大河べらぼうで話題!歌麿の自然美の極致『画本虫撰』とは?
活き活きとした植物が放つ草いきれ
毛虫の動きにあわせてたわむ蔓の曲線
葉に乗った蛙、その池に映った裏側の顔
かぼちゃに張り付いて無心にかじるくつわ虫
ぬっと現れた蛇の鎌首に慌てて逃げ出すとかげの尾…
歌麿が描いた狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』(版元/蔦屋重三郎)を眺めていると、匂いや風のそよぎ、虫たちがさわさわと這う微かな音まで聞こえてきそうです。



現在放映中の大河ドラマ「べらぼう」にも登場した、この歌麿の筆による植物や虫たちの絵は、海外のボタニカルアートをも彷彿とさせます。私も改めて見直し、つくづく感動しました。
今回は、この狂歌絵本『画本虫撰』について紹介していきます。
狂歌絵本とは?|天明期が生んだ<狂歌×出版×多色摺の奇跡>

狂歌絵本とは、絵と狂歌で構成された本のこと。明確な違いは定められていないようですが、絵が主体のものを「狂歌絵本」、狂歌が主体のものを「絵入(えいり)狂歌本」と呼ぶことが多いようです。
狂歌絵本の誕生の裏には、
江戸時代・天明期の狂歌の流行
江戸における商業出版の発達
多色摺の版画技術の進歩
がありました。
◆江戸時代・天明期の狂歌の流行
江戸時代初期には、大坂で流行した「上方狂歌」。江戸時代中期になると江戸でも盛んになり「江戸狂歌」が誕生します。明和六年に江戸で唐衣橘洲宅で行なわれた狂歌会を皮切りに、以降、武家をはじめとする知識人たちが主体となって大きな流行となります。
中には黄表紙(大人向けの絵入り草紙)の作者で知られる恋川春町や、朋誠堂喜三二、山東京伝といった面々も。
また版元(当時の出版社兼本屋)である蔦屋重三郎も狂名「蔦唐丸(つたのからまる)」として、歌麿も狂名「筆綾丸(ふでのあやまる)」として、積極的に参加し、大田南畝ら一流の狂歌師との交流を深めます。
このブームは、天明3年(1783年)頃に爆発的に広がり、「天明狂歌」と呼ばれる江戸の文化を彩る一大現象となりました。
◆江戸における商業出版の発達
狂歌と同じく、出版そのものも江戸時代初期には上方で行なわれていましたが、中期以降には江戸でも地本問屋(じほんどんや)といって、江戸オリジナルの本を発行する版元が現れます。
まさに天明期は、版元として有名な蔦屋重三郎も、吉原の大門前の小さな店から日本橋の大店に移り、黄表紙など世間の注目を集める流行の出版物により力を入れていたところ。
リアルタイムで盛り上がっている狂歌の本を出すことは、蔦重にとっては当然の流れだったにちがいありません。
しかし天明五年頃から、世の中の熱狂的な狂歌ブームに逆にやる気をなくした四方赤良を筆頭に、狂歌会に陰りが見え始めます。さらに天明六年、老中田沼意次の失脚から質素倹約を旨とする寛政の改革が始まると、狂歌界の熱は以前ほどではなくなってきました。
蔦重には、このブームを何としても盛り返したい、そのために豪華で美しい狂歌絵本で再び狂歌に注目を集めよう、そんな強い思いがあったのかもしれません。
◆多色摺の版画技術の進歩



モノクロの墨摺絵(すみずりえ)から、紅摺絵(べにずりえ/墨摺絵に紅色を主体に緑色や黄色を用いる)、そして明和二年頃には豪商たちの絵暦交換会から、鈴木春信らによって多色摺(たしょくずり)の技法が編み出されました。
現代の私たちが浮世絵と聞いて思い浮かべるものは、この色彩豊かな多色摺の絵でしょう。天明期頃には、この多色摺技法にも磨きがかかり、錦絵と呼ばれて江戸名物にもなっていたのです。
『画本虫撰』の魅力|蔦重の仕掛けと歌麿の意気込み
◆歌麿を売り出す蔦重の仕掛け
蔦重は、天明六年にすでに「絵本」と冠した狂歌本の三部作を刊行しています(『絵本八十宇治川』『絵本吾妻抉』『絵本江戸爵』)。
それぞれに「絵本」と絵を強調しているように、絵に力を入れたものであり、『絵本八十宇治川』『絵本吾妻抉』は北尾重政、『絵本江戸爵』は歌麿が担当。
当時の人気絵師であった重政のものとシリーズ化させることで、歌麿を少しずつ売り出そうとしていた蔦重の意図が読み取れます。
そして天明七年~寛政二年にかけて、すべて歌麿が絵を担当した『画本虫撰』ほか、『百千鳥狂歌合』『潮干のつと』の3部作が刊行されました。
◆博物学への興味が高まる中の『画本虫撰』
全二帖(二冊)からなるこの『画本虫撰』。これ以前に歌麿が手掛けたものは墨摺で風俗や風景を描いたもの。
しかし、この『画本虫撰』を含むシリーズは、緻密に描かれた花鳥画です。背景には江戸時代中期の博物学への興味、精密な博物画の出現などがありました。
後述しますが、歌麿は幼い頃から虫を愛でていたそうです。そんな彼にとってはまさに、大きなやりがいを感じられる仕事であったでしょう。自然の中でつくろうことをしなくても、ただ生きているだけで美しい草花や虫たち。その命のありようを写し取りたい。そんな歌麿の想いが伝わってくるようです。
また、歌麿の画工としての技術だけでなく、浮世絵の版画技術も大きく作品の素晴らしさに寄与しています。
◆使用された版画技術の素晴らしさ

当時の木版技術を駆使して作られた豪華な絵本狂歌。
虫の羽やたけのこ、植物に、「雲母摺(きらずり)」、「空摺(からずり)」、「きめ出し」といった、現代では信じられないほどの細かな技術が用いられています。
雲母摺…雲母(きら)の粉を絵の表面に施す技法。キラキラとした光沢で、豪華で繊細な印象を与える。
空摺…絵の具を使わず、版木の凹凸だけで紙に模様を押し出す技法。立体感や微妙なテクスチャーを表現する。
きめ出し…空摺の一種。肘などで圧力をかけて摺り、凹凸を際立たせる。
デジタル画面では実感することは難しいと思いますので、美術館などで実物を見るチャンスがあれば、ぜひご覧になってください。
また彫師も名匠、藤⼀宗(とういっそう)が手掛けており、虫の羽や蛇の鱗、細い蔓の曲線など、そのテクニックの凄まじさにはため息がこぼれます。
※刊行時期により、摺りなどにいくつかのバリエーションがあるようです。
◆『画本虫撰』の構成内容について
見開きページに一枚絵、計30種類の虫たちが登場。そしてその絵に対応する狂歌が計30首。
『画本虫撰』は、挿絵を見開き一図の形にした狂歌本としては最初のものと言われます。
編者は宿屋飯盛(石川雅望)、序文は鳥山石燕と宿屋飯盛。
飯盛の序文によれば、虫聞きの名所としても知られていた庵崎(いおさき/東京・向島)の隅田堤の料亭で、<恋の心を虫に寄せた狂歌>を詠んだ、そのときの歌が掲載されているとのこと。
実際にこの会が開かれたのは、天明六年以前、蔦重の企画したものではなかったかと推測されています。
鳥山石燕の序文|謎多き歌麿の少年時代
実は歌麿の生い立ちや幼少期については、詳しいことはわかっていません。しかし、この『画本虫撰』の序文の一つ、歌麿の師匠であった鳥山石燕の筆によってその面影を見ることができます。
◆鳥山石燕が知る虫好きの歌麿

この序文で、石燕はこのように歌麿を評しています。
歌麿は、描くものの生命を心に取り込み、筆でその形を表現する「心画」の境地に達した。彼は幼少期から細部にこだわり、ひたすら戯れにトンボを繋いだり、こおろぎやバッタを手のひらに載せて遊ぶことに夢中になっていた。私(師である石燕)は殺生を戒めたものだが、現在の歌麿の画技は、玉虫の輝きのように優れ、先人も凌駕する。
歌麿は幼少期から石燕門下にあったこと、そしてトンボをつないだり、こおろぎやバッタを手に乗せて遊ぶ、虫好きの少年であったことがわかります。
あまりに虫遊びが過ぎて、師匠から「こら、むやみな殺生はしてはならんぞ!」と叱られていたというのも面白いですね。
そんな少年時代から可愛がっていた歌麿が、今をときめく有名狂歌師たちと肩を並べ、豪華絵本の作を任されて大好きな虫の絵をのびのびと描いているのを見て、師匠としても誇らしく嬉しく思ったのではないでしょうか。
また、虫たちの羽音や鳴く声まで聞こえてきそうなほど、活き活きと描かれた歌麿の筆致にも、納得がいくエピソードですよね。
記された狂歌|姫路藩主の甥・酒井抱一ほか大田南畝、朱楽菅公、唐来参和、宿屋飯盛ら
次は、掲載されている狂歌の方も見ていきましょう。
『画本虫撰』の狂歌のうち、一番初めに掲載されているのは、尻焼猿人(しりやけのさるんど)という人物の歌。
なんともおどけた名前ですが、実は姫路藩主の弟でもあり、絵師としても名高い酒井抱一の狂名なのです。


『画本虫ゑらみ』より/国立国会図書館デジタルコレクション
・尻焼猿人
「こはごはにとる蜂のすのあなにえや うましをとめをみつのあぢはひ」
(恐々と盗る鉢の巣穴のなんとすばらしいことか うら若き乙女の蜜の味わいのよう)
いきなりのストレートエロス。「あなにえや」は「ああすばらしい」の意味で、蜂の巣穴の「あな」とが掛詞に。「うましおとめ」は国産み神話のイザナミの言葉から。
歌麿の描く自然美に騙されてしまいますが、これは前述したように<虫に寄せる恋の歌>。心を柔らかくして読んでいきましょう。
二番目は、江戸狂歌の盟主、四方赤良こと大田南畝。
・四方赤良
「毛をふいてきずやもとめんさしつけて きみがあたりにはひかかりなば」
(君に夜這いをかけてみても 私のあらさがしをされてうまくいかないだろうね)
「毛を吹いて瑕(きず)を求める」(人のあら探しをする)という韓非子の言葉から。毛、刺し、這い、と毛虫を連想させる掛詞を織り交ぜています。
ほかにも、唐衣橘洲、紀定丸、朱楽菅江、唐来参和、宿屋飯盛…などなど、当時の名だたる狂歌師、文人たちの歌が並んでいます。
そのほかの狂歌絵本|『百千鳥狂歌合』、『潮干のつと』、『吾妻曲狂歌文庫』
『画本虫撰』は、歌麿が絵を描いた狂歌三部作のうちの一つ。ほかの二作品、『百千鳥狂歌合』『潮干のつと』も同じく、見開きページに一枚絵の豪華本です。
◆鳥の羽の手触りまで感じられる『百千鳥狂歌合』


寛政二年頃刊。全二帖。赤松金鶏撰、蔦屋重三郎刊。
雲雀、燕、鷺、鶺鴒、鶯…。様々な鳥が色鮮やかに描かれています。特にうずらや鷹の羽の細かさ、メジロのかわいらしさ、鳩の鮮やかな青が印象的。個人的にみみずくの顔がなんともいえず愛おしいです。
◆潮干狩りや貝合わせに興じる女性の姿も。『潮干のつと』


推定・寛政元年刊。全二帖。朱楽菅江撰、蔦屋重三郎刊。
『潮干のつと』とは、「潮干狩りのみやげ」という意味。『虫撰』や『百千鳥』と比べて、初めと終わりに関連美人風俗図が付されていたり、一図に六種類の貝と六首の歌が収められていたりと形態を異にしています。潮干狩りに遊ぶ人々の様子や、貝合わせに興じる女性たちの姿も楽しい作品。
◆そのほか、山東京伝作『吾妻曲狂歌文庫』なども有名
狂歌絵本は、花鳥画などを描いたものばかりではありません。人物や名所などさまざま。
例えば、北斎が絵を描いた『絵本隅田川両岸一覧』は、隅田川から吉原に至るまでの川沿いに位置する土地の風景を描いたもの。

また、大河ドラマ「べらぼう」をご覧の方は見覚えがあると思いますが、山東京伝が四方赤良主宰の狂歌グループ「四方連」を中心とした狂歌作者を描いた『吾妻曲狂歌文庫』も有名です。

おわりに
歌麿の筆が活き活きと自然を写す『画本虫撰』。
酒井抱一や大田南畝らのユーモラスな<虫に寄する恋>を詠んだ狂歌と共に、江戸の遊び心や美意識の高さを感じられる傑作です。
これらの豪華本の刊行には、当然ながら制作費用も高額だったようで、蔦重がスポンサーに苦労した跡も考察されています。質素倹約がモットーとされはじめた時代の空気の中での、この蔦重のチャレンジは見事。
女性の大首絵(バストアップ像)を描く前の歌麿。その幼少期から培った自然をとらえる力を感じさせる筆致にも魅了されます。
なかなか実物を見る機会は少ないと思いますが、特に初摺の雲母摺の美麗さは一度見たら忘れられないとか。
三部作は下記にてすべて見ることができます。蔦重、歌麿、狂歌師たち、彫師や摺師の職人たちにも想いを馳せながら、ぜひ一度ご覧になってみてください。
✅『画本虫撰』
✅『百千鳥狂歌合』
✅『潮干のつと』
それではまた次の記事でお会いしましょう~♪
参考文献
・菊池庸介著『歌麿「画本虫撰」「百千鳥狂歌合」「潮干のつと」(講談社)
・べらぼうコラム #34 南畝と歌麿――“天才”たちが関わった狂歌絵本『画本虫撰』の魅力
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