農政改革のための神話の復活
(『道標』2021年春号 掲載改題 追記あり )
山の神・イワナガヒメとの復縁をめぐって
中心から周縁へ
「自粛要請」という。意味が相反するはずの二つの単語が一体となった新しい造語が、しかも一つの意味をなしうる言葉として社会的な強制力をもつかのように堂々と報道され続ける昨今に、ジョージ・オーウェルが『1984』で展開した「二重思考」(二つの矛盾する考えを同時に受け入れさせることで市民の思考力を奪い、思考そのものを管理する超管理社会の手法)の実例を直観せずにはいられない暗雲たる状況もさることながら、この自粛と要請のはざまでサービス業を中心に大小さまざまな文化事業や経済活動が宙に浮いたままの異常事態下にあって、いま「農政改革」を志向する私たちが最も注視したいのは、これまで堅牢だった“巨大な要塞”が、崩壊し始めているという現実である。
この堅牢だった“巨大な要塞”とは何か? それはかたちのある実体というよりも、台風のごとく中心に向かって渦巻く強靭なエネルギー体であり、現代社会に生み出された諸々の「欲望」をエネルギーとして巻き込みながら “東京一極集中” なる現象を生み出していた当のものである。そしてその中心に求心力として君臨していたのが「経済成長」という名の神話であった。これが神話であるのは「常に成長し続けなければならない」という非現実的な命題を孕んでいるためである。もっとも、この神話は実際の台風の目がそうであるように、実質的には空洞化していたのであるが、それが今回の長期的パンデミック騒動によって求心的役割を失い、ついに渦巻く力が絶たれたのである。もっとも、慣性の法則によって茫然自失となったエネルギーはいまだ空転を続けてはいるが、雲散霧消するのはもはや時間の問題となった。
そこで新たな問題が生じる。今はまだ茫然自失となって空転を続けているエネルギーのゆくえ━━すなわち経済活動(生産と消費)を通じて首都圏を中心に文化と社会の形成を担ってきた、現実に生きる人々の今後の動向である。コロナ禍によって人口密度の高い暮らしのリスクが明らかになったいま、またこれを補うように教育やビジネス、また娯楽においてもITによるリモート化が現実化し始めたいま、まもなく首都圏から離脱する人々が多発することは間違いない。彼らは新たな農政改革の潜在的な担い手でもあるのだから、私たちはその彼らに対し、新たな神話━━地方での農的暮らしに惹きつけるに足る魅力的な物語を、語って聞かせるべきなのだろうか。
神話という呪縛
もっとも、神話はときに呪いの別名となる。
「経済成長神話」は今日まで首都圏への一極集中を私たちの社会に継続的にもたらしてきた。それゆえこの神話が、農業を基盤に食の安定的な生産と供給を可能にしてきた地域社会に特有の文化と暮らしを、長きにわたって破壊してきたのも事実である。破壊されてきた側から見ればこの神話は呪いにほかならなかっただろうし、もっと人類史的な目で見ても、この近代特有の神話は、人類全体、ひいては地球にとっても、「開発」という名の破壊を繰り返してきた大きな呪縛であったといえる。
実際、経済学者のカール・ポランニーは主著『大転換』でブレイクの詩を引用してこの神話を「悪魔の挽(ひき)臼(うす)」と呼んだほどである。一度そこに投げ込まれたら最後、決して後戻りできないほど粉砕され、すべてが商取引のピースと化してしまう恐るべき経済システム━━
2012年のロンドン・オリンピックでは、そのオープニングの祭典で近代社会の原点となった英国の“産業革命”が、くだんのブレイクの詩『イスラエル』の児童による詠唱とともにパノラマ的に描かれた。そこでは美しい牧歌的な農村が一変し、山高帽・燕尾服のジェントルマン(金融グローバリスト)たちの出現によって悪魔的な工場地帯に大転換するという、ポランニーの『大転換』を直観させる演出(映画監督ダニー・ボイルによる)を見せ、祝賀らしからぬメッセージに一部の事情通を驚嘆させたことは記憶に新しい(この年の1月に行われたグローバリストたちによるダボス会議のテーマが、ポランニーの「大転換」だったことも特記しておくべきだろう)。
果たして今回のパンデミックが、現代のジェントルマンの操る「悪魔の挽臼」を逆に打ち砕くことになるのか・・・
神話がそうであるように、物事にはすべて二面性がある。私たちは今回のパンデミックがもたらしつつある社会構造の変革について、「行き過ぎた人類に自然界がもたらした千載一隅の恩寵である」との視点に立ち、行き詰っていた人間社会はもちろん、自然界にも報いるような希望のもてる将来図を「農政改革」という観点で描きたいと思う。それはまた、コロナ禍の中ですでに犠牲になってしまった方々への弔いにもなると信じたい。
大山祇(おおやまつみ)の神(かみ)の怒り
ところで、「中心への一極集中と周縁の疲弊」という今日の構造を見出せる神話が、日本最古とされる『古事記』にあるのをご存じだろうか?━━それこそ、 “日本の農業政策の原点”ともいえる「天孫降臨」のくだりに描かれているのは偶然とは思えない。
以下は筆者による概要(参考:現代語訳古事記 河出文庫)である
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高天ヶ原(天界)に神々と住まうアマテラスは、孫のニニギに命じて言った。
「これより中つ国(日本列島)に降り立ち、稲穂をもって行幸し、豊葦原瑞穂の国(トヨアシハラミズホノクニー国土の隅々まで稲作に恵まれた豊かな国)として治めなさい。」
ニニギはサルタヒコの案内で中つ国に降り立ち、稲穂をもって行幸を始めると、さっそく、世にも美しい乙女に出会った。
「あなたは誰の姫か?」とニニギが尋ねると、乙女はうやうやしく応えて言う
オオヤマツミノカミの娘でコノハナサクヤヒメと申します。
「あなたに兄弟はあるか?」
「姉にイワナガヒメがおります」
「私はあなたを妻にしたいと思うが、あなたの気持ちはいかがか?」
「私には答えられません。父の口からお答えしましょう」
ニニギはさっそく使いをやってオオヤマツミノカミに姫を妻にしたいと伝えた。
オオヤマツミノカミはたいそう歓び、結納の品を積み上げ、姉のイワナガヒメも妻にと一緒に差し出した。
ところがこの姉の方はひどく醜い顔をしていたので、ニニギは一目見るなり怖気づいて、さっさと父のもとに返してしまった。そしてコノハナサクヤヒメだけをとどめて、一夜を共にした。
オオヤマツミノカミはイワナガヒメだけが返されたことをたいそう恥じて、ニニギに言い送った。
「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、イワナガヒメはその名の示す通り、天津神の御子の代々のお命が、雨が降り風が吹こうとも、びくともしない岩のように、永遠に揺るがずにありますようにと、またコノハナサクヤヒメの方は、その名が示しますように、桜の花の咲き匂うように栄えますようにと、このように誓いを立てて差し上げたものでございます。にもかかわらず、イワナガヒメをお返しになり、コノハナサクヤヒメのみをおとどめになったのですから、たとえ天津神の御子のお命ともいえども、桜の花の散るように、脆くはかないものとなるでしょう」
こういうわけで、代々の天皇の命は長くないのである。
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以上が古事記から天孫降臨のくだりの概要であるが、これだけ読んでも「中心への一極集中と地方の疲弊」という神話の原点であるという意味は伝わらないだろう。
この意味の背景としては、オオヤマツミノカミが「日本の国土に連なる山々を統括している神」として祭られているということ。またコノハナサクヤヒメはその美しさにおいて「日本の中心にそびえる霊峰富士を象徴する神」として祭られていること、そしてイワナガヒメはこれ以外に古事記での記述はないが、風土記や民話などで「全国各地の山に住まう山の神」として語り継がれていることがポイントになる。さらにこの民間伝承においても、山の神は醜い女の神として描かれており、ある地方では若い男を襲うヤマンバとして、またある地方では、水田に映った自分の顔に驚いて隠れてしまう哀れな女神として、いまも語り継がれているのである。地方の山々のめぐみや棚田をつかさどる豊穣の神としてはあまりにも酷い処遇ではないだろうか。
ニニギが稲穂をもって治めるトヨアシハラミズホノクニとは、「神意によって稲が豊かに実り、栄える国」である。にもかかわらず、天界からの最初の統治者となるニニギが日本国土の山々を統括する大山神の思いを裏切って、中央の美しい富士山だけを愛で、周辺の山々を治める神を醜いとして顧みなかったために、統治のための寿命を縮められるという「呪い」がいきなりかけられてしまったのである。水の豊かな稲作国の創成譚としてはまことに不吉な出発点を抱えた神話なのである。
イワナガヒメとの復縁
実際、今日の地方にあるありきたりの山々に入ってみて共通して驚かされるのは、孟宗竹による浸食と、朽ちて折れ裂かれた竹の鋭利な直線があちこちから突き出したゾッとするような荒廃具合であり、また雑木が密集した陰には投げ捨てられたゴミの山が見え隠れし、大型家電製品の残骸を見かけることも珍しくない、というあり様である。また高度成長期の負の遺産である放置植林が、杉の木の浅い根のために近年の集中豪雨によって倒木流となり、水害を甚大なものに増長させていることももっと知られてよい現実であろう。山林のモノカルチャーともいえる杉一辺倒の植林は山を痩せさせ、小動物たちが必要とする木の実などを落とさないため、餌を求めたイノシシやサル、タヌキたちが里山に降りて田畑を荒らす害獣と化し、農村に深刻な被害をもたらし続けている。とくにイノシシは年々賢さを増し、食習慣を進化させながら、もはや罠や猟銃による駆除ではとても追いつかない勢いで餌場を広げている様子は、まさに映画『もののけ姫』に登場する祟り神そのものである。
中山間地の景観を美しく保ってきた棚田にも荒廃の影は着実に進行している。農村の高齢化に伴い、全体の景観を均一に維持するのが難しくなってきているのだ。中山間地の棚田は一枚一枚の面積が小さいので、広い面として集積化することが出来ず、そもそも大規模化の波に乗ることができない、という意味では、グローバル化から取り残された最後の聖域ともいえる農地である。しかし雑草などの整備がされないままの耕作放棄地が増えることで、景観の劣化はもとより小動物のねぐらと化し、放棄年数が経つほど稲作に適した土の再生が難しくなることも問題となる。もっとも重大なのは、治水能力の減退であろう。稲作と梅雨の時期が重なることの棚田でのメリットは、山に染み込む水がそのまま河川を通過して一気に流れるのではなく、水路を経由して棚田で保水することで治水が可能となる点にある。大雨の際は棚田が洪水調節機能を発揮し、また幾重にも連なる畔で支えながら段々と貯水することで土壌の流出も防ぐ。耕作放棄地が増えるとこのような棚田の治水機能が損なわれ、山間地での土砂崩れや洪水などの自然災害を食い止めることが難しくなるだろう。近年の集中豪雨から生じる中山間地での災害の増加は、おそらく棚田の荒廃化と無縁ではない。
このように、日本の農業生産において本来なら最も豊かな聖域であるはずの中山間地が、とても残念な状態に陥っているのが現状である。日本の農村の疲弊は今に始まった話ではないが、とくに中山間地の棚田においての稲作では耕作面積と収穫高の比率から生活費を賄えるような収益を見込むのはそもそも無理であって、その労力を考えるのなら、そしてそこに経済性という勘定だけを入れるのなら、耕作放棄もやむを得ないという話になるのは必然だ。もはや棚田を守る農家の平均年齢は70歳に達しようとしている。
しかし、それでもまだ美しい農村もある。すでに耕作放棄地となった田んぼの整備をし、作付けはせずとも今もなおトラクターを掛け、急斜面の畔を草刈りで整え、目の覚めるような景観を維持することに努めている。これは純粋に自分の住む里山を汚すまいとする愛情の賜物だろう。このような地域ではイワナガヒメが微笑んでいるのが目に浮かぶ。
古事記や民話の伝承からイワナガヒメについて素直に感じるのは、イワナガヒメの深い悲しみである。もちろん、勝手な思い込みであるが、鬱蒼とした竹林に浸食された山々や、荒れた棚田を見るとイワナガヒメが泣いている、と感じてしまうのだった。里山がこんなにも荒れているのは、農政がうまくいっていないのは、山と田んぼの神であるイワナガヒメが傷ついているからに他ならない━━このような神話的・情緒的な観点からも農政改革という課題に向き合うことも必要だと思える自分がいる。
そこで僭越ながら私的な体験を語らせていただく。
何を隠そう、私が現在住んでいる農村につながる丘陵にはイワナガヒメを祭った神社が鎮座している。10年前にここに越してきてこの山の神神社を訪れた際に、その荒廃ぶりとは裏腹になぜか惹かれるものがあったのを今も覚えている。鎮守の森はすでに孟宗竹のみの荒廃林と化していた。以前、鎌倉の報国寺という竹林の美しい庭に惹かれて通ったことがあったのを思い出し、ここをそのように美しくしたい、とごく自然に思ったのだった。
最初のころはNPOの事業として数人で整備し始めたが、直径15cm以上の孟宗竹を何本も何本もノコギリで切り倒し、運び出すのはかなり骨の折れる作業で、また傍で作業をしていて竹を倒す方向をうっかり誤るとけが人を出す恐れもあり、いつしか独りで個人的なプロジェクトとして作業するようになっていた。しかし独りで整備するにはかなり広く、無理せず少しずつ、10年越しの取り組みとして今も続けている。
そんなあるとき、熊本は菊池の山奥に住む、ある思想家とイワナガヒメについて話す機会があった。彼は宮崎県のイワナガヒメを祭った本山である銀鏡(しろみ)神社で彼女を霊視したことがあると言った。
「彼女はね、本当はものすごく美しいんだよ。びっくりするくらいの美女だよ。透き通るような白い肌で線が細くてね。ホントだよ。醜いっていうのはね、彼女の力を封印するための権力者の謀略だよ。イワナガヒメはね、磐(いわ)というのはね、清流を生む水の神様だよ。だから美しいし、命を育む力もあって、豊穣の神様でもあるんだよ。だからね、今度お参りするときには、ちょっと意識して“あなたは本当は美しいんですね”って心の中で語りかけてごらん、そうしたらきっと肩をポンと叩いて合図をくれるよ。君ならサインがわかるよ」
数日後、地元の山の神神社の竹林整備の折り、言われたように語りかけてみた。確かに何かが起こりそうな気配を感じたが肩を叩かれるような感覚はなかった。
そのまま竹林の整備に取り掛かった。タケノコが出る前の3月上旬だったが、2時間も作業をすると汗だくになっていて、そろそろ終わろうかなと考えながら漠然と周囲を見渡すと、10メートルくらいの高さのところで4本の竹が絡み合っているのに気が付いた。しかも2本は上の方で朽ちて折れたままぶら下がっている状態だった。
見ているうちに、あの高いところのもつれを解きほぐせたらかなりスッキリするなぁ、と思えたが何処をどう切ったら落とせるのか、まるで知恵の輪状態で考えても判断がつかなかった。しかもすでに疲れていて先刻までは帰る気でいたのだった。ところが吸い寄せられるようにその竹の根元に近づいていくと、切るべきところがわかるような気がして実際にそこを切ってみる。
しなっていた竹が跳ね返ると、上の方でバリバリバリッと大きな音がして2本の竹が同時に滑り降りてきて私の両脇をかすめてすりぬけ、下で折重なっていた竹のうえも滑りぬけて、ずっと先のほうまで飛んでいって良いあんばいに収まった。すると景観同様に私の呼吸も整い、体も軽くなっているのを感じる。
あれ?まだまだできるぞ。そうして1時間、見渡して気になるところがあると近づいては切るべきところを切り、竹が勝手に落ちてきて私が運ばなくても自分で適当なところに滑って収まってくれるのだった。私はこの間とても楽しくて仕方なかった。独りでやっている気がしなかった。
そう、自分のイメージではイワナガヒメがニコニコ笑いながら一緒に作業してくれているという、ごく自然な感覚に浸っていた。最初の2時間よりも後の1時間の方が作業効率はよく、体はますます軽くなっていた。
姿は見えなかったが、そんなことは気にならないくらい一緒にいるという感じは確かなものだった。そして終わるべき時がきて、とくに未練もなくお社に挨拶して帰った。
この時以来、田んぼでの作業や畑仕事での意識の在り方が変わったように思う。
先づ、つらいという感覚がなくなって、独りで延々と作業していてもウキウキ楽しくてしようがない、という感じになってきた。田んぼのイモリやカエルやトンボやシマヘビでさえ挨拶してくるのが普通に感じられる。生き物たちが皆つながっているという感覚がとても素直に感じられる。そうそう、日本ミツバチとも心が通じるようになって、稲刈り中に何度か呼び出されて、巣箱を襲うスズメバチを退治させられたこともあった。あとで振り返ると“不思議”と思える体験が田んぼでは日常となった。
これがイワナガヒメからの賜物だったと、最近になって気がついた。
こうして、「イワナガヒメとの復縁」が日本の農政改革においてリアルな戦略として重要なテーマに上がったのであった。
*付記 2025年9月10日
宮崎県日向灘地震(2024年8月8日)は復縁成就のサイン?
2024年7月30日午後遅く、私は友人らとクルマで宮崎県を訪れた。宮崎市内に所用があったのだが、私の真の目的はかねてからの本願、イワナガヒメの本山とされる銀鏡(しろみ)神社を参拝することにあった。所用を終えて翌朝、せっかく宮崎市内にいるので午前中の内に青島神社にも参拝に行こうということになった(銀鏡神社のある西都市は宮崎市から北へ2時間以上かかる)。私たちは誰が祭られているのかも知らないまま、ここは重要な場であるという直観に従って駐車場から海辺の参道を延々と30分以上も歩くことになった。途中、古代人を模した銅像が三人立っていたので見ると、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ、そしてその子ヒコホホデミノミコトであると明記されている。なんとこの三神が青島神社の祭神であったのだ。私はこのとき、この意図せぬ行程が決して偶然ではないことを悟った。
すなわち、私たちは青島神社を参拝後に北西の山奥に鎮座する銀鏡神社を参拝することで、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ、そしてイワナガヒメを文字通り復縁させるお役目を背負っていたのである。
もちろん、こんなことは第三者からすれば妄想甚だしいうぬぼれとして一笑されても仕方のない個人的見解に過ぎないのだが、実体験ベースにここで展開した上述のような論考を農耕生活の指針として長年歩んできた身としては、これぞ日本再生のための「イワナガヒメとの復縁」の儀であるというミッションを与えられた思いで三神の復縁を祈願しつつ参拝に向かったのである。実際、銀鏡神社は思った以上に山奥にあり、離合の難しいワインディングロードを1時間以上ひた走り、知っていたら果たして来ようと思っただろうかと自問しつつ、一期一会の一念で辿り着けたような隠れ宮だった。
到着時刻は15時半を過ぎていた。実際の銀鏡神社は近年、地縁の有力者によってお社を新築された様子で、また伝統行事の神楽も復活を遂げて継承されていることが展示パネルから伺われ、イワナガヒメ再興の下地が整っていることが知れた。しかし実際の場は神社としてはすさんだ感じが否めず、水源らしきところもイノシシによって荒らされたままだった。私としては、およそ麗しいイワナガヒメを霊視できるような状況ではなかったので、境内を何度もめぐりながらイワナガヒメの哀しみが払われ、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの三神によって豊芦原瑞穂の国が再生するよう、ひたすら祈りを捧げていた。同行者のひとりにそろそろ・・・と言われ、気がつくとあっという間に1時間が過ぎていた。あわてて帰路につき、再び狭いワインディングロードを別な意味で祈るように下山すると、県境付近の道路工事で山道が封鎖されていて解除まで30分も待たされることになった。イワナガヒメにもう少し居なさいと言われてると思うとはやる気もなくなったが、家に着いたときは20時をかるく回っていた。
それから一週間が経った8月8日16時40分頃、私がたまたま乗っていたJR鹿児島本線がスピードを緩めてホームに入る直前で大きく揺れ出したのだった。乗客の携帯アラートが一斉に鳴り響き、緊急停車した車両の揺れは一向に収まらない。そこにいた皆が沈黙の中で互いの顔を見合わせながらパニックを抑えようという力学が働いていたのは、良くも悪くも日本人らしさの表れだと感じる余裕がなぜか私にはあった。やがて揺れは収まったものの、ホーム中ほどで止まったままの車両は動かず、扉も閉じたまま。沈黙の中、スマホを見ていた男性の声が割って入った。
「震源地は宮崎の日向灘だそうです!」
このときも私は一瞬で悟った。日向灘といえば青島から西都市にかけて広がる太平洋沿岸一帯がその場である。これはニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ、そしてイワナガヒメのラインがつながったことを知らせる三神からのサインに他ならない。
実際、この地震による大きな被害は報告されなかった。にもかかわらず、南海トラフ地震煽りネタとして人口の多くが恐怖感を抱くまで報道の隅々に繰り返しアンカーが埋め込まれていたのを、私は呆れながら傍観しつつ、豊蘆原瑞穂の国の再生の流れが始まったことを密かに祝っていた。
だったら昨年から今年にかけてのコメ不足はどうなんだ?おかしいじゃないか! そんな声も聞こえて当然である。しかしこれはあくまで人間の浅知恵がもたらしている政治的筋書きに起因する恣意的な局面に過ぎない。本流はもっと偉大だ。
信じるも信じないもあなた次第、などとは言わない。
私はイワナガヒメを信じている。
了。
