時間を味わう
おはようございます。
社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションはセブ島のセブと一緒です。
小噺です
辛い出来事が2つあった。
ただ、めちゃくちゃ辛いってわけじゃないから小噺として読んでもらいたいし、自分的にも留めておこうと思って。
まずは桜と雨。
僕の住むエリアでは桜が咲き始めていた。
上手くいけば週末はとてもいい状態になっていたかもしれない。
しかし、昨夜から強烈に雨が降った。
今朝家を出て、駅までの道のりの途中にはいくつか桜が目につくのだけど、どれもが雨にやられ地面に花びらを落としていた。
ピンクのドット模様となったアスファルトの上を小走りで駆け抜ける。電車にギリギリ間に合うかどうかという瀬戸際の戦いでの焦りと、散ってしまった桜をみて今年はゆっくりお花見はできないなと思う哀しみが入り混じった感情。
無事電車に乗り込み一息つくと、安堵と共に哀しみが心の中の割合を多く占めてくる。
どうか来年は楽しくお花見できますように。
そしてもう一つは、職場でのミス。
新しい職場で働き始めて早3日、されど3日。
職場の同僚の名前を間違ってしまった。
新しい職場は20人ちょい。
ちょっと似てる名前の人がいたり、関わりが薄い人だとまだまだ名前を覚えていなくって、やってしまった。
とても反省。
仕事に忙殺されるのではなく、仕事仲間の名前くらいしっかり覚えなくてはと思った次第。
詳しくは書かないけれど、少し自分の特性が掴めたことが収穫だったかもしれない。
なにより、いつでも「ありがとう」と「ごめんなさい」が素直に言える人でありたい。それだけでだいぶ人生は生きやすくなる気がする。
さて本題
小噺が意外と長くなったけど、本題はさして長くないかも。ちょうどいいバランス。
先日通勤途中に出くわしたシチュエーションから強く感じた出来事。
時間を味わう
どんなシチュエーションだったかというと、
それは大きな駅での電車の乗り換え時。
たくさんの人が雪崩のように電車から降りて少し早足で移動する。その駅から歩いて通勤や通学するために改札に向かう人、僕みたく乗り換えのために他の乗り場へ移動する人、通勤ラッシュというものはそんなに都会じゃない僕の住む街でさえ慌ただしくて、大きな波のように感じる。
そんな中、ひとり悠然と歩く20代くらいの男性がいた。
肩で風を切り、ガニ股。大股だけどガニ股なゆえ両の足は斜め前に出るためなかなかに前に進まない。
後ろ姿しか見てないけど、決して怖そうなあんちゃんって感じでもない。
そして、誰かに似ていると感じる。
数秒して気付く。
「あ、オードリーの春日だ。」
朝の通勤ラッシュの波の中をオードリーの春日のように悠然と歩くその様を見て、なんだか僕はうらやましくなった。
僕はというと片耳にワイヤレスイヤホンをつけ、スマホはポッケに、そしてなにかしらの音声配信聞きつつ駅構内を足早に移動するのが日課。
移動時間を情報の摂取に使うように、隙間時間を有効活用するのは嫌いじゃない。
だけどこの時はその男性がうらやましく思えた。
あくせくせずに心や体力に余裕を持って過ごしたい。
そんな風に日頃から意識してはいるけれど、
その実どこか情報に溢れた社会に、道ゆく人たちの流れに、自然と流されていたように感じる。
もちろんずっと悠然と歩きたいわけではないし
きっとそれでは成し遂げられないことがあるのは分かっている。
だけどメリハリは必要かもしれない。
ちょうど先日始めた土日のスマホ控えからも
そんな実感がある。
新しい生活が始まった人もそうでない人も
慌ただしかったり
活力に満ちていたり
何かに追われていたり
色んな要因でスピードアップする生活を
時々振り返ってスピードダウンすることを心がけるといいんじゃないかなと思う。
心身ともに余裕たっぷりで
時間もたっぷりゆっくり使えて
何にも追われていることのない
時間を味わう
まるで森の奥にある湖畔でティータイムをする貴婦人のように(伝わり辛い?)…
そんな時間。
僕も意図的にそんな時間を作ってみようと思う。
おわり。
