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348.恩師がいない私・・・

私の恩師、、、

ここ数日、そんな人いたかな、、、
とずっと想いを巡らせていた。

私の中で思い出す先生の顔。
何人かいるけれど、
今現在、「この人が恩師でした!」
と思える先生がいないと気が付く。

多分、
ここ数年、私の心の大改革があったから。
私の中で、恩師と思っていた人が、
ことごとく、恩師ではなくなってきている。

私は、常に「他人軸」で生きてきた。
だから、「先生」という立場の人に出会うと
ゼロか百で、接してたことが多かった。

例えば、
自分と先生の意見や考えが違うと
「先生と意見が合わない私の意見はダメなもの。
 先生の方に意見を合わせないとね」
となる。

だから、先生の意見を聞けば聞くほど、
自分の考えを押さえ込むようになり、
先生の意見と違う自分の意見は、
ないことにしていく。

そうすると、
段々、先生の意見に支配されたくなり、
一見すると強く見える
自己主張が強く、支配欲の強いお人柄の先生を
求めるようになってくる。

自分がない私は、
自分の軸になる考えや正しさを教えてくれる人を
探しては習うようになって、、、

自分が習いたかったのに、
極めるほどに、
自分がなくなっていくので、
極めた先に重さや辛さが増していった。

ここ数年、自分と向き合って、
自分をずっと押し殺してきたことに気がついて、
自分を発掘し始めると、
恩師だと思っていた人が
私にとって恩師ではなくなってきた。

自分を見つけた今、
教えてくださった技術を
私なりに使えるように
見守って、指導してくださる方なら、
恩師だと思えるのだろう・・・

「守破離」という言葉がある。

「守」は師の教えを守り、基本の型や技を習熟する段階を指します。 「」は身につけた基礎を磨き、より洗練させて基本の型を破り応用することです。 「」は師の教えから離れ、新しい独自の境地を切り拓くことを言います。 これらの教えは時代が変わっても一つの物事を習得し、新境地を開拓する過程の中で重要な教訓を示しています。

googleより引用

私がこれまで、出会ってきた先生は、
「守」だけだった。
次の段階の「破」に行こうとすると、
やる気を削ぐ言葉を言ったり、
縛りつけたりする先生が多かった気がする。

結果、真似だけは上手になってしまって、
その先に進めないのだ。

これからは、
私自身も「破」と「離」まで意識して、
物事を学び、進んでいきたいと思っている。

そこまで、自分が進めたら、
きっと、これまで教わったことが
自分のものになり、
教わった先生にも
また、
違った気持ちが芽生えるのかもしれない。


やっぱり、ちょっとあとがきを書く人


かぜの帽子さんの言葉の庭
メンバーシップの今月のお題、
「師匠、先生、先輩」について、
書いてみました。

「先生」という言葉からの発想が、
「お世話になった恩師」という発想になり、
ここ数日、恩師について、
ぐるぐる頭を駆け巡ってました。

なので、恩師いないのに、
恩師について、書いてしまいました(^^;;

普通に先生について、
書いてもよかったのに(笑)
なんか重くなってしまいました。

これまで、
出会ってきた先生たちから学んだ技術が、
今の私の生活にたくさん役に立っているので、
その技術を使うたびに、感謝は感じています。

でも、
恩師というと,なかなかいないものですよね。

皆さんは、いかがですか?

爽やかなエピソードではなかったのですが、
最後までお読みいただき、
ありがとうございました😊


最後に・・・

この度の見出し画像は、
さくらもち市長さんのイラストを
使用させていただきました。
可愛いイラスト、
ありがとうございます🎶


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