人に伝える時大切にしていることはなんですか
質問:料理教室を開いている私は、暮らしを楽しめる人ほど幸せだと感じていて、その感覚をレッスンで伝えたい。でも「こう感じてほしい」と押しつけるのは私のエゴかもしれない。ため末さんが言う「私にメッセージがあるのではなく、みんなになってほしい心の状態がある」とは何が違い、具体的にどうアプローチするのか、また人に何かを促すとき大切にしていることは何か、教えてください。
私も料理が人の幸福感に及ぼす影響は大きいと思うし、庭やプランターのバジルを眺めながら「育ったらジェノベーゼにして白ワインを合わせよう」と想像する瞬間こそ生活の喜びだと感じます。さて本題、メッセージを語るのと「なってほしい心の状態」を描くのはどう違うか。名文化されたルールは状況を超えて一律に適用されます。嘘をつくな、のように。しかし私が重んじるのは行為そのものではなく、その裏に潜む相手への裏切りや支配の有無です。死期の迫った人に本当の病名を告げるかどうかは、「嘘は悪」だけでは決められず、その場の関係性次第でしょう。東洋的、関係依存的とも呼ばれますが、私はその視点で語ります。
だから講演するときは、言葉やノウハウを届けるより、聴く人一人一人が晴れやかな空模様になるような心の気象を起こすイメージで立っています。私自身の経歴や媒体発言は、その気象を呼ぶ媒介にすぎません。同じフレーズでも別の人が言った方が場が動くなら、その人に譲った方が良いくらいです。私が放つ言葉は放射状の矢ではなく、ネットワークに電気を走らせるようなもの。相手の中で自発的に芽生える何かを保護する電圧くらいに思っています。
なぜそれがエゴの侵入を抑えるかと言えば、最終的な選択は相手に委ねるからです。人は置かれた状況も成長段階もみな違います。初心者には「とにかく型どおりやってみよう」と言い、熟達者には「もう型を外して自分のやり方を」と真逆を勧めることもある。同じ人でも来週は別の助言が要るかもしれません。世の中は常に揺らめき、固定された一貫メッセージなど存在しないと私は見ています。その揺らめきの中で「こんな空気のほうが心地いいよね」と促すのが私のスタイルです。
料理教室でも、「こう感じて」と一方向に押すより、参加者がふと自分の台所や食卓を思い描き、試したくなる心象を呼ぶ言葉や振る舞いを探してみてください。相手の心に風が通れば、その人なりのやり方で暮らしを楽しむ方向へ自然と動き出します。お互い、その風を起こす場づくりを続けていきましょう。
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為末にコーヒーなどを奢る制度です。
コーヒー 300円
ビール 500円
ラフロイグ1000円