ソトキバさんは呼ばれるまで動かない|話しかけづらいコンビニの救世主の話
Project MOON No.24
少し店が静かになる。
その静けさは、
忙しいコンビニほど、
何かが起きる前触れだった。
そして、
誰かが言う。
「……ソトキバさん、どこ?」
不思議なことに、
誰かが困る頃には、
ソトキバさんは
もう近くまで来ている。
どこか
嬉しそうな顔をしながら。
◇
20時。
コンビニの店内には、
冷蔵ケースの低いモーター音が
絶え間なく流れている。
コーヒーマシンが豆を挽く音。
フライヤーの油が小さく弾ける音。
レジからは、
「ピッ、ピッ」とバーコードを読む電子音。
外では大型トラックが
エンジンをかけたまま停車し、
ガラス越しに
白いヘッドライトが
駐車場を照らしていた。
夜勤は三人。
店長はいない。
新人スタッフが、
POSレジの前で固まっていた。
画面は真っ白だった。
「え……。」
何を押しても動かない。
レジ待ちの列が
少しずつ伸びていく。
隣のスタッフも、
説明書を開きながら
首をかしげていた。
店内の空気が、
少しずつ焦り始める。
その時だった。
雑誌棚で
新刊を並べていたソトキバさんが、
ゆっくり顔を上げた。
少し離れた場所から様子を見る。
口元が、
ほんの少しだけ緩む。
歩き始める。
でも、
声は掛けない。
二メートル。
一・五メートル。
レジ横のガムを並べ直す。
一メートル。
今度は電池売場の商品を整える。
まだ待っている。
新人が振り返った。
「……ソトキバさん。」
その瞬間、
歩く速度が速くなった。
「見せて。」
それだけだった。
長い指でキーボードを数回叩く。
設定画面を開く。
再起動。
三十秒。
真っ白だった画面に、
いつものレジ画面が戻ってきた。
「うわっ、直った!
ありがとうございます!」
新人が深く頭を下げる。
そして、
速やかにレジの混雑は解消した。
ソトキバさんは、
少しだけ口元を緩めた。
蛍光灯の光が、
黒縁眼鏡に反射する。
「どういたしまして。
マニュアル読めば載ってることだから。」
そして。
「このPOSさ、
最近ほんと調子悪いんだよ。」
「本部も更新するなら、
ちゃんと検証してほしいよね。」
「メーカーも
昔よりレベル落ちたんじゃない?」
口を開いた瞬間、
皮肉と愚痴が止まらなくなる。
新人は苦笑いしながら、
もう一度頭を下げた。
「ありがとうございました。」
そう言って、
そそくさとレジへ戻っていった。
◇
ソトキバさんは三十歳だった。
身長は百六十五センチほど。
痩せ型。
眉にかかる無造作な前髪。
黒縁眼鏡。
日に焼けた肌。
制服は誰よりもきれいだった。
シャツにはしわ一つなく、
スラックスの折り目も
真っすぐ伸びている。
口を閉じていると、
少し照れ屋で、
優しそうな青年に見える。
実際、
困っている人を見ると、
放っておけない人だった。
でも――。
口を開くと違う。
社会への皮肉。
本部への愚痴。
コンビニ業界へのぼやき。
メーカーへの批判。
お客様への文句。
一度話し始めると、
なかなか終わらない。
だから誰も、
雑談をしようと思って
近づくことはなかった。
それでも。
誰かが困ると話は別だった。
店のみんなの頭に、
真っ先に浮かぶのは
ソトキバさんの名前だった。
◇
店で一番頼られていたのは、
店で一番話しかけづらい人だった。
コピー機が止まる。
「ソトキバさんいる?」
コーヒーマシンがエラーになる。
「誰かソトキバさん見てない?」
公共料金の収納エラー。
宅配便端末。
フライヤー。
冷蔵ケース。
何か起きるたびに、
店のあちこちで
同じ名前が呼ばれていた。
でも。
ソトキバさんは、
自分から話しかけることはない。
少し離れた場所から、
静かに近づいてくる。
飲料ケースの前。
雑誌棚の横。
バックヤードの入口。
気づけば、
いつもすぐ近くにいる。
それでも、
自分からは声を掛けない。
新人が気づいて言う。
「ソトキバさん……。」
まるでその一言を待っていたように、
「はいはい。」
少し嬉しそうに、
早足で近づいてくる。
工具は使わない。
設定画面を開く。
ボタンを二、三回押す。
再起動する。
それだけで直ってしまう。
「すごいですね。」
そう言われると、
「いやいや、
誰でもできますよ。」
と、
少し照れたように笑う。
でも、
次の瞬間には、
「このメーカーさ、
昔からこういう不具合が多いんだよ。」
いつものぼやきが、
また始まっていた。
◇
機械より先に、
人の"困った"に気付く人なのだ。
発注も。
売場変更も。
新人教育も。
レジ応援も。
誰かが困ったその時には
もう近くにいる。
そして
何も言わず
何事もなかったように手伝う。
問題が解決すると
また少し離れた場所へ戻っていく。
その姿は、
店の異変を静かに感知する、
高性能センサーだった。
◇
シフト交代まで、
あと十五分だった。
今度はコーヒーマシンが止まる。
新人が店内を見回した。
「ソトキバさん?」
いない。
バックヤード。
事務所。
冷凍庫。
どこにもいなかった。
ようやく見つけたのは、
店の裏口だった。
休憩中らしい。
缶コーヒーを片手に、
夜空をぼんやり眺めている。
「ソトキバさん。」
声を掛ける。
ゆっくり振り向く。
少し笑う。
「なんかあった?」
立ち上がる。
三十秒後。
コーヒーマシンは、
何事もなかったように
動き始めていた。
「ありがとうございます!」
新人がほっとした顔で笑う。
ソトキバさんも、
少しだけ口角を上げた。
「だから俺は、
昔からこのメーカー、
信用してないんだって……。」
また始まった。
新人は苦笑いする。
それでも、
その場を離れようとはしない。
店内には、
淹れたての
コーヒーの香りが広がり、
湯気が静かに揺れていた。
ソトキバさんは、
ぼやきながら売場の奥へ歩いていく。
きっとまた、
次に誰かが困る場所へ
向かうのかもしれない。
ただ。
「大丈夫?」
その一言だけは、
自分から口にすることができなかった。
助けることはできても、
心配していることを伝えるのは、
少しだけ照れくさかったのだ。
了
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