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大学教員サバティカル in メルボルン ― 研究と家族の滞在記 #15

小3の息子がメルボルンの現地校で過ごした1年間―英語はどこまで伸びたのか

このブログは、大学教員のサバティカル休暇と海外での子育てをテーマに、準備のあれこれから日常で気づいたTIPSまでを書き残していくものです。これから同じような道を歩む方の、ちょっとしたヒントになればと思います。

今回は、小学3年生の息子がメルボルンの現地校(厳密には語学学校6か月、現地校5か月)で約1年間過ごして、英語がどのくらい伸びたのかについて書いてみます。

海外に子どもを連れて行くことを考えたとき、「1年間いれば、英語はどのくらいできるようになるのだろう」と気になる方は多いのではないでしょうか。

私自身も、渡豪前はかなり気になっていました。

「子どもは英語を覚えるのが早い」とよく言われます。1年間も英語の中で生活すれば、結構話せるようになるのではないか。そんな期待も、もちろんありました。

実際、この1年間で息子の英語はかなり伸びたと思います。

ただ、振り返ってみると、「英語がどのくらい伸びたか」という一言だけでこの1年間を書くのでは、少し不足しているように感じています。

英語が分からないことで、自分の力をうまく出せない。周りからも、本来の自分とは少し違う見られ方をする。

そんな時間が、思っていた以上に長かったからです。

日本から続けていた公文の英語

息子は、日本にいた頃から公文の英語を続けていました。

こちらに来てから本人に聞くと、公文でやっていた英語は、語学学校ではかなり役に立ったそうです。

親ばか甚だしいですが、

「こんなに公文の英語を実践で使えた子は、かつていたのだろうか(笑)」

と思うくらい、これまでやってきたことがこちらでの生活に役立っていたようです。

「先生と今日、こんな話したんだよ」というので、「なんでそんなことを英語でいえるの?」と聞くと「公文で習ったからだよ」と説明してくれることが何度もありました。

日本にいた頃は、プリントを解いたり、音声を聞いたり、英語の文章を読んだりしていても、それを実際に使う場面はそれほど多くありません。

でも、メルボルンに来ると、それまで「勉強」だった英語が、突然「生活のための言葉」になります。

学校でも語学学校でも、先生が話すのは当然英語です。

日本でやっていたことが、こちらに来て急に実践とつながった。

本人にとっては、それがかなり大きかったようです。

一番伸びたのは、聞く力だった

この1年間で、特に伸びたと感じるのは聞き取りです。

先生と1対1で話しているときは、今では何を言っているのか、だいたい分かるそうです。

では、現地校の授業も分かるのか。

この記事を書くにあたって、改めて本人に聞いてみました。

「授業はどれくらい分かってる?」

少し考えて、

「3分の1くらいかな」

とのことでした。

親としては、3分の1しか分からないのか、と思わないでもありません。

でも、日本で普通に日本語だけで生活していた小学3年生が、突然すべて英語で行われる教室に入り、1年足らずで授業の3分の1を理解できるようになった。

それはそれで、十分なのではないかとも思います。

先生と1対1で話す英語と、教室で先生がクラス全体に向かって説明する英語は、かなり違うのでしょう。

周囲では友達も話していますし、算数や理科になれば、その教科特有の言葉も出てきます。

「1年間海外に住めば、学校の授業も普通に分かるようになる」

というほど簡単ではなかった、というのが実際のところです。

今のところ本人が比較的力を発揮しやすい順は、リスニング>リーディング>ライティング>スピーキング、という感じでしょうか。

PMシリーズはLevel 10からスタート

リーディングもかなり伸びました。

語学学校では「PMシリーズ」というリーディング教材を使っていて、息子はLevel 10から始まりました。

毎日1冊、家で音読するのが宿題でした。

ただ、最初の頃はなかなか読めませんでした。

ある日、息子から、

「お父さんが読んで、録音して」

と言われました。

そこで、その日の本を私が音読し、iPadに録音することにしました。

息子は、それを聞きながら練習します。

これは私たちが教えた方法ではありません。

本人が自分で考えたやり方でした。

どうしたら読めるようになるか、彼なりに考えたのだと思います。


PM10の文章はこんな感じ。
出典:Cengage, PM Guided Readers, Level 10, “Jolly Roger and the Fish”, Sample Pagesより引用

Level 10の頃は、文章もまだ比較的短く、絵を手がかりにしながら読んでいくような本でした。

それでも、最初の頃の息子にとっては簡単ではありませんでした。

毎日録音する父も、なかなか大変だった

息子にとってはよい方法だったのですが、父親側には一つ問題がありました。

毎日録音するのが、結構大変なのです。

疲れて帰ってきても読む。

飲んで帰ってきても読む(笑)。

1冊はそれほど長くありません。でも「毎日」となるとなかなかです。

一度、シドニーへ出張したときのことです。

久しぶりに昔の友人と会っている最中に、妻から電話がかかってきました。

「今日はお父さんが読んでくれないのか、と怒っている」

というのです。

仕方がないので友人に、

「ごめん、15分くらい待って」

とお願いしました。

妻にその日のPMのページを写真で送ってもらい、シドニーでスマートフォンの画面を見ながら音読して録音。

それをメルボルンに送る。

今思えば、なかなか不思議なことをしていました。

でも、息子にとっては毎日のルーティンだったので、「今日はお父さんが出張だからなし」というわけにはいかなかったのでしょう。

気がつけば、私の録音はいらなくなっていた

そして、この記事を書きながら、一つ気づいたことがあります。

そういえば、いつの間にか、私の音読の録音は必要なくなっていました。

最初の頃は毎日のように、

「お父さん、読んで」

「録音して」

と言われていたのに、ある時期から言われなくなった。

こちらも日々の生活に追われていたので、その変化を特に意識していませんでした。

でも考えてみれば、それが一番分かりやすい成長だったのかもしれません。

私の声を聞きながらでないと読めなかった本を、いつの間にか、自分一人で読むようになっていました。

そして、Level 10から始まったPMシリーズは、帰国を目前にした今、Level 23まで上がっています。


PMレベル23はこんな感じ。

出典:Cengage Learning Australia, PM Guided Readers, Level 23, Ari’s Wild Video Idea, Sample Pagesより引用。

Level 10から23になった、と数字だけ聞いても、私自身あまりピンときていませんでした。

でも、最初に読んでいた本と、今読んでいる本を並べてみると、文章量も文の複雑さもずいぶん違います。

毎日録音していた頃には、ここまで読めるようになるとは思っていませんでした。

ただ、良いことばかりではなかった

ここまで書くと、

「海外に1年間行ったら、英語がかなり伸びました」

という、何だかとてもきれいな話に見えるかもしれません。

でも、もちろん良いことばかりだったわけではありません。

クラスに友達ができたか、と聞くと、今でも本人は、

「うーん。あいさつ程度かな。」

という感じです。

英語が十分に話せない。

言いたいことがあっても、うまく言えない。

そして、本人が一番悔しがっていたのは、片言の英語しか話せないことを、そのまま自分の能力だと思われてしまうことでした。

周りの子どもたちの中にも、そういうふうに受け取る子は少なくなかったようです。

本人にとって、それはかなり悔しいことだったのだと思います。

算数なのに、英語が分からない

宿題でも同じようなことがありました。

特に算数です。

英語で書かれた問題を前にすると、一問解くのに5分、10分とかかることがありました。

ところが、どうしても分からないときに私が問題文を日本語に訳すと、

「なーんだ」

という感じで、2秒くらいで答えが出る。

分からなかったのは、算数ではなく英語でした。こちらはわかっていましたが、本人からするとそこの区別が必ずしもできていなかったようです。

そのため、本人からすると、毎日「問題が解けない」という経験をすることになります。

それが続けば、「自分は算数ができない」と感じても不思議ではありません。

本人が気持ち的にかなり落ち込んでいるときには、無理をさせず、問題文を全部日本語に訳して解かせることもありました。

少なくとも、

「英語が分からないこと」

と、

「算数が分からないこと」

は、一緒にしたくないと思っていました。

「先生が僕のことを分かってくれていた」

学校の三者面談で、忘れられないことがありました。

先生が息子について、

「彼はとても能力がある」

「とても賢い」

「とてもきちんとしている」

というようなことを話してくれました。

すると、息子が泣き始めました。

面談が終わったあと、

「どうして泣いたの?」

と聞いてみました。

すると、

「先生が僕のことを分かってくれていたから」

と言いました。

私は、その言葉を聞いて少し驚きました。

そして、本人がこの1年間、どんな気持ちで学校に通っていたのかを、そのとき初めて少し分かったような気がしました。

英語が十分に分からない。

言いたいことが言えない。

本当は分かっていることでも、英語では答えられない。

そういう状態が続くと、「英語ができない」ということが、そのまま「能力がない」と見られてしまうことがあります。

本人は、それをずっと感じていたのでしょう。

「日本語だったら、僕はこのクラスで一番のはずだ」

その三者面談では、もう一つ印象に残っていることがあります。

息子は泣きながら、先生に英語で、

「もし授業が日本語だったら、僕はこのクラスで一番のはずだ」

ということを伝えました。

先生は、それを笑ったり否定したりすることなく、優しく、

「そうだろうね」

というように受け止めてくれました。

私は少し驚きました。

普段の息子は、どちらかというと自分のことを控えめに話す方です。

そんな息子が、心の中ではそこまで思っていたとは知りませんでした。

一方で、親としては少し頼もしくも感じました。

英語が分からなくて、思うようにできない。

周りから「できない子」のように見られることもある。

それでも本人の中には、

「本当の自分はそうじゃない」

という感覚が残っていたのだと思います。

そのことには、少しほっとしました。

それにしても、「英語ができないことで感じてきた悔しさ」を、泣きながら英語で先生に伝えていたわけです。

それ自体、この1年間の成長だったのかもしれません。

英語の能力と、その子自身の能力は違う

子どもに英語を身につけさせたい。

そう考えて海外での生活を選ぶ家庭は少なくないと思います。

そのとき、「どのくらい英語が伸びるのか」という期待は当然大きいでしょう。

そして、実際に伸びると思います。

息子も、この1年間でかなり伸びました。

ただ、一方で、英語環境に入った子どもは、「できない自分」に何度も遭遇します。

先生が何を言っているか分からない。

友達に言いたいことが言えない。

授業が分からない。

本当は解ける問題なのに、英語のせいで解けない。

そして周りからも、「英語でできること」が、その子自身の能力であるかのように見られてしまうことがあります。

大人であれば、

「自分は能力がないのではなく、単に英語が十分にできないだけだ」

と、ある程度切り分けて考えることができると思います。

でも、小学生の子どもが、それをいつも自分自身で整理できるとは限りません。

英語が分からない。

できない。

周りの子のように話せない。

そういう経験が重なると、

「英語ができない自分」

ではなく、

「自分はできない」

という感覚になってしまうこともあるのではないかと思います。

だからこそ、大人がフォローする必要があるのだと、この1年間で感じました。

「英語の能力と、あなた自身の能力は違うんだよ」

と。

算数の問題を日本語にした途端、数秒で解けるなら、算数ができないわけではありません。

英語で言いたいことが言えなくても、その子の中に考えがないわけではありません。

考えてみれば当たり前のことなのですが、英語だけで生活する環境の中に入ると、子ども自身にも、時には親にも、そのことが見えにくくなるのかもしれません。

海外で子どもに英語を学ばせるのであれば、英語がどのくらい伸びているのかを見ることと同じくらい、

「英語が十分にできない時間の中で、その子が自分自身をどう見ているのか」

を見ておく必要があるのではないか。

これは、この1年間を通してかなり強く感じたことです。

一年間で英語はどこまで伸びたのか

では結局、1年間で英語はどこまで伸びたのでしょうか。

聞き取りはかなり伸びました。

先生との1対1の会話なら、だいたい理解できるようになりました。

リーディングは、PMシリーズでLevel 10からLevel 23まで進みました。

英語で先生に、自分がこの1年間感じてきた悔しさを説明することもできるようになりました。

一方で、現地校の授業について本人に聞くと、理解できるのは「3分の1くらい」だそうです。

友達同士の会話についていけないこともあります。

複雑なことを自由に英語で話したり、書いたりすることも、まだまだ難しいと思います。

ですから、

「1年間海外で暮らしたら、英語がペラペラになりました」

というほど単純な話ではありませんでした。

でも、一年前には私の音読を聞きながらでないと読めなかった英語の本を、今では一人で読んでいる。

先生に、「日本語だったら僕はこのクラスで一番のはずだ」と、自分の悔しさまで英語で伝えている。

そう考えると、ずいぶん遠くまで来たな、と思います。

帰国したら、今度は英検3級

そして最近、息子は、

「日本に帰ったら英検3級を受ける」

と張り切っています。

受かるかどうかは、やってみなければ分かりません。

ただ、私は結果はどちらでもいいかなと思っています。

この1年間、英語が分からないことで悔しい思いもした。

言いたいことが言えず、周りから自分を十分に分かってもらえないと感じることもあった。

それでも帰国を前にして、

「次は英検3級を受けてみたい」

と本人から言っています。

英語そのものを嫌いにならずに帰れそうだということは、親としてはかなりうれしいことです。

おわりに

この記事を書き始めたときは、「1年間で英語がどこまで伸びたのか」を書こうと思っていました。

もちろん、それはこの1年間の大きな変化です。

Level 10からLevel 23まで進んだ。

先生との会話もかなり分かるようになった。

英語で自分の気持ちを伝えられるようにもなった。

でも、書いているうちに、少し違うことを考えるようになりました。

海外で子どもに英語を学ばせるのであれば、英語がどれくらい伸びたかだけではなく、

「英語がまだ十分にできない時期に、その子が自分自身をどう見ているのか」

にも、同じくらい気を配る必要があるのではないか。

そんなことを、この1年間で息子から教えてもらった気がします。

そして、この記事を書きながら気づいたことがもう一つ。

気がつけば、もう私の音読録音はいらなくなっていました。

少し寂しいような。

でも、やっぱりうれしいことです。

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