【韓国生活追想(115)】年甲斐
昨日はモイムに行ってきた。モイムとは韓国語で「集まり」の意味だ。
このモイムとは長い付き合いで、韓国生活の精神的支柱のひとつだったといっても過言じゃないほどみんな大好きなお友達だ。
子どもたちが赤ちゃんの頃から、ハロウィン、クリスマスのイベントをやったり、ソウル大公園でBBQ+運動会をやったり、コロナのときには日本には気軽に帰れないから、お友だちのおうちの屋上で縁日をやったり。どれも本格的で、「大人が本気で遊ぶとこんなもんです」というのを楽しんできたし、もちろん子どもたちにとっても、楽しい子供時代の一部になってくれていると信じている。
このモイムのお友達とは、それぞれの、その時々の悩みをいっぱい相談してきた。現在進行形で私の韓国脱出計画&夫婦解散計画も見守ってくれている。
そして或る程度子どもたちが大きくなってきて、やっぱり話題になるのは、「子どもたちが巣立ったあと夫婦ふたりの生活を描けるか」ということだ。
夫婦ふたりの時間がやって来るのを楽しみにしている人もいる。旦那さまのことが大好きみたいだ。本当に素敵だと思う。私もそうなれたらどんなによかっただろう。そしてやっぱり日本に帰りたいという人もいる。子供が巣立ってなお韓国に居るつもりはないから、と。離婚は今のところ、別段具体的には描いていないようだった。
私は「もう一度恋をする」とみんなに言っている。恥ずかしさで半分冗談めかしながら。正直「年甲斐もなく」と思う。というか、そう思っている雰囲気を出したほうが賢い風情になるんじゃないかと思う。わきまえた風情。
だけどここまで失敗をし続けて、醜態を晒しながら生きてきたのだから、この期に及んで少し賢い風情を出すことに何の意味があるのか。そしてそんなポーズなんて誰も見ちゃいない。やりたいことをやりたいようにやればいいだけだ、と思っている。
人生を振り返りながら「若いときは楽しかった」なんて言いたくない。「人生後半戦が最高だった」と言うべく、くだらないわきまえた風情は捨ててやろうと思う。
来月の出発直前に最後の「モイム」を控えて色々話した。そのせいも手伝って、やっぱり私は大人の思春期を拗らせている。

やっぱり最高に楽しかった。
