『分け前』/育ちのいい若手社員・若林は、いただきものをみんなで分ける男。その分け方はどんどんエスカレートしていき、周囲は戸惑っていくが……(Opus No.185)
若林は入社して二年目の二十代。
小柄で、よく笑い、声が静かだった。
最初は、育ちのいい青年だと評判だった。
いただきもののクッキーを配る時も、箱の中身を均等に測って分けた。
一人につき、三点五枚。
「端は僕がいただきます」と笑って言う。
誰も気に留めなかった。
気に留めるほどのことでもなかった。
ところがある日、給湯室で同僚が目撃した。
若林がインスタントコーヒーの瓶を開け、
小さなスプーンで粉をすくい、人数分に分けている。
「みんなのカップに、同じだけの幸せを」
彼はそう言って、空気のように笑った。
コーヒーをもらった同僚は、少し味が薄いと言った。
若林はうれしそうに頷いた。
「やっぱり、平等は薄いですね」
お中元の季節、会社に粉洗剤の箱が届いた。
若林は即座にそれを開封し、小袋に詰め直した。
「泡も平等に出ますように」
願いを込めるように手を合わせていた。
総務の課長が通りかかり、
「え、洗剤も分けるの?」
と聞いた。
若林は微笑んだ。
「みんなで同じだけ、キレイになりましょう」
課長の頭にド派手な❓マークが浮かんだのは、言うまでもない。
昼下がりの事務室に、カッターの音がした。
「……ちょっと、若林くん、それ、お得意様からいただいたタオルだよね?」
声をかけたのは、経理の佐藤だった。
若林は机の上で、白いタオルをまっすぐに切っていた。
「いただきものですから」
彼はそう言って、刃をそっと置いた。
「みんなの分を、等しく」
若林はハチマキのようになってしまったタオルの切れ端を、各机に置いていった。
佐藤は口を開けたまま頷いた。
「誰か欲しい人が貰えばいいのに」などと言った言葉をかけられなかった。
何か言うより、頷いたほうが安全に思えた。
秋、昇給の知らせが社内に出た。
若林の机の上に給与明細が届く。
彼はそれを見て首を傾げた。
「これを……みんなで分けないといけませんね」
人事課は笑い飛ばそうとしたが、彼が本気で振込先を部署全員の口座に変更しようとしているのを見て、黙った。
翌月、給与明細には「基本給:0円」とあった。
若林は満足げに笑った。
「みんなで働いたんですから、これでいいんです」
誰がアップしたのか知らないが、この出来事がSNSで話題になった。
“令和の分け合いリーダー”“会社の聖人”と持ち上げられ、
メディアが取材に来た。
そして、彼は全国から講演会に引っ張りだこの存在になった。
若林は講演会で語った。
「分け合う心こそ、人間の証です」
会場は静まり返った。
拍手の音が、少し遅れて響いた。
講演会の旅を終え、半年後、彼は会社に戻ってきた。
その頃には年度も変わり、新入社員が入ってくる季節になった。
「遅いな、うちの部署に今度配属される新人は……」
課長がやきもきしているところに、若林がお盆を抱えて入ってくる。
「おお、若林、今度入ってくる新人、知らんか?」
「ちゃんとここにいるじゃないですか」
若林が言った。
しかし、そこには誰もいなかった。
お盆の上には、透明な瓶の中に白い粉が人数分に分けて並んでいた。
少し甘い匂いがした。
「みんなの後輩なので、みんなで分けましょう」
若林は恍惚の表情で言った。
誰も何も言わなかった。
その日のうちに、若林は警察に連行された。
若林の代わりに、その机の上には
「分け前」
と書かれた札が立てられた。
今もときどき、風でその札が揺れる。
音はしない。
ただ、均等に、揺れている。
【糸冬】
