大学教授の余白・余裕・温情、懐かしの昭和
試験前夜の焦り
1978年=昭和53年のことです。
理系大学生だった私は、難解な科目の試験を目前にしていました。
友人たちに尋ねましたが、この教授の過去問は見つかりません。
あきらめて、2日前にようやく勉強を始めたものの、すぐに悟りました。
これは2日で覚えられる内容ではないと。
翌年に再履修も頭をよぎりましたが、
友人と相談の結果、「ヤマをかけよう」という結論に。 おぼろげな授業の記憶を頼りに、ヤマをかけました。
大学受験以来、久しぶりに集中して勉強した2日間でした。
試験当日の絶望
そして、試験当日。
始まって3分で、ギブアップ。
ヤマが外れました。
翌年、再履修かと、覚悟しました。
途中退席する猛者ぶりも発揮できず、
ただ時間だけが過ぎていく。
そのとき、ふと思いました
―「今できることをやろう」
回答用紙にヤマを掛けたこと、
自分が勉強した範囲と努力を訴える“作文”を書きました。
まさしく、ヤケクソで、ダメ元の戦い方でしたが、熱を込めた挑戦です。
教授の信用と理解
結果は、まさかの「単位取得」。
おそらく教授は、試験問題の箇所は理解できていなくても、他の部分を真剣に学んだことを信用し、理解し、評価してくれたのでしょう。
昭和の大学には、まだ「人を見てくれる」余裕がありました。
点数ではなく、努力の跡を見てくれる
―そんな温情が確かに存在していました。
平成、令和の世では、おそらく、このようなことは大学としても認めなかったと思います。
平成の厳格さ
時代が変わり、新卒採用を行っていた15年前。
3月になり、
内定者から「単位を落とし、卒業できない」と連絡がきたことがあります。
大学のキャリアセンターの職員が謝罪に来られ、こう言いました。
「昔なら就職が決まっていれば、1教科くらいなら温情をかけたこともあります。今は卒業生のレベルを落とさない方針で厳しくしています。」
その言葉に、時代の変化を感じました。
昭和の余白、余裕、温情
昭和時代の大学には、点数や効率では測れない“余白”がありました。
人の努力を見抜く“余裕”がありました。
そして、失敗しても見捨てない“温情”がありました。
その時代の空気を懐かしく思うのは、私だけでしょうか。

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