AIは本を学んでいいのか?── 米国裁判の判決から、私たちの情報観を見直す
■ アメリカでの重要判決:「AIは本を学んでいいのか?」
2025年6月、ついにアメリカでAIと著作権をめぐる判決が下された。
著名作家たちがAIスタートアップ「Anthropic」を相手取って起こした裁判。
争点は、「著作物を無断でAIに学習させることは著作権侵害か?」というもの。
結果は──部分的にフェアユース(合法)と認められた。
NotebookLMでポッドキャスト化しました。概要は音声でどうぞ。↓アイコンクリックで音声が流れます。
アメリカの連邦裁判所判決文章リンク
• AIが本を学び、それをもとに新しいアウトプットを生む行為は「変容的使用(transformative use)」として正当。言うなれば、人間の創作と同じ。
• 一方で、違法コピーされたデータを使っていた点については「著作権侵害」とされ、年末に損害賠償の審理が続く。
つまり、「正規に取得したデータであればOK、でも盗んだらアウト」という、
一見シンプルなラインが引かれたように見える。
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● 著作権のある作品でもAI学習はフェアユースになる──初の司法判断
この判決の最も画期的な点は、著作権のある書籍を無断でAIに学習させた行為は、フェアユースに該当すると明確に認められたこと。
これは、アメリカの連邦裁判所として初めての判断であり、今後のAIと著作権の議論に大きな影響を与える。
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● とはいえ、まだ線引きは曖昧なまま
• 図書館の本はOK?
• ウェブ上の違法コピーの扱いは?
• 出力された文章が元著作物に似ていたら?
など、ケースバイケースであり、判断するためには見えていないことがまだまだある。
実際、AIはネット上の非正規なコピーコンテンツを含めて学習している可能性が高く、「フェアユースだ」と企業が主張できるかどうかには、まだ多くの課題が残る。Anthropicの事例では違法コピーの使用が問題視されたように、データセットの「出所」を証明する透明性や合法性が、今後ますます重要になる。
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● 情報の“囲い込み”と“開放”の戦略が交錯する
また、データの利用については発信側企業の戦略に沿って独自に決めている場合もある。例えば、GoogleはYouTubeのデータを外部AIが学習することを禁じている。
一方、OpenAIは動画生成AI「Sora」にYouTubeのデータを使っているのでは?と多くの専門家が指摘している。
Youtubeのデータ保護は、著作権の観点に加えてGoogle独自の生成AIの優位性を高めることにも繋がる。
AI時代、情報の価値は「流動」させた方が良いのか。逆に「使わせないこと」で上がるのか。
そんな企業戦略の“非対称性”が可視化される時代に入ったとも言える。
情報格差の拡大や、特定の情報源への依存といった懸念も生まれそうだ。
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■ NYTの「囲い込み戦略」は、守りか?時代錯誤か?
こうした情報の“囲い込み”戦略を最も強く推し進めている代表例が、New York Times(NYT)だ。
AIクローラーの遮断、OpenAIへの訴訟、自社記事の学習禁止──と、徹底している。
これは「自分たちの資産を守るため、他人のAIには使わせない」という正当な姿勢に見える。
しかし、その背景にはもっと深い意図がある。
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● ジャーナリズムの持続性を守る、苦渋の選択
• AIがNYT記事を要約して回答してしまえば、誰も本家に読みに来なくなる。
• コンテンツは消費されるが、収益にはならない。
• その結果、記者に報酬を払えず、質の高い報道が成り立たなくなる。
こうした懸念は、単なる商業的保身ではなく、ジャーナリズムの倫理と継続性を守るための戦略として理解できる。
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● わかる。けれど、やっぱり近視眼的では?
既存の権利を主張したところで、情報流通の前提条件が、すでに変わりつつある。
• 検索の時代から、生成の時代に入った。
•AIを通じて 「答えを得る」行動が主流になりつつある。
• 情報は、「使われることで価値が生まれるもの」になった。
いままでは、発信者が生み出した情報を探し、自分に必要だと思う情報を読み、必要な情報を選りぬくことが必要だったが、AIに問うことで、AIが大量の情報をクロールし、自分が望む情報に再編集(生成)して届けられるようになった。これは間違いなく主流になっていくだろう。
そうすると、NYTは記事を守ったつもりが、次時代の知の循環エコシステムからは取り残されていくリスクがあるのではないか?
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● そして、ちょっと"くれくれタコラ"企業に見える
一方で自分たちは、AIを使わないわけにはいかない。リサーチ、記事の構成や創出に活用する。しかし、自分たちの情報はAIに学習させない。
この矛盾が生む“くれくれ感”は、どんなに立派な理念があっても、価値観がシフトした側からはそう映ってしまう。
情報の非対称性が深まるこの状況こそ、私たちが今問われている「情報倫理の転換点」かもしれない。
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■ AIに読まれない言葉は、「存在しなかったこと」になる⁈
これを個人のこととして、思考実験。
さて──もしあなたが記者として…
仮に、NYTで10年間記事を書き続けてきたとする。
そろそろキャリアアップで転職を考える。
しかし、先方があなたについて、Deep Research しても何も出てこない。
AIは組織が作った防御壁を越えられず、あなたの仕事は「知識の地層」に存在しない。
これは、「積み上げてきたはずのキャリアが、AI時代には存在しなかったこと」になるような感覚だ。
ひょっとすると、今後は閉じた系の組織にいることはリスクになるのかも知れない。
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● けれど、それは本当に“存在しなかった”のか?
• NYTには調査報道のノウハウがある。
• 情報源を守る倫理がある。
• 読者と築いた信頼関係がある。
• あなたにも、一次情報を探す力がある
• 独自の視点で、情報を生み出すことができる
• 仲間、同僚、クライアント、築いてきた関係性がある
これらはAIには模倣できても、代替はできない。
つまり、「学習されない=価値がない」という短絡的な等式ではないはずだ。
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● 記者の役割は、「未来に問いを投げる存在」へ
AIは予測する。AIは模倣する。AIは要約する。
けれど、AIは祈らない。迷わない。感情をかけて書かない。
だからこそ、人間の書き手が果たす役割はまだある。
書くことは、未来と結ぶこと。
それは、知識の創造、コミュニティの形成、新たなアイデアの触媒となること。
それがAI時代における“新しい存在意義”ではないだろうか。
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■ 前提条件が変わった世界で、私たちはどう生きるか?
変わったのは、AIというテクノロジーじゃない。
前提条件が変わったのだ。
それは、企業も、個人も同じこと。
「今まで通りのことをして、今まで通りの対価が欲しい」。
この発想自体が、もはや“自己中心的”になりうる時代だ。
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● それでも、価値は誰にでも生み出せる
変化を恐れるのではなく、変化を受けて問い直す。
それが、AI時代に表現を続ける者に求められていることだと思う。
書くことは、伝えることではなく、“むすぶ”こと。自分の言葉が、誰かの思考や行動の素材になること。
そこに、新しい希望がある。
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✍️ 私たちの言葉は、未来に届くだろうか?
AIが学んだ言葉は、新たな境地を拓いていくのか?
AIに使われない言葉は、本当に存在しなかったことになるのか?
その問いの答えは、まだ誰にもわからない。
でも、ボクは信じていたい。
価値は、誰にでも生み出せる。と。
実は、自分自身も“閉じた系”にいる立場です。
だからこそ、何をどう発信していけばいいのか?という問いは、ずっと抱えてきたものでした。
明日は、その問いに向き合って、
「企業人のための発信設計」について書いてみたいと思います。
