慢性期病院に転職して一年。「これでいいのか」に苛まれる時期。
大学病院から地域の小さな慢性期病院に転職してきて1年。1年経ってもまだ、全く違う別の世界の当たり前に驚かされる毎日。
いろんなことを感じ、考えさせられる中で、その一つが前回の記事。
今回はもっと、私自身の気持ち的に感じる葛藤みたいな部分を言語化してみようと思う。
・これが高齢化社会の現実か
患者の年齢層はもちろんほぼ60代以上。高齢者ばかり。
60代なんて若い者扱いで、80代以上がほとんど。
もちろんそうなれば、キーパーソン含め、関わる家族もみんな高齢者。
よくXでも見かけるけど、寝たきりで胃瘻や経鼻胃管に繋がれた栄養で生き延びる日々を送る患者さん。
肺炎とかUTIとか何かイベントが起きればその都度点滴や酸素は積極的にやる。
DNRと言いつつ、経管がダメになればCV入れるし、輸血もマイルドな昇圧剤も普通に使う。
家族にとってはどんな形でも生きていることに意味がある。それも分からなくはないけど、本人の意思はどこにあるのか。本当にこの形でも生きている方がいいのか。
家族も高齢者となれば十分な情報から適切な判断ができているとは言い難い。
もちろん医療者側も最終意思決定はさせつつ、ルーティンに乗せてるだけで本当の個別性なんて考えてない。
選挙でも話題になってたけど、高齢者の医療費上げてしまえ!って極論、単純に否定もできないよなぁとすら思える。難しいよなぁ。
・結構頑張って働いてこの給料?
大学病院の時は難しい/新しいことをやっている、忙しいなりにやりがいがある、みたいなギラギラした気持ちがあったし、実際にやっていることも高度だった。
そして給料明細見るたびに、またちょっとがんばろって思える額だった。
でも今は。給料明細見るたびにえ、ってなる。
結構頑張ってるよね。大学病院の時より、言い方は悪いけど地味でつまらない処置やケアが多い。地道に丁寧に頑張ったからと言って目に見える形で結果が得られることなんてほとんどない。それでもサボれば悪い結果はすぐに出る。長期的な関わりが故のストレスだってある。
底辺の仕事って言われる理由が今なら分かる。
これじゃあ、あまり人にはお勧めできない。
・自分の看護師としての力は?
新しい技術、難しい病態、高度なチーム医療、、、からは程遠いので、日々勉強!みたいな空気は一切ないし、正直ちゃんと根拠を持って看護できなくてもやってける。
日々同じことの繰り返しを淡々とこなすだけであれば、本当に成長なく、むしろ衰えながら働ける。
ここで働いてたら看護師として本当に終わりだな、ボケすぎて急性期とかには戻れないな、って思ってた。
でもこればっかりは、働き続けて少しだけポジティブにも捉えられるようになってきた。
実は学ぶことがたくさんある。考えさせられることがたくさんある。スキルとして新しいことは身につかないかもしれないけど、人間としての深みを出すチャンスがゴロゴロ転がっているように感じる。
自分自身の存在意義、看護観、患者さんの人生観、患者家族の在り方、病院としての役割、働く人それぞれの働く意味、やりがいの見出し方、、、
急性期の時には考えもしなかったこと、考える時間もなかったしそもそも気にもならなかったこと、今ならたくさん気になるし、考えれば考えるだけいろんなことが見えてきて、自分の無知を知る。
知らない世界をただ冷たく遠ざけるのではなく、思いっきり突っ込んで知ってみる。多分、これといった答えが出る問いなんてないけど、ここで感じること、考えることってきっと今の自分に必要だったんだと思える。
看護師としてのスキルだって、急変とか最先端医療とかからは大幅に遠いところにいるけれど、全然種類の違う、それはそれで大切だと今なら思える看護技術や倫理観を学べている気がする。
まだまだ、こんなことしたって、、、っていうもやりもありながらだから、全身でこの世界を知ろうとは出来てないけど、少しずつ、ここでも悪くないかもしれないとは思えている。
これからも自分の気持ちに正直に、感じたことを大切にしながら、「これでいいのか」考えていきたい。
でもずっと真面目に考えてると嫌になっちゃうから、気が向いた時だけだけどね。笑
いいなと思ったら応援しよう!
応援していただけると泣いて喜びます😭いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!