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完璧を求めて何もしないより、不完全でも始める——会社員のまま

月曜日の朝、デスクに座って資料を開く。メールに返信し、会議に出て、タスクをこなす。やるべきことをやり、評価もそれなりに得る。
ふと手を止めた瞬間に浮かぶ問いがある。「この仕事は、誰の役に立っている?」業務は進む。けれど、社会に貢献している実感が持てない。その違和感は残り続ける。

## 断念した道、消えなかった思い

少し前、会社員をしながら地方議員になるのはどうだろう、と考えたことがある。
家族と相談してみたが、価値観の違いもあり、会社に相談する前に断念した。
それでも「社会とつながりたい」「自分の力を社会に還元できないか」という思いは消えない。むしろ、議員にならなくても、会社員という立場のままで何かできるんじゃないか。そう考えるようになる。
安定した収入、社会的信用。会社員であることのメリットを手放さずに、会社の外でも社会に接続する道はないだろうか。

## 越境と接続

3カ月前からゴミ拾い活動に参加し始めた。

地域の対話の場に顔を出すようになった。そんな中で出会ったのが、多方面に活動を展開する元スポーツ選手だった。彼のお話を伺う中で、ある言葉が自分の中に浮かび上がってきた。

「越境と接続」

越境とは、役割の外側に一歩踏み出すこと。公務員が市民活動に関わる。会社員が地域の課題に挑む。市民が政策を語る。議員が現場の声に耳を傾ける。
肩書きを脱ぎ捨てることではない。肩書きを持ったまま、別の文脈に触れること。

でも、越境だけでは孤立することもある。だからこそ、越境には接続が必要なのだ。誰かとつながり、問いを共有し、協働することで、越境は社会に意味を持ち始める。

## 今やっていること

まだ「自ら動いている」というより「参加させてもらっている」段階。
彼らと一緒にいると、何か熱量が違う。社内にはないエネルギーを持っている。具体的に何かを教わったわけじゃない。ノウハウを伝授されたわけでもない。

ただ、挑戦している人の近くにいると、自分も動きたくなる。

その空気感、その熱、その「とりあえずやってみよう」という姿勢。それに触れることで、「会社員の自分にも何かできるかもしれない」と思えてくる。

地域対話の場にも顔を出すようになった。工業団地の交流会など、会社員の立場を活かした場づくりも考え始めている。まだアイデアの段階だが、「会社員だからこそできること」を探しているところだ。

「会社員のまま社会とつながる」——正直に言えば、まだ模索の途中である。

## 中途半端でも、それでいい

「『会社員のままで社会とつながる』なんて中途半端じゃないか」という声もあると思う。

本気で社会を変えたいなら、リスクを取って飛び込むべきだ。会社員という安全圏にいながら「社会とつながりたい」なんて、所詮は週末の趣味の延長だろう、と。

その通り、趣味である。それ以上ではない。ぐうの音も出ない。

僕は何のリスクも取っていない。会社の給料をもらいながら、安定した生活を維持したまま、ちょっと何かにに参加しただけ。

それでも僕はこう思うのだ。
ほとんどの人は、何かしらの組織に属しながら生きている。家族がいて、生活があって、簡単には飛び出せない。僕もその一人である。

だとしたら、「内側にいたまま、少しだけ外とつながる」という選択肢があってもいいんじゃないか。

完璧じゃなくていい。中途半端でもいい。かっこ悪くてもいい。ゼロよりは、確実にマシだから。

## これから

今後、「越境と接続」をテーマに、ゆるく話せる場をつくっていきたいと考えている。今住んでいる宇都宮市で。

堅苦しい「対話の場」じゃなくて、もっとラフに。ご飯を食べながら、コーヒーを飲みながら、「最近どう?」って話すような感じで。

役割ではなく、問いでつながる関係性。  
肩書きではなく、物語で共感される存在。
そんな関係性。

もしあなたが今、私と同じように「自分の違和感」があるならぜひコメントを。

あなたの「越境」の物語も、聞かせてもらえたら嬉しいです。

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