百人一首と聖書と日記 27/100
2025年9月30日(火)
この日記を、noteに書き始めてから、一ヶ月が経った。
最初は、ただ心に浮かぶことを書き留めておくだけの、私だけの場所のはずだった。でも、いただく「スキ」の通知が、暗い水面に落ちる光みたいに、私の心をそっと照らしてくれる。一日一首、百人一首と向き合う。たったそれだけのことなのに、世界が少しだけ、違って見えてきた気がする。
そんな今日の夕方、ふと、あるnoteが目に留まった。畑の土の匂いが伝わってくるような、温かい文章。もしかして、と思って読み進めたら、やっぱり、農業女子の先輩のnoteだった。でも、今日のタイトルは「(いったん)最終回」。転職して農家になった彼女が、一つの区切りとしてシリーズを終えるのだという。でも、きっと、また新しい物語を紡ぎ始めてくれる。そんな予感がした。
今日のスムージー:梨+しょうが。季節の変わり目の、少しだけ切ない味。
<百人一首>
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)
→ 「これがあの、旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、ここで別れてはまた出会うという、有名な逢坂の関なのだなあ」。出会いと別れの交差点を詠んだ歌。偶然見つけた先輩のnoteが、その日のうちに「別れ」を告げた。でも、彼女は新しい道へと「旅立って」いく。そして私も、このnoteを通して、新しい自分に「出会って」いるのかもしれない。
<聖書>
「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテへの手紙第二 4:7 新改訳2017)
→ この言葉、聖書の中でも特に胸が熱くなる一節だ。パウロという人が、自分の人生のゴールを目前にして、愛する弟子テモテに書き送った、遺言みたいな言葉なんだって。「僕はもう、全部走りきったよ。だから君も、最後まで走り抜くんだ」っていう、厳しくて、でも、この上なく優しいエールみたいに聞こえる。
先輩のnoteの最終回を読んで、この言葉が思い浮かんだ。彼女も、noteという場所で一つの「道のりを走り終えて」、読んでいた私たちに、何か温かいバトンを渡してくれた気がする。
私も、一日一首、この日記を書き続けると決めた。このまま日曜の「佳き日に」を挟みながら続けていくと、ちょうどクリスマスくらいに、100首を詠み終える計算になる。ゴールはまだ遠いけど、いつか最終回を迎える日に、私もこの言葉のように、「走り終えたぜ サンキュー!」と、晴れやかな気持ちで、誰かに、あるいは未来の自分に、何かを伝えられたらいいな。

