大田南畝も注目!江戸の物まねスター・鶴市の芸人魂
テレビをつけて物まね番組をやっていると、つい見てしまいます。
先日も何かのかたわらに見ていたら、田中邦衛とかちあきなおみとか、今の若い人は知ってるんだろうか?と思うネタが出ていました(私ですらジャストではない、知ってるけど)。古畑任三郎とかももう古いといえば古い。
もちろん現代は動画でいくらでも昔の映像が見れますし、かえって昭和のスターが一周回って再度見直されている時代になり、若い人でも知ってる人、むしろ好んで過去の動画を見ているという人もいるのでしょうが(私も子供のときから古い歌も好きでしたしネ)、こういう番組を見ていてふと思い出すのが、江戸時代は安永期ごろの物まね芸人・松川鶴市という人のことです。

鶴市は人気役者の声や身振りを写すのがうまく、まるで歌舞伎芝居そのままだと大人気に。その巧みさは、歌舞伎役者も舞台で褒めたほどだとか。
当時の見世物のメッカであった浅草や中洲(隅田川の西岸、新大橋の南方につくられた埋立地)で破格の木戸銭を取って興行し、連日詰めかける客は引きも切らず。容姿にも優れていて女性にもよくモテたのか、乱行も多かったといわれます。
で、この鶴市には面白いエピソードがあります。
蜀山按、此もの後に足をあらひて素人となり、出家して蓮乗と號し、四谷内藤新宿の未成子村常圓寺七面堂の堂守となれり、新宿の倡家などに、斎非時によばれても、女どもその技をしりて、何にても身ぶり聲色せよといふに、古き役者の声色身振なれば、たれもしるものなし、よりて近此は新しき役者の聲色などを學ぶと六樹園のかたりしもおかし、常圓寺は垂枝櫻の大きなる木ある寺なり。
<大意>
蜀山按が言うには、鶴市は芸人を辞めた後、出家して蓮乗と名乗り、四谷内藤新宿にある常圓寺七面堂の堂守となった。新宿の妓楼に法事などで呼ばれた際に、遊女たちが「え~、昔物まね芸人さんだったんですか~!見たい~なんかやってみせて~♪」と言うので、それならと古い役者の物まねをやって見せたところ、誰もその役者を知らなかった。なので、近頃は新しい役者の声色を練習していると六樹園が語ったのもおかしい。常圓寺は大きなしだれ桜がある寺である。
ということです。若い女の子にせがまれて芸を披露したのに、昔の役者だったから誰も知らず「シーン………」となってしまったんでしょう。そこでなお、「くそ~、俺の芸はこんなもんじゃないぜ~~!」と奮起して今の流行りの役者を勉強する鶴市の芸人魂。笑ってしまうけれど素敵すぎです。
江戸時代は動画どころか写真もありませんから、往年のスターの物まねをしてもまったく通じなかったことでしょう。
これは瀬川如皐という歌舞伎作家が書いた「只今御笑草(ただいまおわらいぐさ)」という書の中に出てくるエピソード。まさに「おわらいぐさ」なお話です。
この話に出てくる「蜀山按」は蜀山人、つまり大田南畝。六樹園というのは、南畝の弟子の石川雅望。二人と如皐が集まったときに話題に出たのでしょうか。鶴市は、南畝や雅望もよく知る人物であったということでしょう。
これを読んだ皆さんも、私と同じく「物まね番組で古いネタが出てきたら、江戸の物まね芸人・松川鶴市を思い出す」病にかかりますように笑
それではまた、次の記事でお会いしましょう~♪
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