解けない問いと、どう暮らすのか
引っ越しのたびに、中身を確かめないまま運ばれる箱があります。写真でも手紙でもありません。入っているのは、一つの問いです。「なぜあの時、あの人はああしたのか」。答えを出せずにいるまま、もう何年も経っています。忘れたわけではありません。答えが入っていないと分かっていても、その箱を手放せずにいることは、思いのほか多いものです。
問いは、答えへ向かうもの
多くの人は、問いには答えがあるものだと思いながら育ってきました。学校では、正しい答えにたどり着くことが求められます。社会へ出れば、目の前の問題を解決することが仕事になります。暮らしのなかでも、分からないことがあれば調べ、うまくいかないことがあれば原因を考えます。そうした経験を重ねるうちに、問いとは答えへ向かって進んでいくものだという感覚が、ごく自然に身についていきます。
もちろん、それは間違いではありません。物事を分けて考えたり、すぐに結論を出さずに様子を見たり、引っかかった違和感を手放さずに考え続けたりすることは、答えへ近づくための助けになります。そうした積み重ねによって、多くの問題は少しずつ解けるようになっていきます。
ただ、世の中には、その歩みをどれだけ続けても、答えに届かない問いもあります。
終わらない喪失を前にして
答えが出ないまま続く出来事は、家族のなかにもあります。行方不明のまま何年も帰らない場合もあります。認知症によって、体はそこにあるのに、以前のような関係を保てなくなる場合もあります。
こうした状況を、ミネソタ大学名誉教授のポーリン・ボス(Pauline Boss)は「あいまいな喪失」と呼びました[1]。失われたとも言い切れず、しかし、これまで通りそこにあるとも言えない。その曖昧さが長く続くため、人はどこで区切りをつければよいのか分からなくなります。
ボスが示したのは、その曖昧さを受け入れて終わることではありません[1]。何が失われ、何がまだ残っているのかを、一つずつ見きわめていくことです。答えが出ない状況でも、その作業は続けることができます。そして、その積み重ねによって、答えのない状況とともに暮らしていく道も開かれていきます。
そのため、支援の目標も少し変わります。何が起きたのかを明らかにすることだけを目指すのではなく、答えが出ないままでも日々の暮らしを続けられるよう支えることが重視されます。ボスは近年の著作で、喪失にはいつか必ず終わりが訪れ、人はそこに区切りをつけられるはずだという考え方を、「終結という神話」と呼んで問い直しています[2]。
この考え方は、日本でも東日本大震災のあと、行方不明者を含む家族への支援を考えるうえで参照されてきました。ボスのもとで学んだ臨床家たちによって、その枠組みが災害支援の現場へ紹介されています[3]。
まだ読めない言葉として、問いを愛する
1903年7月、ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)は、一人の青年へ手紙を書きました。相手は19歳のフランツ・クサーヴァー・カプス。進むべき道や、これからの人生をどう生きるかに迷い、リルケに手紙を送ってきた青年です[4]。
その返信のなかで、リルケは、分からないことを急いで分かったことにしないでほしいと語りかけます。まだ開けたことのない部屋や、まだ読めない外国語で書かれた本を愛するように、「問いそのものを愛してみてほしい」とも綴っています。そうして問いをそのまま生きていくうちに、いつか気づかないうちに、答えの方から近づいてくる日が来るかもしれない、とも記しています[4]。
この手紙は、もともと喪失について書かれたものではありません。一人の青年の、若さゆえの迷いに贈られた言葉です。それでも、答えを急がず、問いそのものを生きるという姿勢は、その後時代を超えて、さまざまな場面で繰り返し読み返されてきました。
別々の道から、同じところへ
ボスは、答えの出ない状況にある家族を支えるなかで、答えを急がないことの大切さにたどり着きました。一方、リルケは、将来に迷う一人の青年へ宛てた手紙のなかで、問いを急いで閉じないことの意味を伝えています。
一人は長年の支援の実践から、もう一人は一通の手紙を通して、その考えに至りました。出発点も目的も異なります。それでも、答えを急がないという一点で、二つの道は重なって見えます。
解けない問いと暮らす
長く答えを出すことが難しい問いは、無理に解こうとしなくてもよいこともあります。答えを出すことだけが、問いとの付き合い方ではないからです。
問いは変わりません。変わるのは、その問いとの距離です。
昨日まで自分を縛っていた問いが、いつの間にか、自分を見つめ直すきっかけになっていることがあります。答えを出せなくても、その問いとの暮らし方は変わっているのです。
解けない問いは、人生から消えるとは限りません。それでも、その問いとともに暮らすことはできます。答えを急がないということは、問いをあきらめることではなく、その問いに居場所を与えることなのかもしれません。
参考文献
[1] 南山浩二「ポーリン・ボス『曖昧な喪失』研究の検討――その理論の概要」静岡大学人文学部『人文論集』54(1), 2003, pp.1-20 https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/record/592/files/KJ00000692936.pdf
[2] ポーリン・ボス著、瀬藤乃理子・小笠原知子・石井千賀子訳『パンデミック、災害、そして人生におけるあいまいな喪失:終結という神話』誠信書房, 2024(原著:Boss, P. (2021). The Myth of Closure: Ambiguous Loss in a Time of Pandemic and Change.) https://www.seishinshobo.co.jp/book/b10045207.html
[3] 黒川雅代子・石井千賀子・中島聡美・瀬藤乃理子編著『あいまいな喪失と家族のレジリエンス――災害支援の新しいアプローチ』誠信書房, 2019 https://www.seishinshobo.co.jp/book/b428044.html
[4] Rainer Maria Rilke, "An Franz Xaver Kappus, Worpswede bei Bremen, am 16. Juli 1903," in Briefe an einen jungen Dichter https://www.rilke.de/briefe/160703.htm(邦訳:ライナー・マリア・リルケ著、高安国世訳『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』新潮文庫)

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