星屑時計のささやき|【狸の掌編】
祖父の書斎には、古びた柱時計があった。それはただの時計ではなく、文字盤には星々が散りばめられ、長針と短針は彗星の尾のような形をしていた。
「星屑時計」と祖父は呼び、時折、耳を澄ませてはその音を聴いていた。
「この時計はな、大切な思い出を吸い込んで、時を刻むんだ。だから、時々、昔の音が聞こえるのさ」
幼い私には、その意味がよく分からなかった。
祖父がMCIと診断されたのは、私が高校生になった頃だった。物忘れが多くなり、好きだった星の名前も、時折混同するようになった。
そんなある日、祖父が星屑時計の前で途方に暮れた顔をしていた。
「…この時計の音が、最近小さくなってきた気がするんだ。思い出が、薄れていってるのかなぁ」
その声は、いつもの冗談めかした響きではなく、心からの不安が滲んでいた。
その夜、私はそっと書斎に入り、星屑時計に耳を当てた。チクタク、チクタク…。確かに、以前よりも音が弱々しい気がする。
私は、祖父との大切な思い出を必死に思い浮かべた。一緒に天体観測に行った夜、初めて望遠鏡で土星の輪を見た時の感動、祖父が教えてくれた星座の物語――。
すると、不思議なことが起きた。時計の音が、ほんの少しだけ、力強くなったような気がしたのだ。時計の中から、微かに、あの日の祖父の笑い声や、私の歓声が聞こえてくるような…。
「思い出を、時計に分けてあげたのかい?」
いつの間にか背後に立っていた祖父が、優しく尋ねた。私は頷く。
「そうか。ありがとう。…でもな、無理はするなよ。お前の思い出まで、消えてしまったら大変だ」
祖父はそう言って、私の頭を撫でた。その手は少し震えていたが温かかった。
それから私は、時々こっそりと書斎を訪れ、祖父との思い出を星屑時計に「聞かせる」ようになった。
不思議なことに、そうすると、祖父の記憶も少しだけ鮮明になるような気がした。以前は思い出せなかった星の名前を口にしたり、昔話の続きを話し始めたりすることが増えたのだ。
星屑時計は、今日も静かに時を刻んでいる。祖父の記憶は、ゆっくりと薄れていっているのかもしれない。けれど、時計に耳を澄ませば、そこには確かに、祖父と私の「消したくない大切な思い出」が、キラキラと輝きながら息づいている。
たとえ記憶そのものが揺らいでも、心の奥底で繋がり続けることができる、温かくて確かな絆の音。
もしかしたら、私たちの心もこの星屑時計と同じで、大切な思い出を誰かと分かち合うことで、その輝きを保ち続けられるのかもしれない。
その小さな「分かち合い」が、少しずつ薄れていく記憶を、そっと支える力になるのかも。
