粉砂糖の雪と、苦いコーヒーと、まだ呼べない名前
正直、行くつもりはなかった。
あの名前を見るまでは。
小学校の同窓会なんて、今さら何を話せばいいんだろう。
この年齢になって、昔の友達、と再会したところで、気まずい沈黙が流れるだけじゃないか。
グループLINEまで出来上がっている。
私は「参加します」の通知を横目で見ながら、既読スルーを決め込んでいた。
それなのに。
気づけば、新幹線の窓の外には、太陽の光を跳ね返して、きらきらと刺さるような白さが広がっていた。
まぶしすぎて、思わず目を細めてしまう。
降り立つと、足の裏から冷たさがジワリと伝わってきて、吐く息が大きく聞こえた。
昼間なら、日帰りで帰れるし。
夜まで残る必要もないし。
東京から新潟までの新幹線の中で、そうやって逃げ道を確保しながらここまで来た。
会場は、思っていたよりもにぎやかだった。
グラスが触れ合う音や、笑い声が弾けるたびに、私は自分の居場所を探すみたいに足元を見ていた。
せめてバイキングでよかった。
皿を持てば、ここにいる理由になる。飲み物に手を伸ばした、その時。
「なっちゃん!」
振り向くより先に、教室のワックスとチョークの匂いが、ふっと鼻の奥をかすめた。
そんなはず、ないのに。
目を上げると、少し背が高くなったしんくんが、笑っていた。
あの時より少しだけ余裕のある顔で。
「なっちゃん。久しぶり」
新幹線の中で、グループLINEの画面を何度か開いた。スクロールの途中で、指が止まった。
それを確かめる気持ちは、なかったことにしていたのに。
目の前のしんくんは、昔と同じように、私の名前をもう一度読んだ。
「なっちゃん。雪が多いから、来ないかなって思ってたよ」
「そんなことないよ。昼間だし。早く帰れるし」
何だか言い訳みたいだ。
名前を呼べば、距離が縮まる。
それが分かっているから、私はまだ呼べない。目の前にいるのに。
テーブルの隅に並んだグラスへ手を伸ばしたけれど、どれを取っていいのか一瞬わからなくなった。
「それは炭酸。なっちゃん、炭酸飲めなかったよな」
「中学んとき、俺の炭酸ジュースひと口飲んで、これ無理!って言ってた」
そんなこと、まだ覚えているの。
「覚えてるよ。あの時の顔」
熱が、ゆっくり首元から上がってきて、耳のあたりがじんわりするのが分かる。
きっと赤い。
ミルクをたっぷりと入れたコーヒーカップに、逃げる様に口を付けた。
「今でも、すぐ顔に出るよな」
からかわれている。
中学の帰り道、コンビニの前でいつまでも立ち話をしていたこと。
部活終わりで、夕方の空がやけに長かったこと。あの時間を覚えているのは、私だけじゃないんだ。
耳の熱が、まだ引かない。
コーヒーの湯気の向こうで、しんくんは少しだけ目を細めた。
「俺もさ、東京出たんだよ」
「でも、結局戻ってきた」
知っていた。
しんくんが東京にいた時期があったこと。
同じ街にいるなら、どこかですれ違うかもしれないと、ほんの少しだけ期待していた。
もし、本当に偶然会ったら、どうするつもりだったんだろう。考えたことはなかったけれど、考えないようにもしていた。
「そうだったんだ」
「向いてなかったんだ。満員電車も、人の速さも」
「今さ、田んぼやってるんだ」
「田んぼ?」
「うん。じいちゃんの代からのやつ。ちゃんとやると、ちゃんと答えてくれるんだよ。人より正直かもな」
「なっちゃんは何してるの」
その問いには、逃げ道がなかった。
コーヒーじゃなくて、アルコールを選べばよかった。
「私は、東京にいて」
「普通に会社員をして、たまに、小説を書いている」
たまに、という言葉が、何だか少し情けない。
「すごいなあ。なっちゃん」
何もすごいことなんてしていないのに、その一言が、胸の奥に残った。
周囲の笑い声が、さっきより弾んでいる。あだ名が飛び交って、誰かが写真を撮っている。
「田んぼもさ、最初は全然うまくいかなかった。でも、手をかけた分だけ返ってくるんだよ」
そう話すしんくんの横顔は、まぶしすぎて、目が離せなかった。
会場を出ると、降り積もった雪の表面が、夜の冷えで粉砂糖みたいにほろりと崩れた。
「月だね」
しんくんが、のんびりと言う。
見上げると、白い息の向こうに、静かな月が浮かんでいる。
「今度は、春に会おうよ」
耳の奥が、さっきより強く熱い。
昔と変わらないな、と笑われそうで、余計に隠せない。
しんくん、春はもうすぐだよ。と、口を開きかけて、閉じた。
まだ、呼べない。
そう思ったのに、白い息の向こうで、しんくんが少しだけ笑った。
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