方は少し変わった。
計画に追われる旅が嫌になったのである。
旅先で気になる店を見つけたら寄る。
景色が良ければ車を止める。
予定を少し変える。
そんな余白のある旅が好きになった。
結局、
どれだけ計画を立てても、
その通りにはならない。
まあ、それでいいと思うようになった。
旅は、人生みたいなものだ。
おおよその目的地だけ決めて、
あとは流れに任せる。
そんな旅が心地良かった。
そして、
旅の骨格を考えるのは私の役目だった。
だが、その時は違った。
頭が動かない。
考えがまとまらない。
ルートを組み直そうとしても、
頭の中に霧がかかったようになる。
ぼんやりする。
思考が続かない。
そして何より苦しかったのは、
妻を楽しませたいのに、
そのためのアイデアが何も浮かばないことだった。
せっかくの北海道に来てるのに。
美味しいものを食べさせたい。
素晴らしい景色を見せたい。
楽しい思い出を作りたい。
そんな気持ちは確かにある。
だが、
どこへ行こうか、
何を食べようか、
代わりにどこを回ろうか。
そう考え始めると、
頭が止まってしまう。
かつての自分なら
楽しんでいたはずの選択肢を、
並べることすらできなかった。
そして私は言った。
「任せる」
妻は驚いたと思う。
以前の私ならあり得ないことだった。
だが、
その時は違った。
考えたくなかった。
いや、
考えられなかった。
選択肢を並べることができない。
比較できない。
決められない。
頭の中にあるのは、
仕事。
不安。
焦り。
そして疲労だけだった。
今振り返ると、
あれは単なる疲れではなかった。
「脳が容量オーバーを起こしていた」のだと思う。
当時はコロナの後遺症かもしれないとも考えた。
ブレインフォグという言葉も知った。
だから、
「きっとそれだろう」
と思っていた。
だが違った。
後になって分かった。
私の脳は、
「何か月も休めていなかった」のである。
身体は北海道まで来ていた。
だが、心は、
まだ職場に残っていた。
第0-3章 旅先でのLINE1つで、旅が終わった
北海道へ来ても、
心は休まらなかった。
それでも私は、
「そのうち楽になるだろう」
と思っていた。
旅はまだ始まったばかりだった。
温泉にも入った。
景色も見た。
美味しいものも食べた。
妻も楽しそうだった。
だから大丈夫だと思いたかった。
だが、
一本の連絡で全部が崩れた。
LINEが鳴った。
職場の同僚からだった。
内容は大した話ではない。
緊急事態でもない。
事故でもない。
「あれどうなっていますか?」
という確認だった。
たったそれだけだった。
だが、その瞬間、
私の頭の中は北海道から職場へ戻った。
旅が終わった。
温泉も。
景色も。
食事も。
全部消えた。
頭の中では仕事が再開していた。
あの案件はどうなっている。
あれは誰が対応する。
帰ったら何を説明する。
今のうちに返信した方がいいのか。
そんなことばかり考えていた。
目の前には北海道の景色がある。
だが見えていない。
温泉に入っても考える。
食事をしていても考える。
車を運転していても考える。
心だけが職場へ戻っていた。
今振り返ると、
あのLINEが私を壊したわけではない。
問題はもっと前から始まっていた。
たった一通の連絡で、
旅そのものが吹き飛んでしまうほど、
私は追い詰められていたのである。
そして私は気づいていなかった。
休暇に来ても休めない。
仕事から離れても離れられない。
それは疲労ではなく、
すでに心が悲鳴を上げている状態だったことを。
旅から帰ったあとも、
状況は変わらなかった。
むしろ、
少し休めば回復すると思っていた希望だけが消えていった。
第0-4章 旅から帰っても回復しなかった
旅に出れば楽になると思っていた。
少し休めば元に戻ると思っていた。
だから私は、
北海道へ行った。
だが、
帰っても何も変わらなかった。
相変わらず眠れない。
朝は起きたくない。
仕事へ行きたくない。
頭は重い。
気持ちも重い。
そして何より、
不安だけが消えなかった。
職場へ向かう車の中で考える。
今日は何を言われるだろう。
また失敗するのではないか。
迷惑を掛けるのではないか。
そんなことばかり考えていた。
ある日、
いつものように出勤していた。
そして職場の建物が見えた瞬間、
身体が重くなった。
胸のあたりが苦しい。
気持ちが沈む。
身体が拒否しているような感覚だった。
頭も働かなくなっていた。
以前ならすぐ整理できたことが整理できない。
文章を読んでも頭に入らない。
考えようとしても、
思考が続かない。
頭の中に霧がかかったようだった。
それでも私は、
「少し疲れているだけだ」
そう思い込もうとしていた。
責任がある。
自分がやらなければならない。
そう考えていた。
だから休まなかった。
だが、
身体は正直だった。
休日になっても回復しない。
眠っても回復しない。
旅へ出ても回復しない。
何をしても楽にならない。
そして私はようやく思った。
もしかしたら、
これは単なる疲れではないのかもしれない。
そう考え始めた時には、
心はすでに限界へ近づいていたのである。
第0-5章 「適応障害ですね」
市内の精神科は予約が取れなかった。
一か月待ちだった。
正直、一か月も待てる状態ではなかった。
だから私は、オンラインのメンタルクリニックを探した。
スマホ越しの診察だった。
先生に今の状態を話した。
眠れないこと。
朝が苦しいこと。
仕事へ行きたくないこと。
旅へ出ても休めなかったこと。
職場の建物を見るだけで具合が悪くなること。
電話が怖いこと。
話しながら、自分でも驚いた。
改めて言葉にすると、
思っていた以上に状態は悪かった。
先生は静かに話を聞いていた。
そして診察の最後に言った。
「適応障害ですね」
私は少し安心した。
ネットの診断では、
うつ病の可能性が高いと出ていたからだ。
うつ病ではなかった。
だが、
喜べる状態でもなかった。
心はすでに、
休息を必要としていたのである。
先生の話は続いた。
「休みが必要です。」
その言葉に戸惑った。
自分では、
まだ何とかなると思っていた。
仕事へは行けている。
出勤もしている。
責任もある。
係長なのだから。
そう思っていた。
だが医師の評価は違った。
すでに限界に近い状態だったのである。
その時になって、
ようやく私は気付いた。
旅へ出ても回復しなかった理由。
眠っても楽にならなかった理由。
LINE一本で旅が終わった理由。
その全部が一本につながった。
今振り返れば、
眠れない。
朝が苦しい。
仕事のことばかり考えてしまう。
休みの日も休めない。
旅へ出ても心が離れない。
職場を見るだけで具合が悪くなる。
どれもサインだった。
だが、その時の私は気付けなかった。
「少し疲れているだけ」
そう思い込んでいた。
これは、
私が適応障害になるまでの道のりである。
そして、
心が壊れる時は、
ある日突然ではない。
気付かないほど小さなサインが積み重なり、
ある日、
もう限界ですと、
心が静かに知らせてくるのである。
もし今、
休んでも回復しない。
仕事のことが頭から離れない。
休日なのに心が休まらない。
そんな状態が続いているなら、
それは甘えでも、
気のせいでもありません。
私がそうだったように、
心が限界を知らせているサインかもしれません。
精神科や心療内科は、
思っている以上に予約が取りづらいことがあります。
どうか無理を続ける前に、
一度専門家へ相談してみてください。
あの時の私が、
もっと早く気付けていたらと思うからです。
心は壊れてからでは、
元に戻るまで長い時間が掛かります。
どうか、
自分の心が出している小さなサインを、
見逃さないでください。
どうか、私と同じ道を歩まないでほしい。
心から、そう願っています。
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もし今、
身体からのサインに戸惑っている方がいたら、
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