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新天地

16年間の韓国での生活を卒業し、月曜夜に引っ越してきた。引っ越してきたのは、

正式名称「クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」(訳;天使の都 雄大な都城 帝釈天の不壊の宝玉 帝釈天の戦争なき平和な都 偉大にして最高の土地 九種の宝玉の如き心楽しき都 数々の大王宮に富み 神が権化して住みたもう 帝釈天が建築神ヴィシュカルマをして造り終えられし都)、通称「クルンテープ」(訳;天使の都)。

海外の人が呼ぶところの「バンコク」だ。

数年前、海外生活を最初に提案したのは夫。私も韓国を出たかったので大賛成だった。娘も乗り気で、一昨年前の夏には、ホーチミンのインターナショナルスクールのスクールツアーに行った。昨年の夏には、ここバンコクのインターナショナルスクールを数件、訪問した。かなり長期に亘って温めていた計画だった。

最終的には娘に判断を委ねた。娘のソウルで通っていたインターナショナルスクールは、ハイスクール進学時(9年生になるタイミング)でアメリカのボーディングスクールに転校する子も多く、娘の親友のうちの2人も、アメリカに引っ越してしまっていたし、それでも毎日オンラインで繋がっているから寂しいなんて感じはないようだった。彼女にとっての世界の感じ方は、私のそれと比べて本当に小さくて、どこにいたって簡単にアクセスできちゃうみたいだ。だから、バンコクで見た学校の1つに転校先を決めるのも、「友達との別れの決断」ではなく「友達が増える決断」というポジティブなものだったみたいだ。

韓国を出ようかというとき、東京ももちろん最初に候補に挙がっていたのだけれど、私が反対した。ビザの心配もないし、言葉や生活の心配もない。私の大好きな街だ。だけど選びたくなかった。私が大好きな街の思い出を、夫との思い出で上書きしたくなかった。そして私の「韓国卒業」の計画と、2年後の娘の高校卒業後に照準を合わせた「日韓夫婦解散」の計画をひとつずつ進めたいと思うとき、夫に日本の配偶者ビザを取得させてしまうのは、計画遂行を妨げる可能性があった。一旦、第三国で夫を振り切って、娘の海外の大学への進学のタイミングで私は日本の実家に帰る、というのがこの後の私の計画だ。

海外への引っ越し準備は、煩雑なことが多い。ビザが取れるまで、到着の空港でパスポートにハンコが押される瞬間まで緊張だった。犬の検疫だって、タイ政府の管轄局と何ターンかやり取りがあったし、到着の空港でルーちゃんを無事に引き取るまでとっても心配した。

家具付きの物件への入居だって、最初は枕も何もないんだから一日目のミッションは「寝れること」。そんな風に新天地でのスタートを切った。まず、最初の数週間は娘との二人暮らしだ。夫はその後、韓国と行ったり来たりの生活になる。

到着2日目。今朝、鏡を見た。あったはずの眉間の皺が見当たらない。なんだか抱えていた重い大きなものがひとつ手放せた気がする。